彼女の合理
娘が生まれて、1年が経った。
今から2ヶ月ほど前のこと。
子どもが食事の時間にベビーチェアに座り続けることができず、立ってふらふら遊び出してしまい、ろくに食事をとらないことが頻繁にあった。追いかけて食べさせたりしていたが、しつけという意味ではやり方を変えたほうがいいのだろうか──と悩んだ。
食事に限った話ではない。
「どこまで子どもの意思を尊重してよいか、どこからがしつけか」
で常に悩んでいた。右も左も分からない赤ちゃん状態を脱し、少しずつ自我が芽生えてきたからだ。
そんな折、Yahoo!知恵袋のある質問に出会った。
質問者の状況は私と似ていた。
その質問に対するベストアンサーがこんな内容だった。
こんなに素晴らしいベストアンサーを読んだのは初めてだった。
なぜこの人の言葉が胸を打つのだろうか、理由をうまく言語化できないままに、何度も何度も読み返しついにはURLをNotionに保存までした。
・・・
「赤ちゃんは倫理や常識ではなく合理的に動いている」
「彼らは賢くそして合理的で成長に対して貪欲です」
そんな視点で子どもを見たのは初めてだった。ハッとさせられた。その通りだ、と思った。
なぜ泣くの?
なぜ暴れるの?
なぜ食べないの?
なぜ嫌がるの?
どうして”普通のこと”ができないんだろう?
そう考える私が間違っていた。
私たち大人は、座って食事をする。人の顔色を伺う。愛想笑いをし、相手によって態度を変える。少し不快でもスーツを着る。電車やレストランでは静かにする。──それらはすべて、人間が集団として生きていくために身につけた態度、つまり社会性だ。
一方の赤ちゃんは、そのような社会性を持ちあわせていない。彼らは本能に忠実に生きている。自分という存在を効率よく成長させるために、自分に必要なことだけをして、必要のないことはしたがらない。不快な時は遠慮なく泣き、嬉しい時は満面の笑みを見せる。
本能に忠実であることの合理性と、社会人として生きることの非合理性。
この対比は、私にとって新鮮なアイデアだった。
とはいえ、人間は一人で生きていくことができない。だから、個としては非合理的に思えるスキルも、社会的合理性を上げるために習得していかねばならない。
私の子どもは、今後そのフェーズに入っていくのだろうな──と思った。
・・・
ベストアンサーの最後に書いてあったこと。
「人生でやりたいことだけをやれるのはわずか2歳まで」、か……。
私の素直な気持ちは「子どもの成長を期待する」というよりむしろ、「子どもが成長して社会性を身につけてしまうことが悲しい」だった。
衝動的で、合理的で、人の顔色なんて伺わず、だけれど嬉しい時は大声で笑い、自分の喜びばかりを追求している子どもは、手がかかるけれどとても愛しい。
私は彼女の個としての合理性を極力尊重したいと思う。これから成長しどんどん社会性を見につけていくのだろうけれど、彼女がこんなにも自由に生きていたという事実を決して忘れたくない。
1年間の子育てを通じで考えたこと感じたことは本当にたくさんあるのですが、ゆっくり書く時間がなかなかとれずにいるため、2つだけ書こうと思いました。
1つがこの「彼女の合理」。
もう1つ、女性として子育てをしながら働くことについて、書こうと思っています。読んでいただけたらうれしいです。
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