「ホーム」のあたたかさ

■アーサー・コナン・ドイル『四つの署名』

「僕は何かしら頭を働かせる問題なしじゃ生きていられない。考えること、それをのぞいてどこに人生の意義があるというのだ?」(P.16)

「犯人を当てること」にこそ、ミステリーの醍醐味があるのだと思っていた。

でも、ホームズシリーズを読んでその常識が覆された。犯人の名前は早々にホームズが喋ってしまったりするからだ。さらに犯行の方法も、推理も、そこまで緻密にこしらえている感じではない(ホームズの能力が超人的すぎる感も若干あったり)。

なのに心底ワクワクして、また次が読みたい!と思う。

理由の一つは、コナン・ドイルが冒険譚の作家として非常に優れていること。その時代の政治、宗教、民族etc.という背景をしっかり取り込んで、骨と肉の配分がよいストーリーを書いており、それでいて退屈させる冗長さがない。私は歴史地理分野が苦手なので、けっこう理解せずに読んでいる時もあるのだけど、無理なくイメージができて読み進められる。ここにまずワクワク感。

もう一つの大きな理由が(決してダジャレではないのだけど)「ホーム」があること。言うまでもなく「ベーカー街221B」という場所。ハドソン夫人がいて、階段のきしむ音が響くアパートの一室。ヴァイオリンを弾くホームズと、執筆するワトスン。かわるがわる訪れる相談者、顔見知りの警部、ベーカー街特務隊。街に出れば(なぜか人気者の)ホームズを知るロンドン市民たち。この「ホーム」感がとっても楽しくて、ちょっと雑な表現だけれど、少年漫画のように心をあたたかくしてくれる。

「何か問題はないかな。おもしろい仕事はないものかな。不可解な難問か暗号でも持ってきて、本来の僕の気分にしてくれないものかな」 (P.7)


というわけで、ミステリー云々以前のところですでに、シャーロック・ホームズの虜……いわゆる「シャーロキアン」の気持ちに片足を突っ込んだ。

そういえば、ポアロシリーズにはこの二つの要素のいずれも、ない。時代背景があまり物語に反映されていないし(逆に言えば普遍的な人間ドラマがメイン)、ポアロのホームグラウンドは出てこない(逆に言えば異国情緒溢れる旅の中での「訪問者」としてポアロは登場する)。

ホームズに比べてしまうと、強い個性に思えていたポアロの面影が、なんとなくふわっとしたものに見えてくる。

ポアロ、マーロウ、デュパン、ホームズ……。作者の個性がそれぞれなら、探偵の個性もそれぞれ。推理小説あるいはミステリー、だけでなく「探偵小説」と呼ばれるのもうなずけるなぁ。

「すべて感情的なものは、何ものにもまして僕の尊重する冷静な理知と相容れない。判断を狂わされると困るから、僕は一生結婚はしないよ」(P.189)

ん……。そういえばみんな、結婚してない?笑


昔から、新潮文庫の中でいつも目の前にあって、読もう読もうとなぜか読まずにいたのが『シャーロック・ホームズの冒険』。だからホームズには「冒険」のイメージが強く、実際に読んでもそのとおりの楽しい話だった。

なぜ今まで読まなかったのか、と悔いる気持ちもあるけれど、この歳でなおこんなに楽しめて、それが幸福だとも思う。

いよいよ次に読むのが『冒険』。全部で10冊。

読みすすめるのが嬉しいようで、終わりに近づくのが早くも寂しい。


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