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『うつ病九段』

 『うつヌケ』に続き、うつ闘病記。
 読書家で医学有識者の父に「これだけ重いうつの人が、ここまで書けるのはすごいことだから」と勧められ、読みました。
 将棋界への復帰3か月前、つまり”うつ病回復期末期”に書かれていて、最後までリアリティたっぷり、一昨日と昨日の2時間ほどで読み切ってしまいました。

 書きながら私は何度も頭を抱えた。エピソードが少なすぎるのである。ほとんど書くことがないのだ。基本的に横になってました、散歩しました、将棋のリハビリを頑張りました、気がついたらほとんど治りました。それだけなのである。

と、書かれていますが、これはうつを端的に良く表していると思います。
 私も、本も読めない音楽も聴けないで、窓辺に椅子を持っていってぼーっと外を見ているだけの時期があったな、と思い出しました。うつ初期のことです。気力が自分に戻ってくるのをひたすらに待つ、それだけの日々でした。

 判断力の低下についても頻繁に書かれていますが、とてもよく分かります。
 昨年5月、これはしばらくお休みをいただかないとダメかもしれないと感じて、上司に電話をかけた時、「もうどうしたらいいか分からなくて、判断がつかないんです」と言ったのを覚えています。

 先月、これはまたお休みをいただかないとダメかもしれないと思ったのにも、エピソードがあります。
 職場では、課でまとめてお昼のお弁当を注文することができます。その日は、2人の人があるお店の500円のお弁当を注文していて、2人とも、1,000円札を共通の支払い箱に入れていました。
 昼前、お弁当屋さんが来て、私が支払い箱から支払いをしました。1,000円です、と言われたら1,000円札を渡しますよね。すると、支払い箱に残ったのは、1,000円札。お釣り500円を、2人に渡さないといけないのに。
 私はその時、わりと真剣に「この1,000円札を真ん中で切って2人に渡せばいい?」と思いました。
 いやいやまずいまずい、けどどうしたらいいか分からない、となってしまって、残った1,000円札はそのままに、その日の午後からお休みをもらいました。
 あのお釣り、どうなったんだろう。


 よく、作家や音楽家、他にもいろいろあるがいわゆる感性を重んじる職業にうつ病が多いといわれる。(中略)棋士という職業でうつ病をやった者からすると、この感性が戻らなければその人間にとって「治った」ことにはなりえず、人によってはそのことでさらにうつになったりするだろう。

 これには、はっとしました。
 何をもって「治った」とするかは非常に難しいところなんだと、気付きました。

 今、書いていて分かった。こんなことを書いているくらいだから、うつはたしかによくなっている。

 「治った」かではなく、「よくなった」かどうか。
 それくらいで良いんだな、と。

 だったら、私も、よくなっている。
 あとのことを考えるのは、今じゃないのかも。
 復職まではまだ日があるし、もっとよくなっておこう、くらいの気持ちで過ごしてみよう。

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