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『犬系彼女』

「お待たせワン🐶」
「お。おつかれー。」
「4限ちょっと長引いたワン。じゃあ今日はどこ行くワン?🐶」
「んー。どうしよっかな。」
「決めてなかったワン?🐶」
「うん。まぁ、とりあえずいつもの喫茶店行こう。橋本珈琲。その後どうするかは、そこで考えよう。」
「分かったワン!🐶」

僕の彼女は犬系彼女だ。犬系彼女といっても、俗に言う犬系彼女ではない。某SNSで少し前にバズった、かの有名な犬系彼女を遥かに凌駕する犬系彼女だ。というのも、彼女は犬を自認しており、人間ではないと言うのだ。俗な犬系彼女は、どこか犬っぽい性格、甘えたがりだったり、元気はつらつで可愛らしかったりするだろうが、こいつは違う。というか、犬系というよりかは、もはや「犬彼女」である。
僕と同棲する彼女は、ペット用のトイレシートに排泄をする。リビングの南西側の隅にそれはある。
食事は毎日3食ドッグフードだし、そのせいで僕は彼女と外食することはできない。
もちろん、夜の営みも普通ではない。喘ぎ声は「ワン!ワン!ワン!🐶」だし、彼女が犬だからという理由で、体位はバックしか許されていない。ゴムは付けるが、それはセックスというよりかは交尾だ。
それにバックで突いていると思ったら、彼女は度々、急に僕の後ろに回り込み、彼女の股間を僕の尻やら太ももに腰をヘコヘコさせながら擦り付ける。舌を出しながら「へっへっへっ🐶」と息を漏らすそれは、つまるところマウンティングである。
絶頂する時には彼女は「オォォーーンン🐶」と鳴く。もはや彼女へ欲情することはなくなった。


僕はいつものように、彼女の首輪にリードを付ける。

「じゃあ行こっか。」

リードを付けた四足歩行の彼女と歩く。僕らは街中の人々に奇異の目で見られる。もはや四ツ谷名物になってしまった。
(  ※四ツ谷は僕らのホームタウンである。)
こんなのタワシやらトウモロコシにリードを付けて歩いてるおっさんよりヤバい。僕はいつまでもこの他人からの視線に慣れない。僕はいつも遠い目をして歩く。
ところで彼女といったら、奇異の目で見てくる彼らを、好奇心に満ち溢れたような目線で追う。「なんでこの人たちはそんなに私のことを見るワン?🐶」といった感じで、自分のヤバさには気付いていないようである。

「今日は暑いワン🐶」
彼女は舌をべーと垂れ出しながら歩く。体温調節をしているらしい。

彼女と歩いているとよく職質にあう。夜の歌舞伎町を歩いていたときは薬物摂取を疑われた。加えて赤羽では尿検査までさせられた。もちろん僕まで巻き添えを食らった。
2人とも陰性反応が出た時は警察達は信じられないようだった。彼らの蒼白な顔が忘れられない。
彼女は自分の名前を「ハナコ」という。首輪にもマジックペンでハナコと書かれたハート型のネームプレートがぶら下がっている。
しかし、職質で身分証を提示させられた際に本名は「斎藤 瑠奈(サイトウ ルナ)」だと判明した。
僕が彼女と交際を始めてから、半年が経ったがなぜこんな彼女と付き合っているのか、よく聞かれる。僕もそれは分からない。おそらく女性経験が少なかったため、多少おかしい人でも顔が可愛ければ付き合ってもいいと思っていたのだろう。
実際、友人の紹介で出会ったのだが、最初は独特な人だなと思うばかりか、彼女の唯一無二なキャラクターに惹かれていた。

しかし、僕はもう限界に達しようとしていた。

橋本珈琲に着いた。僕は温かいミルクティーを頼む。彼女はいつものようにただのミルクを頼んだ。
彼女は普通には椅子に座らない。椅子に上り、ヤンキー座りみたいな座り方をする。これが「犬の座り方」なのだろう。
平皿にミルクを移し、頭を動かして舌を使いミルクを飲む。

「おいしいワン🐶」

_________________________________________

僕たちは1時間ちょっとで、喫茶店を出た。
結局、同棲している家でまったりすることにした。
家に向かう途中だった。

「ハナコ、ちょっとおしっこがしたいワン🐶」
「え…。橋本珈琲ですればよかったじゃん…。」
「何度も言ってるワン!🐶人間のトイレじゃハナコはおトイレできないワン!🐶」
「もう…。やめてよ…。人いっぱいいるじゃん…。」
「もう出ちゃいそうだワン🐶」

僕はこのシチュエーションが大嫌いだ。彼女は犬だから、その辺の電柱やら木に小便をするのだ。しかも下はすっぽんぽんになって、犬がするそれと全く同じポースで。
この前、新宿御苑でデートした時も、その辺の木に小便をしていた。その異様な光景を目にした人はその様子を動画に収め、Twitterに投稿した。そのツイートは万バズし、顔にモザイクはかかっているものの、彼女は「犬ネキ」とかいうそのままの名前で見事ネットミームデビューさえしてしまった。おまけに僕まで「飼い主ニキ」とかいうあだ名を付けられてしまった。現在はTwitterからその動画は削除されているが、調べればいくらでも出てきてしまう。有名エログロWebサイト、ポッカキットでは「【謎】リードに繋がれた女さん、下半身裸で木に小便をしてしまうwww」というタイトルで同動画は健在である。
そもそも彼女改めてハナコはやはり縄張り意識が強いらしく、外で小便をすることは排泄と同時にマーキングでもある。だからこそハナコは僕がそれをやめるよう頼んでも、聞く耳を持たない。四ツ谷に2人で住み始めた当初は、その縄張りは紀尾井町から麹町、四谷一丁目の範囲だった。しかし、その縄張りはどんどん広がっていき、今となっては赤坂から神宮外苑、西新宿、神田を取り巻くものとなっていた。
彼女の小便により、東京にはカスのウォール・マリア、ローゼ、シーナが形成されてしまった。

彼女はもうスボンに手をかけていた。

「マジで!もうそれだけはやめてくれ!」
「なんでだワン!🐶」
「おかしいじゃん!人間が!女の人が!こんな外で、しかも白昼堂々小便するなんて!」
「ワンワン!人間じゃないワン!🐶ワンコはこれが普通だワン!🐶」

先にも述べたが、もう僕は我慢の限界だった。だから僕はリードを引っ張って、これ以上にないくらいに怒鳴った。

「ふざけんな!!もうウンザリなんだよ!お前は犬じゃない!人間だろ!自分の体を見てみろよ。犬みたいに全身に毛は生えてんのか?手足に肉球はあんのか?しっぽは生えてんのか?ねぇだろ!!」
「あっ、あるワン!🐶」
「いい加減目を覚ませよ!!」
「どういうことだワン!🐶」
「お前は犬じゃない!人間だ!だから人間の言葉を喋るんだろ!だから大学に通うんだろ!だから人間の俺に恋をしたんだろ!!」
「ハナコはワンちゃんだワン!🐶」
「お前は『ハナコ』なんかじゃない!斎藤瑠奈だ!人間だ!」
「ワ、ワン…🐶」
「なんだよ、犬のお前と付き合ってる俺の方がおかしいのか!?お前の犬自認を認められない俺がおかしいのか!?多様性を認められない俺がおかしいのか!?」
「……クゥン🐶」
「男女(おとこおんな)を女として扱って女男(めおとこ)を女として扱う現代では、人間犬とかいう訳の分からん人間まで犬として扱わなきゃいけないのか!?」
「……。」
「お前とセックスして、子どもができたらそいつは人間と犬のハーフなのか!?キメラなのか!?ちげえだろ!人間だろ!紛れもなく、純人間だろ!!」
「……。」
「いい加減、人間らしく振舞ってくれよ…。人間として生活してくれよ…。なんのキャラ作りか知らねぇけどさぁ!!もうお前はネットミームになってんだよ!都市伝説と化してるんだよ!!」
「……。」

彼女は黙りこくってしまった。

しばらく黙って、何も言わずに首輪を外した。

そして、

「…トイレ…行ってくる……。」


少し涙をこぼして、歩いていった。そのまま近くの商業施設のトイレに入っていった。

しばらくして彼女は出てきた。
瑠奈のメイクは涙で少し落ちていた。

「大丈夫…?ごめん、言いすぎた。でも、僕ももう我慢できなかった。」
「うんん。大丈夫だよ。私が悪かった。うん。私が悪かったよね。私が間違ってた。」
「……悪かった、というか、まぁ……」
「あなたの言う通りね。よし!私、ちゃんと生活する!私は人間の生活をする!」

瑠奈は笑っていた。ガラリと変わった彼女の雰囲気に僕は驚いた。無理をしているようにも見えた。
だが、僕はやっと瑠奈と、まともな恋が、普通の恋愛ができると思った。

人間として彼女を愛せると思った。


僕は解放された気分だった。


________________________________________


それからというものの、瑠奈はちゃんと人間として生活している。僕らはちゃんと人間のカップルとして、交際をしている。

「お待たせ〜。」
「お。おつかれ〜。」
「今日はどこ行くか決めてる?」
「うんん、まぁいつもみたいに橋本珈琲行こうかなって。」
「いいね。じゃあ行こっか。」
「うん。」
「4限の授業さ、そろそろ中間レポートあるんだよね。大変だよー。アメリカ政治外交の参考文献、やっぱり人気で図書館にはもう何年も前の文献しか残ってないみたい。」
「あら、そうなの。」
「だから私、他大の図書館で借りなきゃいけないかもなの。」
「大変だね。」

橋本珈琲に着くと僕はいつものようにミルクティーを頼む。瑠奈はブレンドコーヒーだ。

瑠奈は、しっかりとイスに座り、コーヒーに少し砂糖を入れてティースプーンで5周ほどかき混ぜる。
受け皿を左手で持って、右手でコーヒーカップの取っ手をつまむ。

少し息を吹きかけてから、ずずっと飲む。

「うん。おいし。」


家に帰って、他愛もない会話をして、何の変哲もない時間を過ごす。


彼女の横顔は綺麗だった。
夕日が差し込む部屋で僕はキスをした。


僕らは情事を重ねた。

夕日に照らされた髪も肌も瞳も綺麗だった。
「愛してる。」
と、彼女が言った。

彼女が真人間になってくれたのは、僕はとても嬉しい。僕は彼女を人間として愛することができる。



そう思っていた。
何かがつっかえる。


あの日の瑠奈の言葉が反芻される。




-  私は人間の生活をする  -





僕はあの日から時折、瑠奈が人間を装っているように見えてしかたがない。


取り繕って、人間らしい生活をしているように見えてしかたがない。

ずっと、あの言葉に従って、演じているように見えてしかたがない。


僕には瑠奈が毎秒の一挙一動において、「人間の生活」の輪郭を事細かになぞっているように思える。






多分、この先もずっとそうだろう。

少し、吐き気がしてきた。

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