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月橘の色の記憶 2020.3.24

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1月から途中になっていたゲッキツ染めを、再開した。

祖父の呼吸が止まったと、いとこからインスタのメッセージで連絡があったのは、1月17日、月橘で染めている最中だった。

前の晩に、いとことインスタでつながって(帰省したら会うけど、お互い連絡先とか知らなかった)、メッセージのやりとりを初めてした。
長女同士の私たちは初めて祖父の話をいろいろして、10日後に福岡に帰るから、一緒に祖父のお見舞いに行こうと話していたところだった。

いとこは看護師で、祖父が入院していたのはいとこが以前働いていた病院だった。
「呼吸が止まった」と聞いて、まだ可能性があるのかなんて混乱した頭で思った。

いとこが私に連絡してきたのは、うちの母の携帯に電話をかけても出なくて、母が捕まらないからだった。

私は母に電話を何度もかけながら、もしかしたら入院している祖母のところに行ってるのかもと思って祖母の携帯に電話をかけたけど(祖母も同時に肺炎で入院していた)、もし母がいなくて祖母が出たらどうしよう、病院で一人でいて、身動きとれない祖母に言えないと思って、すぐに電話を切った。

その間にも、月橘の鍋はグツグツと煮立ち、あ、時間を測っていたのに忘れた、と思いながら沸騰した鍋の中の布を箸で押さえた。

こんな時なのに、染めのことが気になって作業をするなんて、なんてげんきんな私なんだ、と思ったのを覚えてる。
10日後に祖父にプレゼントしようと思って染めていたショールだった。
結局それはプレゼントすることはなく、棺に入れて、一緒に天に昇っていった。

電話をかけ始めて1時間程たち、インスタでいとこに電話番号を聞いて、電話をしたら、叔父は仕事で遠くにいる、うちの母が行かないと死亡確認ができないという。
死亡確認・・・。え、もうダメなの・・・?と聞くと、うん・・・と。看護師をしていたいとこだから、そういう言葉には慣れているだろう。

いい加減母を捕まえないといけないと思い、思い切って祖母の携帯にまた電話をする。
よく考えれば、祖母のそばに母がいなければ、何も伝えなくてもいいのだ。

祖母が電話に出た。私が、平常心を装って、「お母さんいる?」と聞くと、いるよ、と。「携帯忘れたとよ〜」と母の笑い声がする。はぁ・・・
なんて伝えよう。私は亡くなったとは言えず、「パパ(祖父)の呼吸が止まったって病院から電話あったって!みんなお母さんのこと探してるよ!」と言うと、母は「嘘ー!」と叫んだ。
今日は、祖母の退院日で、母は携帯を家に忘れて退院手続きをしていたらしい。
一度祖母の家に帰ってから、午後から祖父のお見舞いに行こうとしていたらしい。
「とにかく早く行って!」と言って、電話を切った。

祖父が亡くなる1ヶ月前ぐらいから、いつ母から電話があるんだろうと怖くてドキドキしていた。
まさか、宮古島にいる私が伝えることになるなんて思わなかった。

最後の2週間祖父に会えなかった祖母は、なんで待ってくれなかったのかねぇと何度も言う。

あと数回染めようと思っていた月橘染めは、途中になり、2ヶ月手を付けられずにいた。
再び染め始めた糸たちは、月橘をたくさん吸収して、心なしか濃く染まっている。

月橘の透き通るような緑色は、私の中で、祖父の色になった。

祖父のために染めていたショールの色だというのもあるけど、お通夜の夜、お客さんがみんな帰った後に普段着に着替えた近しい人達が、なぜか淡い緑の服を来ている人が多かった。
祖母の柔らかな若草色のカシミアのセーター、妹のミント色のモヘアのセーターが目に焼き付いている。

音楽や匂いで何か記憶が呼び覚まされることはあるが、色にもそんな力があるんだなと思った。

祖父が亡くなったあと、私は月橘の色に似た淡いグリーンの天然石のマクラメと、麻のワンピースを買った。
祖父をいつでも思い出せるように。

羽化したばかりの虫のようだった月橘の色は、今では森の中の昆虫のように力強い色になってきた。

誰かの思い出になるような色が染められたらと思う。

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