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私が体育を嫌い続けずに済んだ話

運動音痴です。
幼稚園のときから、今に至るまでずっと、自他共に認める運動音痴です。

かけっこでビリ以外になったことはないし、毎年夏休みの水泳教室に通っていたし、逆上がりも、二重跳びも、側転も、できません。
よく、球技はできないけど走るのは速い子やあるスポーツならできる子がいますが、私はどの運動ももれなく全部苦手でした。そして今も、苦手です。

・・・

小さい頃からずっと運動神経の悪い私にとって、最大の敵は、体育の授業でした。

バレーのサーブを練習しているときのことです。私はこれが苦手で、中学生だった当時、10回に一回くらいしか成功しませんでした。
その授業では、「10回成功した人から座る制度」が採用されたのです。
体育の授業ではよくあるこの制度ですが、恐ろしい制度です。
みんなが一斉にサーブを打ち始め、少しずつ座っていきます。
私はもちろん、なかなか座れません。
だんだん人数が減っていって、私は最後の1人になってしまいました。
クラスメイトたちみんなが私を見ています。
でも、入らない。もう打っている人は私だけなので、ボールも自分で拾いに行かなくてはなりません。
運良く入っても、終わったかな?と思うみんなの視線を気にしながら、あと4回もある…と再びボールを打ちます。
結局、2回ほどを残して終わったふりをして座りました。

できないということを、信じてくれない先生もいます。
短距離走やスポーツでは甘くしてくれていても、持久走では「頑張ればできる」と思っている先生が多いのです。
「怠けるな」「こんなに時間がかかってるやつは手を抜いているに決まってる」という言葉をかけられたことは、何度もあります。

こういう体育の授業はたぶん珍しいことではなくて、運動の苦手な人なら、誰もが少なからず経験してきたことではないかと思います。

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でも私は、体育が嫌いではありません。
嫌いではなくなった、というのが正しいでしょうか。
高校時代に、前述したような嫌な記憶が塗り替えられたからです。

1番記憶に残っているのは、奇しくも、バレーの授業でのことでした。
高校のとき体育を担当してくれた女性の先生は、とにかく明るくて、そしてしっかり授業を作ってくれる先生でした。
その先生が、私のサーブを見てくれました。
何度か打たせて、フォームに問題がないことを確認すると、どうしたら入るようになるのかを一緒に考えてくれました。
ずいぶん思考錯誤して、先生が考え出してくれたのは、体ごとひねってその遠心力でボールを打つ方法です。
力が弱く打つ腕にスピードが出ない私でも、上半身ごと勢いをつければボールをネットの向こうまで飛ばすことができるのでした。
とても嬉しかったです。
それまで、サーブの入りにくい生徒を少し前のラインから打たせてくれる先生はいましたが、みんなと同じラインから入るようにしてくれたのは、その先生が初めてでした。
スポーツであっても工夫すればできるようになることもあるということを、初めて知りました。

体育が楽しかったのは、先生だけのおかげではありません。
先生がサーブを教えてくれた後も、私はまだ2回に一回はサーブを外していました。
バレーにおけるサーブは、絶対に順番が回ってくるし、外したらごまかしようもなく私のせいで一点を取られることになります。邪魔にならないように端っこをうろうろしていればいいようなものとは違うのです。
そのプレッシャーで、自信のない私はサーブを打つ手が弱まり、外してしまうのでした。
それを助けてくれたのが、同級生の、同じチームの子たちでした。
私がサーブを打つときに「いけー!スミスキャノン!」と掛け声をかけてくれる子がいました。
スミスというのは当時のあだ名で、彼がそう声をかけてくれるおかげで、不思議と緊張がほぐれ、サーブに勢いをつけることができました。
ほかのチームメイトも、成功したときはものすごく喜んでくれました。
そうして、私はサーブをほとんど外さなくなりました。
あんなに楽しかった体育の授業はそれまでにありませんでした。

・・・

私は、人に恵まれたんだと思います。
あの先生に出会って、あのクラスメイトたちと一緒だったから、私の体育は楽しい思い出になったのです。

バレー以外の時でも、持久走で走るペースを教えてくれたり、バドミントンでは後衛をすればネットぎりぎりに落ちて相手からは打ちづらいかもと考えてくれたり、そういう友達がたくさんいました。

彼らがいてくれて、ほんとうによかった。

いま、運動が苦手で体育がつらい人たちにも、そういう先生や友達がついていてくれることを祈っています。

おわり。

#エッセイ #コラム
#体育

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