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ちんちん短歌商業利用計画・その1

 2022年の私の目標の一つとして「ちんちん短歌で財貨を稼ぎ家賃を稼ぎたい」というのがあった。ひと月の家賃が4万円なので、通年でだいたい60万円、ほしい(地獄費含む)。そこで、何らかの賞にちんちん短歌を送り付けて、お金をもらって、家賃をチンガラホイしてはどうかと考えたら、次のような賞を見かけた。

 これ、すごく明快でいいなと思った。すごくわかりやすい。

 とくに「選考者を歌人ひとりとして、偏りのある審査をすること。」という部分がとてもいいなあと思ったのだった。
 偏りのある審査。
 この言葉に、ときめかないちんちん短歌作家はいない。
 偏られたい。というか、短歌、に限らず、創作を志すような人は「我こそは、偏られる存在であるナリ」って思うだろうよ。

 だからこの募集を見て、「あ、これはもう、俺が取ったなあ、これは俺のためにあるようなあれだよなあ、ひゅうー」と、小躍りしたものだった。

 だが、私はちんちん短歌について、下記のようなイキり方をしたのだった。

 ダメだ。

 過去の俺は、モテようとして「ちんちん短歌を新人賞的なものに投稿しません」みたいな事を、宣言している。高らかに声をあげている。なぜか。

 一言で言えば、モテようとしたから。短歌を、偉い人に見せて評価されるなんていう既存のルートを否定して、孤高にちんちんを歌いあげようとする姿勢に、セックスさせてもらえるのではないかと考えたのだ。

 そして二言で言えば、「既存の短歌を評価している人にむけるより、短歌をそんなに興味ない層に向けて展開した方が、ウケてもらえ、笑ってもらえ、馬鹿にされながらもお金儲けができるのではないか」と考えたからだ。

 だが、「短歌にそんな興味のない人」に、現状ではちんちん短歌に接してもらう確率は、やっぱり低いのかなあと。「短歌の界隈のひとがこんなちんちんを詠んだ短歌を高く評価しているぞ、あたまおかしいね、草~森~キッコロー、ポーロリー(草)」と笑われてようやく、見てもらえるのではないか。

「専門家とかマニアの中でちんちんが短歌が評価され、賞を得た」という権威と実績があって初めて、「短歌にそんな興味のない人」、つまり「小学校の時足はやい人グループ」にいた人たちに、安心感を持って面白がられるんじゃないかなあと思ったのだ。

 この「小学校の時足はやい人グループ」に面白がられることが、家賃を払う事よりも重要なんじゃないかなあと思っている。「変な石を集めてきておどうぐばこに隠してしまう人グループ」や「給食を食べるのが遅く掃除の時間になるまでご飯を食べ続けさせられていた人グループ」のほうが、短歌を面白がってくれる可能性は高い。でもこの人たちは、何もしなくても、その人たちの生きざまを何も変えなくても、短歌というものを面白がってくれる気がする。

「小学校の時、足はやい人グループ」を、言葉の力で「こっち側に来させ」ることこそ、文学の使命であり、足はやいグループ的物質的・唯物的観念を異化させるためにあるのが、文化の力なんじゃないか。
 そしてその人たちが、権威だとか、安心感がなければ文化に触れないという臆病さがあるのならば、その臆病を笑うんじゃなく、無様な姿で踊って、笑われて笑って、お互い笑顔で近づき、時に権威権力を悪用してボディタッチを計ることは、別にいいんじゃないかな。いいじゃないか、お互い笑顔なら。いつものように足はやいグループの人に蹴られたりランドセルを投げ飛ばされたりしても、僕の作ったちんちん短歌が無事で、僕の作ったちんちん短歌が、そこにいられるのであれば。

 だから、権力と権威を得たい。偉いヒゲのセンセイに褒められたい。

 では、ナナロク社の募集が、ヒゲなのかというと、うーんどうだろう。巨大なメディア王感は、ちょっとしないかもなあ。いい本出しちゃってるような素晴らしくて良質なあれって、しばしば権力の中心に居ない。
 なんかこう、「短歌竜王」とか、「アルソック杯短歌王将戦」とか、そういうのはないのか……。ないのだとすれば、短歌の世界では、そういう巨大資本がスポンサードすることはないのか。だとすれば、やはりまだ誰も「小学校の時足はやい人グループ」に、現代短歌という文化・方法は、一度たりとも面白がられたことはないのか?

 少なくとも平安時代には、天皇が国家プロジェクトとして優れた短歌をまとめた勅撰集という企画はあったはずだ。武家時代という、鎌倉以降の軍事政権によってその文化は途絶え、短歌は体育大好き人間たちから離れていった。最終的に、「体育の時間の前に着替えになると男子なのにトイレで着替えていた人グループ」のものになってしまっていったのかもしれないなあ。

 ひとまずは「商業流通している書籍になる」ということは重要なのかもしれない。
 同人誌では、弱いのだ。
 「一人のきちがいがちんちんを出している。」
 『ちんちん短歌』が置かれている状態は、今、それなのだろう。
 そんなことではだめだ。面白がられるよりも前に、気味悪がられ、怖がられ、排除されてしまう。警察を呼ばれてしまう。

 権威と言うパンツをはかねばならない。
 その権威のパンツとしての商業出版は絶対必要なのだ。

 で、実際、その商業出版のコンペティションとして一番いいなと思ったナナロク社の募集だけど、や、これ、現状のちんちん短歌のままで、通るのか。
 募集作品の要綱を見てみる。

・短歌100首(未発表・既発表は問いません)
 応募作品は1人100首。仮に作品数に過不足があった場合も、作為がないと判断されれば応募作としてお受けします。また、表題の有無や、連作などの構成は募集条件としては問いません。ご自身の作品にふさわしいと思う形式でご応募ください。

第2回「ナナロク社 あたらしい歌集選考会」のお知らせより抜粋

 今のところ、ちんちん短歌は1206首ある(2022年1月現在)。これを100首にする。
 実際、100首にまとめ、「市販のコピー用紙(A4サイズ推奨)に記載。用紙1枚に10首程度が望ましいです」の記述に従い、10首づつ、計100首、選出し、並べなおしてみたのだった。

 すると何が起こったかと言うと、なんていうんですかね。「短歌、という形式を使って、なんかよくある散文っぽいストーリーになってる」という感じが出てきてしまったのだった。

 どういうことかと言うと、こう……。なんていうんだろうなあ。なんか、なんかなあー……。

……長くなったので、すみませんあれです。分割します。続きは次回。

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