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私は深く愛されている❣️

「誰かから深く愛された記憶」と言われて、「はい、これです」とすぐ言える人は幸いですね。でも多くの人は「う~ん…?」と考え込んでしまうのではないでしょうか。僕はそっちのタイプです。なぜでしょうか?

①「深さ」を人と比較しようとする意識が働くからです。本人が「深い」と感じているのならそれでいいんじゃないでしょうか。
②「深く」を特別に大きな犠牲を払ってくれた愛と理解してしまうからです。身代わりに死んでくれたり、莫大な借金を肩代わりしてもらったという人は殆どいないでしょう。
③「誰か」を他人から探そうとしすぎてしまうからです。お腹を痛めて産んでくれた上、命を削って育ててくれた母親、毎日汗水流して働いてくれた父親は「強烈に深く」ではありませんが、平凡だけど何十年と自分の人生を捧げて愛してくれました。
④「愛された」という表現が抽象的だからです。具体的に考えると「深く愛された」経験がいくつか出てきます。「大失敗を赦してもらえた」「挫折した時に親身に相談にのり助けてくれた」「どうしても分からない宿題を解くためにいつまでも一緒にいて考えてくれた」など。

 両親を初め、人生途上で出会ってきた人の中に犠牲を払って関わってくれた人が誰しもいるはずです。そのような愛が生きる底力になっています。

 最後になりましたが、決してつまらないことではありません。一番大事なことです。あなたは気づいていないかも知れませんが、実は、あなたはものすごく深く大きく強く愛されているのです。えっ誰から?神と神のひとり子キリストからです。神は、神に背を向けて生きるあなたを愛するあまり、ひとり子キリストを人としてこの地上に送ってくださいました。キリストは、私達の罪滅ぼしをするために、自分の命を差し出し、両手を広げて十字架に釘付けになり、身代わりに死んでくださいました。両手を広げたキリストは「これだけあなたを愛しているんだ!」というボディランゲージです。

 そうです。あなたのために身代わりになって死んでくれた方がいるのです。しかもそのお方は神の子キリストです。ですから最早「私は誰からも深く愛されたことなんかない!」って言えません。もし誰もいなかったとしても、天地の創造者である神と神の子キリストは文字通りあなたを命がけで愛してくださいました。ですから全ての人は「私は深く深く愛されています」と言えるのです。

**参照聖句** 
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ3章16節

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