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大学生活が終わるから振り返る①

 今年の3月で大学生活が終わります。少し寂しさはありますが、日に日に安心が込み上げています。

 今回はそんな4年間の大学生活を、1年ずつ分けて振り返っていきます。本記事では1年生の時の振り返りを改めてします。先に書いておきますが、少しダークな話題も出てきますので、マイナスな気持ちになりたくない方はここでストップすることをおすすめします。

コロナで入学式中止

 さて、新天地で最初に行われる行事といえば、入学式です。緊張や不安の中、大学でどんな風に過ごせるのだろうと、一喜一憂した日が皆さまにはあったと思います。
 しかし、私の時はそのような想いにふけることはできませんでした。コロナウイルスが猛威をふるっていたためです。そのおかげで悲しいことに入学式は中止となりました。ここから、コロナにひれ伏す生活を送らなければならないとは思ってもいませんでした。

慣れないオンライン授業

 コロナウイルスの蔓延により授業スタイルは大きく変わり、私は発狂していたことを思い出します笑。一体それはどういうことなのでしょうか?

 私の大学ではオンライン授業にzoomを使っていました。一部授業では発表をしなければならない時があったんです。発表する際はミュートを外して行なっていました。
 しかし、当時使っていたパソコンはマイクとイヤホンが別の穴となっており、2穴式の器具を取り付けなければならなかった古いパソコンだったのです。ちなみにBluetoothは持っていなかったので、それしか方法がありませんでした。
 そんなことを知らず授業に参加したもんでふから、パニックになったのは今でも忘れられません。いくら話しても先生のもとには届かないのですから。そのおかげで説教をされる公開処刑を受けましたね。急いで2穴式の器具を買いに行ったのは黒歴史です笑。

対面でも馴染めなかった。そして。

 と言いつつも、実は少しの期間は対面授業があったのです。ここで大学に馴染めるチャンス到来!と思ったのですが、現実は甘くありませんでした。

 クラスのメンバーと話したとき、ある話題の話についていくことができなかったのです。その時、「お前、そんなことわからないのか笑。どっかいっちゃえよ。邪魔邪魔!」と言われ追い出されてしまったのです。凄くショックで言われるがまま立ち去りました。それを機に私はクラスから孤立しました。また、担任教員にも恵まれませんでした。生理的に受け付けられなかったんです。扱いが酷すぎてブチギレたことが何度あったか…。
 教職のクラスも同じでした。特に何もされたわけではないのですが、億劫だったのは間違いありませんでしたね。

 そんな日々が続いた結果、私は教員やクラスのメンバーと話すのをやめました。授業が終わればすぐに家に帰る。対面授業の日が近づけば恐怖が押し寄せ吐き気を催し(実際に吐いてしまったことも)、それらに耐えながら授業に参加…。その繰り返しでした。

 気づけばそれが後期まで続きました。心身ともに疲れ果てていたのを覚えています。そしてこういう思いがふつふつと湧きました。

「大学を中退しよう」

 その思いを親に伝えたのは1月です。なんて伝えたかは覚えていません。しかし、思いは虚しく猛反対に押しきられ続けることにしました。

 とても辛かったですし、途方に暮れました。またあの日々を過ごさなければならないのかと。
 ですが、2年生になるタイミングでクラス替えがあるという朗報をメールで確認。それだけでなく、憎き担任教員が他大学へ転勤になることも知りました。(それを受けて隠れてパーティをやったんです。(黒歴史ではありますが笑。))ここまでくれば、少し希望が見えるのではないかと思い始めた私は、「最後まで続けよう」と決めました。

「来年度は明るくなる」

という願いを込めて。

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