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除隊

先週の土曜日に以前よりも健康な姿で無事除隊しました。

“もう?”笑

時間が過ぎるのは本当に早いです。
入隊したのが昨日みたいなのに、気がついたら除隊です。

“前を見たら遠いですが、振り返るってみると一瞬です”

大学生活も、20代も(韓国では既に30)、軍務もあっという間に過ぎ去りました。

“人生も同じなのかな~?”
みたいなこと考えながら、時間の大切さを改めて感じました。

いくら頑張って生きても後々後悔するのが人じゃないでしょうか? 様々な後悔があると思いますが、僕の場合、他のことよりも ‘関係’に対する後悔が一番大きく、また長く残る気がします。

もう少し良くしてあげれば…
もう少し我慢してれば…
もう少し待ってあげれば…

後悔をなくすことは出来ないかもしれませんが、どうすれば少しでも後悔しない生き方ができるだろうか? こんなことを考えながら ‘目-足-口-耳-手’の本来の機能について考えるようになりました。

目の本来の機能は、いじる対象を探すためではなく、
苦しんでいる人を探すためです。

足の本来の機能は、逃げるためではなく、
助けが必要な人に近寄るためです。

口の本来の機能は、悪口を言うためではなく、
相手のことを褒め、認めるためです。

耳の本来の機能は、イアリングを通し外見を良く見せるためではなく、相手の話に耳を傾けるためです。

手の本来の機能は、他の人を害するためではなく、傷ついている人の手を握り、抱きしめてあげるためです。

‘目-足-口-耳-手’の元々の存在理由は、他の人を助けるためです。

目だけあっても、足だけあっても、口だけあっても、耳だけあっても、手だけあっても、他の人を助けることは出来ません。全ての部分が本来の機能を回復してこそ、助けが必要な人を助けることが出来ます。そのため、ある部分は高価値で、ある部分は低価値だと言うことは出来ません。全ての部分が同じように価値ある部分です。

僕たちの存在もこれと同じじゃないでしょうか?

目みたいな人がいれば、足みたいな人もいるだろうし、口みたいな人がいれば、耳みたいな人、また手みたいな人もいると思います。そのため、ある人はより大切で、また別の人は大して大切じゃないと言うことは出来ません。全ての人が同じように大切な存在です。

このことに気付いた時、目の前にいる人に対し、

もう少し良くしてあげようという ‘思い’が生じ、
もう少し我慢しようという ‘忍耐力’が生まれ、
もう少し待ってあげようという ‘余裕’ができると思います、

少し長くなりましたが、皆さんのおかげで ‘朴明安’ 無事に除隊することができました。これまで応援してくださり、励ましてくださり、祈って下さった全ての方々に感謝します。

チュンソン! (韓国軍人のあいさつ)

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