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汀艷の庭園「百日紅」

…なんて毎度駄洒落をぶちかましております TeiEn PRESENTs 園芸随想録です。

Sunny Side ~こぼれ種~

近所のおうちに咲いているサルスベリの木が、いつも素敵だと思っていました。ひと夏、うちの庭でも艶やかなショッキング・ピンクで咲いてくれたら、さぞかし庭を賑やかにしてくれるでしょうと。
あれは2020年のことです。ある日、庭に見慣れない木が生えてきました、うちは道路っ端に建っているので、こぼれ種が風に吹かれて飛んできて、急に庭に植えた覚えの無い見知らぬ花が咲くことは、そんなに珍しい事ではありませんが、それが、まさかのサルスベリだったのです。
名前の通り、滑滑な肌触りの木で、亜高木なので、背の高い木にはならないけれど、本当にお猿さんが木登り出来ない様子が見られたら、ちょっと面白そうですね。
そして文字通り、夏から秋口まで長く花が楽しむことが出来ます。エルダーフラワー(西洋接骨木)の黄緑色の葉っぱも近くに生えてて、明るい色のシンボルツリーが増えた年でした。

Dark Side ~置かれた場所で咲きなさい~

「置かれた場所で咲きなさい」
私が最も嫌悪する言葉のひとつです。この言葉を説いていた修道女さんは、きっと素晴らしい意味を込めて人を花になぞらえて、そのように仰っていたのだと思います。良い言葉でもあります。
でも、これを履き違えている人も多い気がします。言葉の解釈は自由であるけれど、この言葉で自身の情けない体たらくを正当化する人間のせいで、私はこの言葉が今でも苦手です。
結局、そこで何をするのかという事が大事なのだと思うのです。
それは、置かれた場所に拘って咲きたいのであればですけれど。
でも、そもそも私たちは人間なんですよ(多分…)。移動する手段を持っているのなら、自分が咲けない、花実をつけさせてもらえない価値の無い環境に、きびすを返したって良いのですよ。
人間堕ちていく方がうんと楽です。
閉鎖的な田舎出身だから、時代遅れな価値観で、若い芽を摘む残念な大人もいました。得意も不得意も並みから外れた途端に笑い者にされてしまうような残念な世界も経験しました。
私も例に漏れず、ずっと笑い者でした。どうして普通じゃないのだろうと自分でも思いました。

私は、まっ平らにされかけました。

でも、大人になってしまえばこっちのものなのです。咲き方なんて人それぞれですし、私も気付いたら意図せずとも、掴み所の無い滑滑な木のような人間になっていました。今は、鬱陶しい虫も集らせず、艶やかに咲かせています。咲かせたもん勝ちですよ。
誰も価値の無い環境の土塊になる義務なんてありません。

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