見出し画像

ちんちんが「うたの日」にハマる日

 ついに、「うたの日」というサイトにハマったのだった。

 わたしは藤田描といいまして、ちんちん短歌という短歌を作り続けているインディーズのちんちんなのですけれど、ツイッター上で短歌の人のアカウントをフォローするようになったのはここ最近の話だった。

 で、そんな人たちが、なんかこう、#うたの日 というハッシュタグをつけて短歌を投稿していたのが、気にはなっていたのです。短歌アカウントな人たち、なんかほぼみんなやっている……。

「みんながやっているものは、やるもんか!」という精神状態だったので、いままで見て見ぬふりをしてきたのです。消し飛べ! おっぱいを出してから飛べ! と日々思っていましたが、とうとう気になって見てしまったのでした。

 これは、一日一首、9つのお題から一つだけ、短歌を投稿でき、名前を伏せた状態で誰かに選ばれることができる、という短歌投稿サイトです。
 名前を伏せられた状態で、参加者は一首だけいいものを選んでくれる式なので、ガチで、短歌のみで判断されるわけだから、なかなかスリリング。

 これが……おもしろい。
 俺の投稿した短歌を……知らない人が読み、あげく、選んでくれるなんて!

 参加の仕方は、短歌を投稿するだけではなく、好きな短歌を選ぶだけでもOK。
 この投票、自分が面白いと思った短歌が、他の人は投票するのかどうかというところでも楽しめる。これもまた、はらはらして面白い。

 はたして自分が選んだ短歌は、他の人も面白いと思ってくれるのかどうか……途中経過などは発表されないので、人気度に左右されない、自分の思う面白さと、他の人のセンスがどう違うのかが、可視化されるのがとてもいい。

 なんかこう……喩えが悪いけど、ギャンブル気分というか……。
 自分の短歌や、鑑賞眼をベッドして、得票されるかどうかを楽しむ、みたいなゲーム感がある。
 ……こういう文芸のいとなみを「ゲーム感がある」なんて思うのは不謹慎なのだろうか?

 ただ、誰に見せるわけでもない短歌を、一人で書き溜め続ける行為とは、また違った感覚、快楽でもあるのです。

 これが一日一首しか投稿できないようになっている。それもいい歯止めになっているとも思った。ただ欠点は、ネット上で「既発表」になってしまうから、作ったものは賞に出せないというのはあるのか。

 他人の投稿作品の感想(評)を書く機能もある。
 自分が投稿したお題の中で他の人の評をやると、「まじめ」という顕彰? がもらえる。自分で投稿し、他人の作品の感想を書くことは「まじめ」である、と。

 これがまじめと呼ばれるという事は……、他人の作品を読み、感想を伝える人は少なく、またそうした態度(作品を作るが、他人の作品の感想は言わない)は……不真面目ってことなのかしら……?
 でもこれもうれしい。他人の短歌感想を書くと、ほめられるなんて!

 9年近く一人でちんちん短歌を作ってきたので、他人の短歌の感想を書くことはなかった。
 というか、そんな、感想を書くだなんて……迷惑じゃないですか。
 私はちんちんなのだ。そのちんちんが突然、他人が作った作品を褒め出したら、やはり引くのではないか。「なんで何の縁もない人から、ああだこうだ言われなければならないのか」「突然褒め出して、なんの下心があるのかしら」「気持ち悪い人に自分の作品について何か言われたくないです」と。

 でも、ここの空間では、感想を書くと「まじめ」と言われる。
 俺はまじめと褒められたいんだ……小中高幼稚園と、三校一園に渡り、俺はまじめ君だったのだし。褒めてほしい褒めてほしい! 感想を書く我、まじめ、と褒められたいのだ!

 サイトのカウンターを見れば、1日に300人から400人くらいが短歌を作る。すごい人数だ。こんなに、短歌を作る人がいたのか……。

 一つのお題だと、だいたい3、40首と争うわけだけど、その中で、やっぱり、(自分で作った奴以外に)面白いな、いいなと思う短歌は出現する。
 そこに対してしっかり言語化して、なぜ面白いのかを書くことは、結構勉強になるのかもしれない。だからなんか、ついつい文字数たくさん書いちゃうなあ。

 感想をわざわざ書くということは、基本「褒め」がベース……というか。
 いや、褒め以外、ない。
 全部に感想を求められているわけでもなし。いいと思ったものにわざわざつまらないと書く奴はいない。嫌われる奴はいないのだ。
 ここには、批判はない。
 選ぶという褒め。投票に影響しないが「♪」で示される、いいねという褒め。感想を書き、良かったことを具体的に伝える褒め。
 ここに参加する限り、参加者は褒められる。批判はない。優しい空間がここにある。

 これは、現実世界で短歌結社などが行う「歌会」を、ネットで、非対面で最適化したシステムなんだろうなと思った。
 生身の肉体を持たないでいい、肉体を伴った継続した参加を奨励されないでいい、他人を無理に褒めなくてもいい。嫌だったら、すぐ立ち去れる。傷つく前に、立ち去れる。だからこその、手軽さや快楽。

 従来型の、リアル世界で歌会をやってきた人には、そこに違和感があるという人もいるのかもしんない。面倒くさいリアルの人間関係がないなんて片手落ちだ、生身の肉体をもつ「人間」に向かって、詩歌は向けられるべきで、時に辛辣な批評も受け入れよ、と。

「うたの日」は、参加者が傷つかないように、でもちゃんと、ハートの数(直接評価に影響する点)、音符の数(評価に影響しない、いいねの数のようなもの)で自分の評価を可視化でき、自分の評価が数字として知られる。
 そして、その集計のページが全く無登録ですぐにできてしまうというシステム面での使い勝手の良さ。面倒くさく無さ。利便性。
 お金の代わりに、自分の面白さとか、センスとかを賭け、その評価が「他の短歌を作る人から見て面白いかどうか」のリターンを貰うゲーム性もある。
 それを随所に丁寧な公平さを意識されたUIで支えいて。

 なるほどなー。

 短歌を広めたい場合、実作者として作品を作るだけではなくて、こういう、ゲームのルールを定めたり、使い勝手やシステム面を丁寧に作り上げることで、それに寄与することができるんだなあ、とも思った。

 懸念もあると思う。
 このサイトでのみ完結しているわけだから、閉じた世界での「いいね」を競うのはどうなんだという批判は予想されるけど……そんなことを言いだしたら、あらゆるものはそうだと思った。
 野球場で完結するスポーツは身内ウケなのか、お笑いの劇場で単独ライブやる漫才師はどうなんだ、とか。

 むしろ、このサイト内で完結するというのがいい気がするのは、こう……。短歌をネット上に上げる行為って、実はかなり恥ずかしいことではないですか。

 それでも、他者に自分の作品を読んでほしいから、勇気をもってSNSに作品を放流する。ただ、その時本名でやる人って少ないと思うんだよな。

 わざわざ、短歌アカウントを作る人が多いということ、また、昔から文人はペンネームを名乗っていたのも、現実の本名では、恥ずかしい……つまり、生身の名前では背負えない情を出すからであって。それは、気持ち悪く、苦々しく、なまなましく。でも、ヒトが人間をやる以上、出さないではいられないところでもあると思うんですよね。

 それを、まず「うたの日」内で完結し、それが世間一般の目の届かないところの評で、選をされているところが、いいんじゃないかなあ。

 世間の、詩というものに対する冷笑、冷視の無いところで、全力で自分の中の詩情を全開にでき、それを競えるという場は、貴重だと思う。

 わたしも、なんで「ちんちん短歌」を作るかといえば、ふつうの短歌を作ることの方が恥ずかしいからだ。
 ちんちんが付いていれば、恥ずかしくない。
 短歌に、ちんちんさえつけておけば、表面上、ギャグになるし、馬鹿にされるし、半笑いで見てくるし、半笑いで見てもらえる方が、ありがたい。本気ではなく、頭のおかしい人として、自分のことをふつうだと思っている人たちから、「笑わせようとする人」として、誤解して受け取ってくれる。
 そして、そういうイクスキューズがあるからこそ、私はちんちんを見せながら、自分の中で大切にしているものを、言葉に載せることができるからだったりする。

 「うたの日」で、私は「ふつうの」短歌を投稿している。ちんちんをつけていない。それは、世界の冷笑に対して武装しなくていいからだ。

 その武装こそ詩であり政治で、精神運動であり、文学である、とも思うかもしれないけど。
 そのあげくが、僕の場合、ちんちんなんですよ。
 はたして、これでいいのか、日々のなかで、実は思わないでもないんです。

 でも、だからって。 
 このサイトにハマっていいのか。

 葛藤はある。技巧の承認欲求を都合よく満たしていないかとか。「短歌を作るような、ブンガクの身内の人に、届きやすいものを作ろうとしてしまっていないか」とか。危機感はある。

 でもねえ。すごくこのサイトを作った人の丁寧さや、そこに常連投稿している人の歌の良さとか、感想を書く機会、人との出会いとか、そういうのを味わうと……いいんじゃないかなあと思ってしまうんですよねえ。
 や、警戒しなきゃいけない、自分の大切なものを掛けすぎてはいけない……みたいな警告はあるんですけどね……。

 褒めてくれるからなあ。

 そんなこんなで、他の短歌アカウントの人がハマるように、自分も結局、うたの日にハマってしまったのだった。
 ちくしょうめ。
 でも、今後もたくさん投稿したり、感想、たくさん書きたいなあと思ってるんですよねー。

サポート、という機能がついています。この機能は、単純に言えば、私にお金を下さるという機能です。もし、お金をあげたい、という方がいらしたら、どうかお金をください。使ったお金は、ちんちん短歌の印刷費に使用いたします。どうぞよろしくお願いします。