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牡蠣にあたった日

私がまだ高校生の頃の話。父の知り合いの方から宅急便で生牡蠣が送られてきた。殻付きの新鮮な牡蠣に父は大喜び。「このまま生で食べよう!」と意気YOYO!
心配性の私は「加熱して食べようよ?」と提案したものの「大丈夫!大丈夫!」と半ば強制的にレモンを絞ってかけた生牡蠣を口の中に放りこまれた。美味しかった、味は美味しかった。でも、不安は拭えなかった。
母はその日体調不良&牡蠣苦手だったので、父、私、妹の3人で食べた。

明け方、激しい吐き気と身体の熱さで目が覚めた。トイレに駆け込む。止まらない。Can't stop ほにゃらら。俗にいう上からも下からも状態。しばらくして父と顔をあわせると若干具合悪そうではあるものの私ほどではなく、妹は通常営業の様子。
間の悪いことにその日は12月30日。近所の胃腸科のある内科に駆け込んだ。年末のせいかとても混んでいる。でも、高熱としんどさで椅子に座っていることすら困難だった私はソファーに横になって順番を待っていた。
すると薄れかけた意識の中、「あの人(私のことね)を先に見てあげて下さい。」「私より先にあの人(私のことね)を。」と自ら受付に申し出てくれる人が現れ始めた。あぁ、私は傍から見たらそんなにひどい状態なのか、と朦朧としながら聞いていた。
そんなボランティアの方々のお陰で早めに診察して頂き「即入院」が決定。父も一緒に来ていたけれど父は点滴1本で解放されていた。幸いだったのは当時まだ小さかった妹が無症状でケロッとしていたこと。なぜなら実は妹が一番たくさん食べていたから。ちなみに心配性の私(2度目)は2個。父もたくさん食べていた。その時初めて「牡蠣にあたるときは食べた量と比例しない。」ということを知った。

入院手続きの末、ベッドで点滴。数時間して体調不良だったはずの母が駆けつけてくれた。私が死にかけているので自分は治ったらしい。急な入院なので大部屋。12月30日に入院したから翌日は12月31日。病室で迎える大晦日、紅白、新年。A HAPPY NEW YEAR! 
4人部屋だったような記憶。横には脳死状態のおば様。旦那さんと2人の息子さんがいらっしゃるそうだけれど、お金だけ払い続けて病院にはほとんど来ないとのこと。なので毎日看護師さんが床ずれしないように身体の向きを変えたりこまめにお世話をしている。床ずれという言葉を知ったのもこの時。脳死状態だから話をするわけでもないし反応もほとんどない。ただ息をする音が聞こえるだけ。でも時間ごとにやってくる看護師さんが「こんな状態でもねぇ、長くお世話していると情が移るんですよ。」と無反応の患者さんに話かけながらお世話していた姿が忘れられない。

2泊3日の入院を経て年明け私は自宅に戻れた。3日で3kg体重が減った。でも、食べないことによって減った体重は食べたらすぐに元に戻った。

数年後、妹はとあるお店で「鶏刺し」を食べて大当たりして苦しんだ。
私は今も生牡蠣は大好きでよく食べるけれど妹は食べられないらしい。あの時苦しんでいた私の姿が強烈すぎたようだ。一方で、私は鶏刺しは絶対に食べない。やはり苦しんでいた妹の姿が目に焼き付いていて体が拒否してしまう。
牡蠣にあたった経験を話すと「え!そんな思いをしたのに食べられるの?大丈夫なの?」とびっくりされることもあるけれど、人間、他者が苦しんでいる姿を見るほうがダメージが強いのかもしれない。こんなことを書いていたらもうすでに美味しい生牡蠣が食べたくなってきた。でも、今は時期じゃないからもうしばらく待たなきゃかな?

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