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「久しぶり」

「久しぶり」

突然の挨拶にドキッとした。え、本当に覚えているの?。疑いつつも、

「お久しぶりです」

口下手でコミュニケーションが大の苦手で緊張しいな私は、そう発するのがやっとだった。その一文すら上手に言えていたか怪しい。


そういえば今年の初夏にも同じような状況があった。

「**さん、お久しぶりです」
「**さん、ご無沙汰してます」

ドキッ。思考が海馬を走る。

「あーーーお、お久しぶりです!」




最初に書いた「久しぶり」は、大学時代の教授だ。

海外の大学に進学して独自のルートを切り開き、世界を股にかけてバリバリ仕事をこなす彼は、「スマート/smart」という形容詞がぴったりくる素敵な”青年”だった(現在は中年になっていたが)。

今の職場に転職してから、諸々のつながりで、その教授と協同で仕事をするようになった。度々職場で見かけてはいたものの、担当するプロジェクトで面と向かって打合せをするのはその日が初めてだった。

──私は、彼が見てきた数多の学生のうちの一人に過ぎないし、特別インパクトのある人間でもない。忘れられているに違いない、と思っていた。というか、特に何も考えていなかった。スルーされると信じていた。だから突然の

「久しぶり」

に心臓がバクバクした。彼らしく、いかにもスマートで、無駄のない一言だった。日本語なのに英語のように聞こえた。背筋がしゃんとした。

その後の打合せは緊張しすぎてほとんど発言ができなかった。

・・・

もう一つの「久しぶり」は、前職で一緒に仕事をした工務店の職人さんたちだった。縁あって、今の職場でも施工を依頼することになった。

地鎮祭の朝、現場の前に立っていた職人さんから突然の「お久しぶりです」。打合せの日、会社を訪れた大工さんから突然の「ご無沙汰しています」。

しかも「**さん」と、二人とも私の名前を添えて挨拶してくれたのだ。

この出来事がどれだけ特異か?と聞かれると、私もわからない。企業の営業職であれば当然のマナーと感じるだろう。けれども、当時まだペーペーに毛が生えた程度の監理者だった自分の名前と顔を覚えていてくれて、きちんと挨拶してくれた──という事実が、妙にくすぐったかった。

そもそも職人さんが自分の名前を呼んでくれる現場はほとんど経験がない。たいていは「先生」と呼ばれたり、会話がなかったりする(現場監督を介してのコミュニケーションが一般的だから)。肩書ではなくきちんと名前を呼ばれるというのはただそれだけで嬉しいものだなと、改めて学んだ。




最後の大学に入学したのが今から15年前、
卒業したのが10年前、
以前の職場を辞めたのが5年前……
ざっくりと、その程度の時間が経過した。

「久しぶり」

と言える程度の時間が経過したのだな。という感慨深さが一つ。熱しやすく冷めやすい自分にしては珍しく、今の専門分野で15年近く学び続けており、10年ほど飽きずに働き続けている。

もう一つ心に染みたのは、
「今後二度と会わないかもしれない」と予感しながら音もなく別れた人たちと、再会し、

「久しぶり」

と交わして再び一緒に仕事をしていること。ただ会うだけでなく、今度は別のものをつくっているなんて、すごく尊いじゃないか。

・・・

数年前はこの職業の辛さが重くて、辞めたいと思っていた。でも段々とこの仕事が好きになってきた。

石の上に、ようやく十年。ここからあと何十年この仕事が続けられるだろうか。


やっと、続ける覚悟ができた──気がする。



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