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シャニマス等劇場先行公開の潮流とテレビの衰退



親愛なるテレビ局の皆様

 いつも良質なアニメを放送していただき、厚く、お礼を申し上げる。
 標題のとおり、最近のアニメは、テレビ放送を差し置いて、劇場公開を先行させる潮流があり、このことがテレビ放送の衰退を象徴しているようで、一アニメファンとして危機感を持ったことから提言させていただく。
 テレビ放送に対する批判も記述しており、気を悪くされるだろうが、アニメのテレビ放送に期待を寄せる一ファンとしてご容赦いただきたい。

デレマスP、シャニマスアニメに魅せられる

 私は、ゲーム、アニメのヒットコンテンツ、アイドルマスター(略してアイマス)の一ブランドである「アイドルマスターシンデレラガールズ(略してデレマス)」の大ファンである。
 アイマスのファンの多くは、コンテンツに登場するアイドルキャラクターのプロデューサー(略してP)等と自称して楽しんでいる。
 私はデレマスPとういことになる。
 10月27日に全国各劇場で先行公開されたアニメ「アイドルマスターシャイニーカラーズ(略してシャニマス)第1章」は、デレマスとは別のアイマスブランドの一つである。
 そのアニメは、熱心なデレマスPである私をも魅了する素晴らしい作品だった。
 ネタバレを防ぐため内容には触れないが、2015年に全26話でテレビ放送されたデレマスのアニメに迫る出来だと思った。
 今回、公開されたのは第1章で、来年テレビ放送を予定するほんの4話分であり、デレマスのアニメの6分の1程度なのだから、私の見識力を差し引いても相当な出来だとお察しいただけると幸いである。
 なお、第1章では本編終了後、週替わりのアイドル画像が4種類上映され、観客は自身のスマホでそれを静止画撮影することが許されている。(※、上部画像向かって左が、私がそれをプリントしたもの)

劇場先行公開するテレビアニメの増加

「推しの子」
 4月から6月までのテレビ放送前の3月に1話を全国劇場で先行上映した。
「アイドルマスターミリオンライブ(略してミリマス)」
 10月からテレビ放送中だが、その全話を3回に分けて8月から全国劇場で先行上映した。
 「推しの子」は第1話のみの先行公開だったので、来るテレビ放送の番宣を兼ねていたとも言えるが、「ミリマス」は放送中でありながら、その最終話まで劇場公開されており、劇場で鑑賞した者はテレビ放送を観る必要が無い。
 今回の「シャニマス」も来春テレビ放送時には最終話まで上映を終える予定であり、ミリマス同様先行上映を鑑賞した者はテレビ放送を観る必要はないだろう。
 テレビ局が劇場でヒットした映画を公開終了後1年程度を経て「地上波初登場!」と名うって放送する売位があるが、今回は極端に公開終了からの期間が短い。
 なぜ、こんなに短くなったのか。
 テレビ局側に立てば、少し待っていれば劇場まで出掛けることなく鑑賞料金も払わずにテレビで観れてお得と言える。
 勿論、テレビ放送を待ちきれず、一刻も早くアニメを観たいファンが多いからというケースもあるだろうから一括りには言えないが、私の推察は、テレビ放送の低迷、いわばテレビ離れが進んでいるので、アニメ制作者側がテレビ以外の方法で売り込む方法を模索しているものとと考えている。
 アニメ制作者側はかつてほど、テレビ放送枠を獲得するのに注力していないのかもしれない。
 その証拠に、この秋から放送中の「プルート」はネットフリックス配信である。
 漫画界の巨匠浦沢直樹が偉人手塚治虫の名作に触発され描き上げた大ヒット作が原作なのだから、このアニメ配信を機にネットフリックスに有料加入した者も少なくあるまい。
 テレビ放送もNHKの受信料を支払うのだから、その料金の範囲内でアニメコンテンツが観れたらお得だが、いっそ、テレビを排して、ネット配信で好きなコンテンツを購入しようとする者が出るのは不思議ではない。
 以上は、すでにアニメやテレビの評論家等の多くが指摘しているようであるが、これに加えて私は、いわゆるスマホの普及により大多数の者がネットを利用するためにテレビ放送自体を受信する必要性が低下しているものと考えている。

テレビ放送受信の必要性低下要因

 テレビで最も必要と思われるのは個々人の生活に密着する天気予報とニュースである。
 アニメ等の娯楽番組は必須ではなく、天気予報とニュースを数時間おきに放送するまでの繋ぎ程度の存在である。
 そこで、天気予報とニュース情報を取得することを基礎として、テレビがスマホに劣る点を考えた。

1 放送という一方通行情報システム

  天気予報とニュースは、テレビ側から一方的に情報を流すだけのシステムなので、その中に視聴者の必要とする情報があるとは限らない。つまり、必要とする情報が0%の場合もあるのだ。一方、スマホは視聴者がネットにアクセスして必要な情報を取得できる。つまり、必要とする情報はほぼ100%と言える。

2 モバイル性

  もちろん、テレビの電波でもデータにアクセスでき、天気予報やニュー スを視聴者側から調べることはできる。
  ところが、テレビは、ポータブルでない場合等は、一般的にスマホのように携行できないので、視聴者はテレビの設置場所でしか情報を受け取ることができない。すなわち、モバイル性に劣る。
スマホでテレビを鑑賞するなら、勝負は引き分けだろう。

3 情報の重複放送

  地上波テレビ放送の視聴者が受信できるテレビ局が5~6局程度ある。
  NHK、FBS、TBS等だ。
  複数あるのに、天気予報とニュースの内容が同じである。
  これでは、1局しかないのと同義だ。
  おまけに、放送時間も重複することが多く、視聴者側からすると、その分、受信する情報量が少ないのと同義である。
  各局、個別にはそれぞれ多くの情報を放送しているつもりであろうが、同じ内容を同時に放送すれば1局以外は無駄骨になる。
  ひょっとすると番組に出演する司会者や気象予報士が各局違うから重複していないとでも思っているのだろうか。
  放送時間は1日24時間と限界がある中で、内容が同じならどんなに局数を増やしても情報量は増えない。
  放送内容が重複する具体例を挙げると、最近では、イスラエル、減税、ジャニーズ、落雷等であろう。
  視聴者がチャンネルを変えても全局同じニュースを放送している。
  視聴者の中には、それ以外の放送内容、例えば、公共交通機関の運行状況、知人の不幸事など、熱望する情報があるはずなのに、テレビ局側が自ら、それらの情報を締め出すような番組作りをしている。
  前述したとおり、そもそもテレビ局側が一方的に流すシステムのため、受信者のニーズに応えられる情報は流す量以下となる宿命なのに、内容が重複すればするほど無駄になる。
  他局とは別の内容を放送すれば済むのに横並びにこだわるのが不思議だ。
  例えば、台風の接近から通過まで、全局が個別にその台風だけを放送し、その後は一斉に台風情報の放送を止める。
  一糸乱れぬ行進のようだ。
  しかし、その際は、交通等の復旧状況の情報が必要なのだ。
  放送内容が重複するので、台風一過なのに、視聴者は遅刻する瀬戸際に  追い込まれるかねないのだ。
  ニュースは多ければ多いほど良い。
  そうめん流しで白いそうめんばかり流すより朱色や抹茶色のそうめんも流した方が子供は喜ぶと思う。
  テレビはこのような有様である一方、スマホは、最近イスラエルで埋め尽くされ忘れ去られたウクライナの情報も漏れなく取得できる。
  各局は視聴率にこだわって番組作りをするらしいが、率より視聴者の総数にこだわるべきではなかろうか。
  競馬に例えればG1から草競馬に規模が縮小していたのに気づかず、デッドヒートしているようなものだ。
  しかも、出走馬がどの草競馬場でも同じなのだ。せめて、馬くらいは変えた方が良い。
  最近は、「ジャニーズ問題」という名の出走馬を各競馬場でたらいまわしにするため、それで枠が埋まり、週刊文春が取り上げた「木原事件」という馬は出走できないようだ。
  木原事件の当事者はテレビの視聴者に選挙で選ばれた国会議員なのだから、一私企業のジャニーズより公益性が高い。
  他局との重複をなくせば、理論上は、放送できるニュースが現在の5~6倍になるのだから、偏向報道等と批判されることもなくなるのではないか。

結論

 テレビ放送の必要性が低下しているにも関わらず、アニメ等娯楽番組は良質だと思う。
 それらの足を天気予報とニュースが引っ張っていると思う。
 シャニマスは来春テレビ放送すると告知されているも、放送局や日時等が未定である。
 このまま、テレビ放送自体の必要性の低下に歯止めがかからないと、テレビ局が潰れてシャニマスの放送も危ぶまれるのではないだろうか。
 シャニマス放送の暁には、多くの視聴者から好評を獲得し、合わせてテレビ放送の存在が見直されるものと確信している。
 テレビ局にはせめて天気予報とニュースの、他局との重複を避け、スマホで得る以上の幅広い情報を放送することをを目指し、放送の必要性の向上に努めて欲しい。
 

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