論理的推理の魅力

■エラリー・クイーン『Xの悲劇』

「あいにく、わたしたちの相手は想像力に欠けた司法なのです。司法は確たる物証を求めてくるのですよ。ご助力願えますか」(P.201)


初めてのエラリー・クイーン。

クイーンのデビュー作は『ローマ帽子の謎(The Roman Hat Mystery)』。そこから始まる「国名シリーズ」では、作者と同名のエラリー・クイーンという探偵が登場する。

一方、この『Xの悲劇(The Tragedy of X)』で始まる「レーン四部作」に登場する探偵はドルリー・レーンという元スター俳優。

実は『Xの悲劇』は、当初「バーナビー・ロス」という作者名で出版された。ロスがクイーンと同一人物であることは数年間伏せられており、ある時、クイーン自身によって種明かしがされた(種明かし以前、本作品はクイーン名義の作品よりも評価が低かったというのが興味深い)。

この逸話を聞くだけでも、エラリー・クイーンという作家(いとこ同士のユニット)がイタズラ好きな人物であることが窺い知れる。

……という知識はすべてこの『Xの悲劇』を買った後に知った。単純に『Xの悲劇』というタイトルが気に入ったので、まずこれを読もうと、あまり深く考えずに買って読んでしまった。


実は、物語を半分すぎるあたりまでうまく物語がインストールされず、読み進めるのに苦労した。

主人公はドルリー・レーンという元俳優。「ハムレット」を演じた有名な舞台俳優が、引退して急に探偵に目覚めた……という設定がまずしっくりこないのと、ハムレット荘という屋敷、怪しい執事たち、シェイクスピアを引用する台詞……と、正直「なんなんだ」という感じでちょっとついていけなかった。

事件関係者や警部らとのやり取りにユーモア要素が少なく、レーンの推理が前半は全く明らかにならないから、淡々と経過を追っていく流れがやや苦痛だった。

翻訳ものの苦しい所だけど、原作が読みづらいのか翻訳が読みづらいのかが判断できなかった。他の訳ならもっと入り込めるのでは……ふと、そんな考えが頭をよぎる。


しかし、レーンの推理が爆発する結末は、これまで読んだミステリーで一番胸がスッとした。

思えば、
デュパンの推理は理性的かつ客観的なようでいて実は断定が早い。
ホームズの推理は一般常識を逸脱した飛び道具(泥の種類とか葉巻の銘柄とか)が多く感覚的に理解できない。
ポアロの推理は人間の心理に基づくので客観性が担保しづらい。
マーロウの推理は……忘れてしまった(笑。やはり推理以外が印象的)
というわけで、かの名探偵たちは実は完全な理論武装はできておらず、「論破」されちゃいそうな推理だったように思う。それぞれ物語が面白いので、決して悪いこととは思わないのだけど。

一方で、レーンの推理はものすごく論理的。

例えばAとBという二つの可能性が考えられるときに、上記の探偵たちは「〜〜だからAだ」と断定して話を進めてしまいそうなところを、レーンは「おそらくAだろう、しかしBの可能性もまだ捨てきれない」と、断定できる段階までは枝分かれを許容しておく。Bを消すためにはBを否定する論拠を必ず探す。

こういう論理の組み立て方がすっごく好みで、初めて謎解きに共感できて、気持ちよさ爆発。それまでの「うさんくさいなぁ」という印象が吹っ飛んだ。

また、レーンが行う推理の材料には特殊なものがなく、一般知識で解ける。この点がデュパンやホームズと大きく違う。「これなら私たちにも解けたかもしれない」、そういう謎解きだ。だからこそスッキリする。

「問題の解決は、不動の事実の集まりである犯罪そのものをつねに基点としなくてはなりません。仮説が未解決の事実との矛盾や対立を引き起こす場合は、仮説のほうがまちがっているのです。おわかりでしょうか」 (P.219)

それでも、ミステリーオタクの人はツッコミどころを探すことができるだろうけど、そこは重箱の隅というもの。ツッコミ出したら展開にも推理にも時々無理はあるが、フィクションとしての面白さを考慮したらこれ以上は望めないと思う。


みんな違って、みんないい。

凡庸な言葉だけど本当にそう思う。
どの作者も、どの探偵も、個性があって好き。


「レーン四部作」は全体を通して大きな仕掛けがあるという噂だ。

最初に書いたように、いたずら好きっぽいエラリー・クイーン。楽しみ!!


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