「男は」「それも特に芸術家は違うんだ」

■アガサ・クリスティー『五匹の子豚』(最下部にネタバレあり)

「男は」とポアロは話をつづけた。「それも特に芸術家は違うんだ」


これまで、アガサ・クリスティーは7作読んだ(『スタイルズ荘の怪事件』『ナイルに死す』『ポアロのクリスマス』『そして誰もいなくなった』『オリエント急行の殺人』『アクロイド殺し』『五匹の子豚』)。今のところ、私はこの『五匹の子豚』が最も好きだ。

なぜこれが好きか……たくさんあって、うまく文章化できる気がしないので、箇条書きにしてみる。

● 16年前の事件に関する、回想による推理であること。読みながらオンタイムで事件が進むのとは違って、切迫感がない。その「切迫感のなさ」がなんともいえぬ静けさを生んでいる。

● シンプルな構成。依頼〜五人への聞き取り〜五人の手記〜結論。描写の繰り返しに途中で若干飽きるが、その反復こそが読者にある種の刷り込みを与えている。ポアロは、過去にワープすることはできない……つまり真偽の確認ができないので、五人の角度からバラバラに語られる言葉のうちに、手がかりとほころびを見つけ出す作業となる。ここに謎解き感があって、楽しい。

● 今まで読んだどの作品よりも、アガサの心理描写が生きていたと思う。効果的な台詞のダブル・ミーニングの数々が一点に収束する結末は、美しく、そして切なかった。ちょっと涙ぐんでしまった。

● 芸術家についてはステレオタイプな描写ながら、けっこう的を射ていると思う。芸術家は何を最も大切にしているか?(そもそも芸術家を扱う小説は感情移入しやすく、贔屓目で見てしまってるかも……)

● 突然ポアロが口にした、個人的に大好きな小説。私はこのストーリーを知っていたがゆえにミスリードされた。しかしはたして本当にミスリードなのか、言葉の意味はなんだったのか、種明かしがなかったので真相がわからない。
★ ページ最下部に私の考え(ネタバレあり)を書きます。


すこし脱線します。これはとても個人的な印象で、優れた小説家を二種類に分けて考えることがある。音楽を奏でる人と、絵画を描く人。

「音楽を奏でる」小説家は、流れるようなリズムで読んでいる者を魅了する。情景描写も会話も饒舌で飽きさせず、読者にシーンをイメージさせ、即時的に惹き込む。取り上げたミステリー作家でいえばレイモンド・チャンドラー、個人的に好きな作家のうちでは谷崎潤一郎、村上春樹など。

「絵画を描く」小説家は、読後に強い映像を脳裏に残す。正確な情景描写は光と闇を伴う絵を読者に与え、印象が持続する時間が長い点に特徴がある。取り上げたミステリー作家でいえばエドガー・アラン・ポー(いわゆるミステリー作家ではないけど)、そしてやはりよく似て江戸川乱歩、あとは夏目漱石など。

この『五匹の子豚』はとてもきれいにまとまった作品だと思い、アガサ・クリスティーの個人的評価は高まったのだけれど、さてこの人は音楽か絵画かどちらだろうか……と考えると、どちらでもない。「どちらでもある」ではなく「どちらでもない」という感じがする。

文章は(肯定的な意味で)無色透明。会話にも同様に癖がない。豊潤という言葉とは違う、かといって冷たいとかストイックというのとも少し違う。彼女のような作家には初めて出会ったので、この印象をどう表現できるのか、まだよくわからない。

何にせよ、頭がよく、感覚の鋭い人だということは確かだと思う。


ポアロはどちらかというと派手で、明るい婦人が好きなのだ。

あとこれ↑。ずいぶん突然ね。笑




★以下、完全なネタバレですのでご注意を。






第三部・2「ポアロの五つの質問」で、最後のアンジェラへの質問の際に、ポアロがこう言ったことに関して。

「あの事件の少し前に、あなたは、サマセット・モームの『月と六ペンス』をお読みになりませんでしたか?」

おそらく多くの読者と同じだと思う……私はこの時点で、犯人はアンジェラだと思っていた。動機は弱いがそれ以外の描写(ビール瓶、泳ぎに行った云々、姉の手紙の内容、等)から。しかもそれが絶妙に「わかった!」と感じさせる程度のヒント。実はこれが魅力のもう一つ。ここまで気持ちよくミスリードにハマると、もはや悔しくもない。

で、この『月と六ペンス』は、ポール・ゴーギャン(小説の中での名前はストリックランド)という画家を題材にした名作です(ゴーギャンは個人的に一番好きな画家で、この小説もかなり好きで、気づいたら3冊持ってた)。かいつまんであらすじを書くと、

堅気だったストリックランドはある日突然画家になると決意し、妻と子を捨てて家出する。

画家友達の家で世話になるが、その友達の妻がストリックランドに強烈に惚れてしまった。ストリックランドは彼女と不倫し、結果として不倫相手の女は服毒自殺をする。この夫婦はメチャクチャになる。しかしストリックランドに罪の意識はまったくない(絵を描くことにしか興味がなく、人に対して悪魔のように冷たい男)。

その後ストリックランドはタヒチに渡り、山奥の小屋で現地人の妻をめとって才能を開花させるが、ハンセン病にかかって死ぬ。死ぬ直前まで彼は絵を描き続けた。

私は、この『月と六ペンス』のうち「服毒自殺をした不倫相手の女」にポアロが言及しているのだと思っていた。つまりアンジェラが、毒物を盗んだ姉と『月と六ペンス』で自殺した女を重ねてしまい、姉を追い詰める芸術家(アミアス)を憎んだ……ということかな?と推測していた。

なまじ小説を知っていたから勝手に、わかった!とアンジェラ犯人説を確信してしまったけれど、結局、見事にひっくり返された。笑

よくよく考えたら姉は正妻であって不倫相手じゃないし、おかしな考えだったのですが……。じゃあ実際のところポアロが言った意味はなんだったのか?と、わからずじまい……。

ネットを調べてもハッキリした情報はなかった。一つみつかった説は、アンジェラがアミアスとストリックランド(ゴーギャン)を無意識のうちに重ねており、だから「不治の病にかかって死ね」と発言した……というもの。『五匹の子豚』の英語原作では「不治の病」という曖昧な表現でなく「癩病(ハンセン病)にかかって死ね」と書かれていたらしい。差別的表現だから曖昧に訳されたのかな?(ちなみに私が読んだのは「山本やよい」訳ではなく古い方の「桑原千恵子」という方の訳でした)

しかしその場合、この重要な局面(読者に対しては妹を犯人だと信じ込ませている最終段階)で、わざわざ意味深に『月と六ペンス』を出す意味はなんだったのか。

単純に「ホラ、俺って心理読めちゃうからさぁ」というポアロのアピールなだけ?笑 「画家つながりで古典引用したらお洒落よね」程度の作者の遊びなのかなぁ。気になるな〜

あぁ、長くなっちゃった。


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