◇1 「ラムネ、入ってます。」
一人行動に対して抵抗があるタイプではないけど、初めて入るお店はやっぱり少しだけ緊張する。だけど、迎えてくれた店員さんが女の人だったからちょっと安心した。
木材の真新しい香りが漂う店内は、新しさゆえなのか殺風景と言ってもいいくらい。調理スペースを囲うように作られたカウンター席に、二人がけのテーブルが二つ。
シンプルな内装のところどころに飾られた植物が、なんだかやけに浮いてみえる。
「ハイボールください」
ビールよりもハイボールのほうがダイエットに良いらしい、と教えてもらって以降、なんとなくハイボール党になってしまった。別にそこまで気にしてるわけじゃないけど、といつも注文したあと、誰に言うでもなく心の中で言い訳する。
かしこまりました、と小さく聞こえる声に改めて見てみると、さっきの店員さんがひとりで準備をしている。
店長さんかな…あ、こういうお店だと女将さんって言うのかな。なんとなく近い年齢のように見える女将さんの動きはスムーズで、あっという間にハイボールと突き出しが並んだ。
丁寧に作られたことが一口でわかるハイボールと、優しい味の揚げ出し豆腐とほうれん草の和え物。
なんだか、妙にほっとしてしまって、勢いよく飲み終えて、追加で注文する。
誰かと話したくて、飲みにきたわけじゃない。外で飲むのが久しぶりと言えど、一杯やそこらで絡みにいくほど、弱くもないはず。
だけど、この女将さんのことがやけに気になる。
「お姉さんのお店なんですか。」
黙々と作業をしている手がぴたりと止まる。
「…そうですけど。」
「最近できたお店なんですか」
「そうですけど。」
「…。」
会話が続かない。まあいいか。ぱらぱらとメニューをめくると、シンプルな料理名の数々に思わず微笑む。凝ったものが食べたいわけじゃない。そういうときにちょうど良さそうなお店かも。
いくつか注文したあとに、何気なく表紙を見返すと、クリップで留められたちいさな紙に沿えられた、
「ラムネ、入ってます。」
の一文と手書きのイラスト。こういうお店でラムネだなんてちょっとちぐはぐすぎない?
そういえば最後に飲んだのはいつだったかな。心惹かれて思わず注文してしまった。
ポンっと気持ちの良い音と同時に栓が抜かれ、グラスと一緒に渡された。
しゅわしゅわ弾ける炭酸の泡は、いつだって綺麗。ふわりと酔いの回った頭で一口飲む。甘さはあるのにベタつかず消えていく炭酸に少しだけ名残惜しくなってもう、一口。
--あれ、こんな物語、ちょうど最近読んだ気がする。
日々のなんとなく接したものを小説に例えるのはいつの頃からの習慣だった。手に取ったものをかたっぱしから読んでは売っているので、手元に本はほとんど残らない。一つひとつ記録につけるほどまめでもないから、ものや思い出に近しい小説を連想して、かろうじて読んだ記憶を留めているような気もする。
ああそうだ。『砂漠』(伊坂幸太郎)に似ているんだ。
大学生の男の子たちのとびきりの青春。爽やかで、馬鹿っぽくて、一緒になって笑って、ハラハラして。だけど、そんな楽しくて刺激的な学生生活も卒業してしまえば、きっと長くは続かない。ラムネはそういう刹那的な青春小説によく似合う。
ほんの少しだけ過去に浸って、だけどわたしは大人になった今のほうがずっと楽に生きられるようになったからいいか、と思い直す。「戻れない」と思うと名残惜しいけど、ひとつしか選べないとなったときに迷いなく選べる今があるからそれでいい。
まっすぐ家に帰りたくない、だなんて思って電車を降りたけど、自分で働いたお金で家を借りて、生活して、たまに遊んで。全部自分で選んだ今の暮らしがわたしはきっと気に入ってる。
自分の家に帰りたくなってしまった。ふと気がつくとラムネはとうに飲み終わっている。
ううん、とひと伸びしてお勘定をお願いする。少ししか飲んでいないはずなのに、なんだかすごく良い気分。
「ありがとうございました」
さらりとした送り出しの声がやけに優しく聞こえた。
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「◆1 小さな反抗心」
もっともっと新しい世界を知るために本を買いたいなあと思ってます。