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最大遺物としてのnote

noteで尊敬する人は数あれど、
ひとり選べといわれれば、
それは間違いなく、イトーダーキの兄貴です。

私がnoteをはじめたとき、
この人のようにかけるようになりたい
そう思ったのがダーキさんです。

ダーキさんのnoteにたまに出てくる、
自分の子どもや孫のために、
「思想を後世に残す」ためのnote
という考え方がスキです。

僕のnoteも、他のSNSも、
きっとインターネットのどこかに残る。
それをずっと先のだれかが、
読んでくれるのでしょうか。

100年前、内村鑑三も箱根で同じことを考えた


Happyさんに以前すすめられた、
内村鑑三の「後世への最大遺物」という本では、
鑑三による、箱根の2日間の公演の様子が書かれています。

それで後世への最大遺物のなかで、まず第一に大切のものは何であるかというに、私は金だというて、その金の必要を述べた。しかしながら何人も金を溜める力を持っておらない。私はこれはやはり一つの Geniusジーニアス(天才)ではないかと思います。私は残念ながらこの天才を持っておらぬ。ある人が申しまするに金を溜める天才を持っている人の耳はたいそう膨ふくれて下の方に垂れているそうですが、私は鏡に向って見ましたが、私の耳はたいそう縮んでおりますから、その天才は私にはないとみえます(大笑)。

1日目のかんぞう「お金を残すのは大事だけど、おれにその才能はないわ」

さて、私のように金を溜めることの下手なもの、あるいは溜めてもそれが使えない人は、後世の遺物に何を遺そうか。私はとうてい金持ちになる望みはない、ゆえにほとんど十年前にその考えをば捨ててしまった。それでもし金を遺すことができませぬならば、何を遺そうかという実際問題が出てきます。
事業とは、すなわち金を使うことです。金は労力を代表するものでありますから、労力を使ってこれを事業に変じ、事業を遺して逝くことができる。金を得る力のない人で事業家はたくさんあります。

1日目のかんぞう「お金を使うのは得意だから、事業家になったらいいのかなあ。」

昨晩は後世へわれわれが遺して逝くべきものについて、まず第一に金のことの話をいたし、その次に事業のお話をいたしました。ところで金を溜める天才もなし、またそれを使う天才もなし、かつまた事業の天才もなし、また事業をなすための社会の位地もないときには、われわれがこの世において何をいたしたらよろしかろうか。

2日目のかんぞう「金も事業も社会の地位もなかったら、何をしたらいいんだろう」

それゆえに私に事業の天才もなし、またこれをなすの位地もなし、友達もなし、社会の賛成もなかったならば、私は身を滅ぼして死んでしまい、世の中に何も遺すことはできないかという問題が起ってくる。それでもし私に金を溜めることができず、また社会は私の事業をすることを許さなければ、私はまだ一つ遺すものを持っています。何であるかというと、私の思想です。もしこの世の中において私が私の考えを実行することができなければ、私はこれを実行する精神を筆と墨とをもって紙の上に遺すことができる

2日目のかんぞう「金も事業もだめだとしても、思想なら残せるんじゃないか?」

ここにいたってこういう問題が出てくる。文学者にもなれず学校の先生にもなれなかったならば、それならば私は後世に何をも遺すことはできないかという問題が出てくる。何かほかに事業はないか、私もたびたびそれがために失望に陥ることがある。しからば私には何も遺すものはない。事業家にもなれず、金を溜めることもできず、本を書くこともできず、ものを教えることもできない。ソウすれば私は無用の人間として、平凡の人間として消えてしまわなければならぬか。

2日目のかんぞう「金も事業も思想も残せない、俺は平凡のまま消えていくのか、、、!!」

それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないと思います。しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。もし今までのエライ人の事業をわれわれが考えてみますときに、あるいはエライ文学者の事業を考えてみますときに、その人の書いた本、その人の遺した事業はエライものでございますが、しかしその人の生涯に較くらべたときには実に小さい遺物だろうと思います。

2日目のかんぞう「ついに悟ったわ、高尚な生涯を送るわ」


今日僕は生き方を褒められたぞ


今日は以前からnoteで拝見していた
「佐藤さおり」さんとzoomでお話しました。

余りあるお褒めの言葉をいただきました(笑)

鑑三のように、

失望の世の中にあらずして、希望の世の中である
悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中である

このように思いながら、
人と接する人生を送りたいなと思います!



岩波文庫もありますが、青空文庫もあるので、
無料で読みたい方はこちらからぜひ読んでみてね。

▼青空文庫(無料)

▼岩波文庫(有料、デンマルクの話も面白いよ、一人の勇敢なかんちがい野郎の話)



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