見出し画像

日記 vol.3 日常生活 (2022)

気がついたら10月になっていた。恐ろしい。9月は慌ただしくて結構あっという間に終わってしまった。何もしてない訳じゃなくてやることが沢山あって早く過ぎてしまったならいいことだと個人的には思うので、良いのだけど。

ただ、慢性的に疲れていた。それは間違いない。寝ても疲れが取れていない感じがしたし、部屋も片付かず雑然としていた。これは良くない兆候だ。そこで、この週末は予定を入れるのをやめて、家や自分のことをしようと思ったのだ。

わたしは「日常生活」がとにかく苦手だ。家事より仕事をしていたいと思う。同じことを繰り返す行為には、どうも楽しさを見つけられない。好奇心が生きる原動力で、毎日同じことの繰り返しはとてつもなく苦痛。

今の家では料理の担当からは免れて、洗濯と皿洗いが基本の家事分担になっているのだが、あまりに苦手すぎるので、必ずラジオやポッドキャストを流しながら行う。「ポッドキャストを聴くついでに家事をしている」という本来と逆の状況を作り上げ、自分を騙すことに成功している。なので皿を洗うことにも洗濯物を畳むことにも、実は全然集中していない。本当は良くないことだと思う。集中していないから時々皿割る。

料理、これも苦手である。食べることは好きだけど、好き嫌いがあまりなく、こだわりもない。食べられれば基本何でも良い。その上せっかちなので、すぐ食べたい。だから一人の時は食パンを焼いてバターを塗るくらいしかやらない。(コーヒーには何故かこだわりがあり豆から挽いている。自分でも不思議、偏りがすごい)

そんなわたしがこの週末は前向きに家のことをしようと思った。
朝からシーツとマットを洗い、ベランダを拭き、干した。しかもそれを終えて、気分が良いと感じた。すごい。大物を洗うなんていつもだったら苦痛で仕方ないのに、そうではなかった自分の感覚に驚いた。
窓も開けて空気を入れ替えて、部屋に入ってくる風が気持ちよかった。液晶のブルーライトが眩しくて、画面から目を外して、細く日差しが入る場所をぼんやり見つめた。
普段は食パンしか焼かないのに、目玉焼きを焼いた。バターの香りがすごくよかった。コーヒーもいつもより丁寧に淹れた。どちらもやばいくらい美味しかった。

こういう時に何が理由なのかすぐ分析してしまう癖があるのだけど、正直わたしが何故そう感じたのかはわかっていない。丁寧な暮らしだとか日常なんてわたしには合わないしいらないなとずっと思っていたけど、急に向き合いたくなった結果、素敵ないい気分になれたのも興味深かった。

わたしはわたしのことを誰よりも良くわかっていて、他の人よりも時間をかけて分析している自信があるけど、自分でどれだけ想像しても予期しない感情や気分って訪れることがある。
わたしのことなので、またこの感覚をしばらく忘れるとは思う。不思議な一日だった9月の終わり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?