見出し画像

感性の対義語って本当に理性なの?

以前、哲学を研究している友人からすごく感慨深い話を聞いたことある。
「理性の対義語って、感性ではなくて本能。
 感性の対義語は理性ではなくて無関心。
 そして、本能に操られる人は成功しにくい。
 何事にも無関心な人は、幸せになりにくい。」

自分は理性派だ、或いは感性派だと自称する人が多いと思うが、もしかして、自分が非常に感性的だと思っている人は、だた本能に従っているだけかもしれない。本能に従って、食べたいものをひたすら食べたり、インスピレーションがないのを言い訳にやりたくないことを永遠に先延ばしにしたり、ただの気まぐれ屋なのに、自分が感情豊かだと言ったり。。。
一方で、自分が理性派だよと思っている人は、ただ周りへの感受性が麻痺しており、感動しなくなってるだけかもしれない。かわいい犬の散歩をしている人を見たら、動物を世話する時間があったら、働いて社会貢献しろと思ったり、バルコニーに猫や鳥がいたら、すぐ追い払ったり。。。

理性と感性というものは、私たちが生まれながらに持っている品質ではないが、時間と努力をかければ、誰も身に着ける品質で、そして、理性と感性を両方併せ持てると思う。理性を駆使して本能を抑制し、感性を磨いて麻痺した心に適度に刺激を与えば、世界は違って見えるかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?