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言葉や詩の呪い
まじで日本語ってむずいなって感じることが最近多々ある。でも言葉って他とコミュニケーションをとる1番の方法であるから蔑ろにはできない。
端的に言って言葉は救いにもなり呪いにもなる。誰かを絶望の淵から救うような優しい言葉もあれば逆に失意へと誘う呪いの言葉だってある。さらに難しいことに誰かを思った優しい言葉でさえもときに誰かを縛りつけ傷つける呪いにも変わる。優しさは常に善ではないのだ。かといって、無でやり過ごそうとしてもあいつは興味がない、協調性がないと排除される始末。まじで難しすぎる。こんな感じで今回は言葉や詩がもつ呪いについて。
例えばアーティストによる曲の歌詞は詩の呪いだ。甘酸っぱい純愛的な曲を歌うアーティストも不倫騒動を起こしてしまうとたちまちその曲は黄泉路へと向かうように聴くに聴けないものと化してしまう。(まあほんとにいい曲なら変わらず聴かれるんだろう...)
自分で綴った言葉が、放った言葉が自身を殺すそういった感覚。
ただの会話も専門用語を使えばそれっぽくも聴こえる。"近年におけるLGBTなどの性的マイノリティを取り巻く問題として...性的二元論的には.." といったようにカタカナや漢字の専門用語を使えばもう形は博識人なのだ。無論こういったものを語る人は何かしらの知識や確固たる自分の意思を持ってはいるんだが、こういった人は常に真実を語っているだとか何か世の中を変えてくれるだろう的な錯覚に陥ってしまうこともしばしばある。自分の尊敬する人や、自分の大好きないわゆる推しといった芸能人がもしも嘘や虚言を当たり前に吐こうがその言葉を信じ通したいとも思ってしまうのも事実。これも言葉の呪いの1つ。
言葉の呪いってのは"評論家とプレイヤー"的な意味を内包してて、自分が否定した行動は決してしてはいけない的なそんな感じのやつ。
分かりやすくいうと、誰かに対して "こういうミスはするなこんにゃろめ" "俺はこんな人間は嫌いだ" みたいなことを口にして咎めてしまうと、自分は同じミスや行動を絶対にしてはいけないという制約に縛りつけられる。
まさに呪いのカウンター
こんな感じで言葉や詩には数え切れないほどの呪いが潜んでいて、人間として生きて日本人として日本語を扱う以上こういったことは避けられねえなとしみじみ。学校の作文課題で1000字以上で書いてきなさいってのも本当に伝えたいこと以外も記さないといけない気がするし、Twitterの文字数制限が280字なのも伝えたいことを280字にまとめて書いてくださいって言われているようでなんか勝手に居心地が悪い。
てな感じで今日は"1000字"でまとめてみた。
こういうこと。