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2千年前の論破王、維摩さんも「ふに」っとしてた。


聖徳太子も読んだお経


飛鳥時代、聖徳太子は
中国から3つの仏教の経典を輸入しました。

誰もが平等に救われることを説いた「法華経ほけきょう

戒律さを守る大切さを説いた「勝鬘経しょうまんぎょう

そして「維摩経ゆいまきょう」です。

なかでも維摩経は、
仏教の経典の中でも、
異色の経典といわれています。


主人公は一般人のおじさん!?


なぜかというと、
ほとんどのお経は主人公が仏教の創始者、
釈迦しゃかなのですが、

維摩経は、維摩ゆいまさんという
一般人のおじさんだからです。


しかも酒、博打、女好き、、、


維摩さんは、
お酒も飲みます。
賭け事もします。
奥さんがいながら色町に通ったりします。


釈迦の厳しい戒律からみれば、
いわゆる外道げどうです。

それでも釈迦はなぜか
維摩に対して親切にしていました。

そんな維摩さんが、病気になりました。

釈迦は自分の弟子たちを
お見舞いに行かせようと頼みますが、
ことごとく断られてしまいます。

なぜなら、釈迦の弟子たちは
みんな維摩に論破されたことがあるからです。

しかも、
弟子のそれぞれの得意分野
何もわかっていないと論破されてしまいます。

論破王エピソード


例えば智慧ちえ第一の舎利弗しゃりほつさん、

ある時林で、釈迦の教えを守り静かに瞑想していたら、
維摩さんがやってきました。

「いやいや、林で瞑想できるのは当然でしょ。
迷いや苦悩でいっぱいの日常生活の中でも、
心を乱さない、そういうトレーニングしなきゃ。」

舎利弗さんは論破されてしまいました。


他にも密行みつぎょう第一の羅睺羅らごらさん、
釈迦の唯一の息子です。
ただ維摩さんは忖度しません。

羅睺羅さんは、
なぜ出家したのか、
若者に質問されたとき、

「利益や功徳を得るためだ」

とこたえました。

そこにヌっとあらわれた維摩さん、
「あれ、利益も功徳も、
求めないのが出家じゃないの。
出家って目的があってするものじゃないでしょ、
生き方の問題でしょ。」

羅睺羅さん、釈迦の息子なのに
そのへんのおじさんに論破されて面目丸つぶれです。

とにかくこの維摩さんは、
とにかくズバズバっとしているのです。
まさに2000年前のひろゆきなのです。

維摩は善逸ばりの雷の呼吸の使い手!


こんな維摩さんが伝えたかった
コアメッセージがあります。

それは「不二の法門に入る」。
この不二は「ふに」とよみます。

これは、私たちのなかで
敵と味方、
好きと嫌い、
綺麗なものと汚いもの、
理想と現実、
清いものと俗なもの、

こういった対立がなくなった
世界へと行くことです。

どうしてそもそも対立は
生まれてしまうのか、
維摩さんの周りに集まったみんなが
口々に言いました。

「世の中、白黒はっきりさせたがるけど、
それを決めてるのって私たち自身だよね、
それに気づくことなんじゃない?」

「そもそも二つに分けるには言葉がいる。
だから言葉から離れないといけないんじゃない?」

「つまり、良いとか悪いとかの
先入観やとらわれをなくすことが
不二になるのに必要なんじゃないかな」


最後に維摩も不二について問われました。

一。

二。

三。

維摩は黙ったままです。
それが、維摩の答えでした。

ゴロゴロピッカーン。
周りの皆は稲妻に
打たれたように気づきます。

「そうか、言葉のない世界こそ、
白と黒の境界のない世界だったのか!」

維摩の一黙、雷の如し。
維摩一黙ゆいまいちもく
実際にある四字熟語だそうですよ。


真実はいつもふたつ!


この不二の考えは、
二諦にたいという考えにも通じます。

世界には、
勝義諦しょうぎたいという極論的な真理と
世俗諦せぞくたいという俗世間的な真理が
二つセットで一つである(不二)ということです。


たとえば、仏教では「くう
という考えがあります。

あなたに、
どんなに立派な夢があって、
たとえそれを実現したとしても、
いつかその実現したものは
崩れてなくなります。

目に見えるものは、いつか形を失う。
それが空です。

これは極論をいえば、
すべての物事に当てはまる真理でしょう。


でも、だからといって
あなたがどんなに夢に向かって頑張っても、
いつかはその意味がなくなるとしても、

それはむなしいからやめなさいと
諭すことばかりが正しいことでしょうか。

そういったものに一生懸命打ち込むことも、
そんな姿に憧れを抱いてしまうことも、
時に、夢に呪われてしまうことも、
また、俗世間的には正しいこと、
もうひとつの真理なのです。


古い思想を学ぶ意味!


こういった現代にも通じる思想が、
2000年以上前のインドで
生まれていたのだと思うと、

私は、ああ、
人間の頭脳って数千年単位じゃ、
進化していないんだな
と思います。
(科学的にも、進化していないはずです。)


だからこそ、
大昔の思想に学ぶ意味が
あるんですよね。

同じ頭脳の人間が考えたことだからこそ、
そして時代を超えて大切にされてきた言葉は
もっと真実に近いからこそ、
参考になるんですね。

維摩経が気になった方、
そして経典の最後に語られる維摩の正体が気になる方は、
「ツレがうつになりまして」のてんてんさんが
漫画書いているので読んでみてください。


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