相手のために、相手の身になって

「相手の身になって考えろ」「相手のために何ができるが考えてみろ」この二つは同じような意味で使っていることが多い。もちろん使い方を間違えれば、大きなお世話だったり、押し付け以外のナニモノでもない。

「相手のために」
多少犠牲を払ってでも、相手の利益を考える行為。介護・医療の世界では、相手の相手の立場に立って、相手のために行動することが求められる。嫌なことも時にはするから。情けは人の為あらずと思い、見返りをネチネチ求めず、潔く困っている人は助けよう。返報性の原理によって、人から何かをしてもらったことは、必ずお返しをしなくてはいけないと感じるものなのです。

「相手の身になって」
言葉であれば同じことを言われたなら、どんな気持ちになるかを考えて発言しようという意味になる。これが体のことや病気ならば、相手の代わりにはなれないから想像するしかない。この想像力が重要になってくる。価値観というバイアスが入る余地があるから個人差は大きい。道徳的な表現とも言える。

相手の身になって考えることが重要な場面がある。その一つがマーケティングだ。介護の現場では利用者の集客と介護求人が考えられる。介護利用者がサービスの中身が見えにくいデイサービスや訪問介護サービスなどの介護サービスをどうやって決めるか。サービス内容がほぼ均一な介護保険サービスをどう選ぶか。彼らは決める後押しをして欲しかったり、信用している人からサービスを買いたいのだ。事業所検索ではなく、”人”検索している時代にとっくに入っている。介護求人なら、労働賃金がほぼ一定ならば、どこで働きたいかより、誰と働きたいかです。どうPRするかは発信者都合ではなく、相手の身になる必要がある。

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