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或る人間嫌いの挽歌

筋金入りの人間嫌い

私は、クリスマスが嫌いだ。
私は、正月が嫌いだ。
私は、人間が大嫌いだ。
毎年この季節になると、憂鬱にな
る。
というよりは、苛立つ。
年末年始は私にとって、不愉快の
塊といっていい。

嫌いの理由

クリスマスや正月が、何故其処迄
嫌いなのか?
簡単だ。
皆が同じく行動するからである。
同調圧力、集団主義、集団性。
人類に附きものの悪弊だ。

旅行も嫌い

正月といえば帰省が伴う。
だが私は、やった事ない。
いや旅行そのものを殆どした事が
ない。
数えてみたら、人生で七回しか経
験がなかった。
無論、修学旅行含む。

共通点

クリスマスと正月と旅行。
共通項を拾ってみる。
大別して二つ。
★大多数が好む
★向日的である
ああ……。
何たる事か。
私が嫌って当然ではないか!

ニワトリか卵か

大勢の好む事に附き合わされるか
ら嫌いになったのか?
逆に元々嫌っており、それの参加
を峻拒しているだけなのか。
何方ともいえない。
怖らくは両方であろう。
兎も角、衆愚は度し難い。

ホラーと対極

同時にこれ等のイベントごとは、
「目出度い」とされる。
明るい。楽しい。陽気陽性。
ホラーと対極なのである。
暗い。陰気陰性。
「楽しい」ではなく「愉しい」。
真紅の愉悦。
それがホラーだ。
従って、ホラー好きな私は祭りご
とが嫌い。
辻褄はぴたりと合う。
血祭りを除いて。

嫌い派の中の異端派

世の声に耳を傾けると、嫌いな派
閥は存在する。
だが彼等は「クリスマスに恋人が
居ない」「彼女持ちが妬ましい」
「帰省が嫌、料理を作らされるか
ら」
等が理由なのだ。
私は違う。
全く違う。
先ず恋人は欲しくない。
従って彼女が居る者は、羨ましく
も何ともない。
帰省はしないし、第一私の作った
料理を食べる奴はおるまい。
毒入りと思われている。

結局人間嫌い

矢張り結論はこれである。
人間が嫌い。
等と言うと、又早とちりが、
「ほほう。つまり人が怖いのだろ
う。対人恐怖症なのだろう」
と、したり顔でのたまう。
いいや?
ちっとも怖くないが。
人間なぞ血と肉のカタマリ。
仮に戦っても、簡単に斃せる。
金槌でアタマぶん殴ればよい。

対岸の火事

まあ、おぞけを振るう程嫌いって
訳じゃない。
隔壁一枚隔てた祭りは、割合と楽
しめる。
テレビの中映画劇中漫画小説のネ
タ。
或いは、六十年代七十年代の正月
やクリスマス。
懐古趣味の世界だ。
時間的空間的に隔絶されていれば
いい。
要は、致死性ウイルスをカプセル
に容れて眺める感覚だ。
何しろ、自分が参加しない。

最期に

とはいえ、作品のなかのイベント
は妙に惨劇の舞台となる。
クリスマスの殺人鬼や正月に起こ
る怪異。
理由は言うまでもなく、華やかさ
との対比。
残酷さが際立つからだが……。
同時に、祭りごと嫌いの私には、
解毒剤ともなっているのだ。
製作者側にも、多少の意図がある
気がする。
嫌悪派の苦痛緩和効果。

〈了〉

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