私はよく繰り返し昔住んでいた家が夢に出てくる。幼少期を過ごしたトラウマの強いゴミ屋敷だったマンションから、中学から実家を出るまで住んでいたボロボロな和風の一軒家だったり、もっと遡るといちばん楽しかったシャンデリアがある豪邸と呼んでもいいバンコクにあったタイの親戚の家まで、とにかく家での夢をよく見る。 今から書くnoteは私の過去の記憶であり、胸糞悪い家庭環境を描いた、実際に私が生きた幼少期をただなぶり書くだけの話だ。 まず一つ目マンションの話をしよう。 この部屋が私にとっ
なんだか誕生日前っていつも構えちゃうんです。 いつも通りに過ごせなくてソワソワしてしまう。 だって、もうすぐで私が生まれた日! お母さんとお父さんが愛し合って、神様が選んでくれて私という愛の結晶が誕生した日。 ちょっとロマンチックな言い方になってしまうけれど、私はいつもそう思っています。もちろん、これを読んでいるあなたも、紛れもなく選ばれた愛の結晶のひとり! 誕生日の前日あたりに毎年私は、たくさんの経験を与えてくれた全てに感謝をする時間を作っています。 なので今日はしばら
人は今までどれだけのことを許して生きているのだろうか。 私は何でも全て根に持つタイプだ。あの時あんな事してきたあいつは今ごろ何やっているんだろう。どうしているんだろう。はあ絶対に許せないなあ。 そんな事ばかり急にフラッシュバックして頭に入って来る毎日だ。 それが起きてしまうと、まるでその人が今目の前に現れ直接いやな言葉を直接浴びせられたように胸がドクッとなるし、ちゃんと怖いし、腹が立ってしまう。それはもうさすがに時効だろ〜。と言われても仕方がないほど、もう何年も昔のことな
帯状疱疹になってしまった。 タイトルに書いてあるとおり単純に(痛み)を感じている。こうなってしまったのも色々と思いつくことがある。何度も配信などで話していたが、わたしが今回TOKYO PINKでのオーディションを受けると同時に、過去にZsaszという名のアイドルのラストライブに向けて怒涛の日々が続いたからだ。 しかしそれは、誰かに強いられた訳でもなく、私が、私自身が選んだ選択だったから、生半可なことは絶対に許さなかった。同時進行で行うのであれば、どちらにも本気で真っ当に、正
それは夏が始まる少し前、私たちは薄々と気づいていた。きっと、今ここから見える景色は、永遠ではないことを。 大切な衣装と化粧道具が入った、重たい荷物を背負い毎週訪れるアイドルイベント。会いに来てくれるあなた。また来週ね!と笑顔で返す日々。気づけばそれら全てが私たちの生活の一部になった。 明日も明後日も、そんな毎日が続いていく。 それでも、そんな日々がもうすぐ終わりを向かえる事を私たちは気づいていた。 誰かが言った「もう終わりにしよう」 そして誰かが言った「まだ諦めるのには早
ふと、何かのキッカケで言われた。 「どうか、生き急がないでね。」 私はその言葉を言われた時、とても美しい文章だと感じた。そして、嬉しかった。私は今まで、何度「死にたい」と思ったのだろうか。間違いなく数え切ることはできない。私はその部類の人間だ。 いつかのnoteにも書いたと思うけれど、 初めに死を意識し始めたのは小学四年生頃。母が母の彼氏を何度も家に連れ込むので、気を引くために深夜外に出てみた。ドアの音を大きく閉めたにも関わらず、母は追いかけてくれなかった。そうだ!腹い
恵比寿LIQUIDROOMのLIVE中、私の中で光眩く、様々な感情が駆け巡りました。 ステージの上から見えるみんなの笑顔と、天井にはバチバチと輝く照明の光。そして、重低音が美しく鳴り響くZsaszのサウンドが、時には激しく、時にはスローモーションのように感じ、私の体を弾くように突き刺さり、体を撫で、手の上で操り、そして水のように流れて行きました。 そんな中、光の速さで眩くパチンパチンとこの感情が鳴り響きました。それは 「愛」「悔しさ」「希望」そしてまた「愛」 繰り返される
私たちZsaszは11月4日(日)渋谷club asia 4周年ワンマンライブを最後に、解散します。 2019年10月22日 渋谷GARRETでデビューしてから、毎日が手探りでした。アイドル経験が全く無い私たちは、ステージ上での立ち振る舞い、ダンス、歌などの指示を特別誰から教わること無く、自分たちのミスは自分たちで見つけ、互いに教え、支え合ってきました。 例えばよくありがちな話で、アイドルグループという物は、自分の歌割りがもっと欲しかったり、センターになりたかったりする子
私のSNSは当たり障りのない、誰かを傷つけることなく、応援してくれているみんなに向けての言葉だけになった。 もちろんそれは、本当に心から思っている気持ち。 みんなを考えると優しい言葉ばかりが出てしまう。私のSNSは愛で溢れてしまった。 かつて自由の身だった頃は、なにもかも言いたい放題だった。 顔も知らないアカウントからカチンと来るような言葉を言われたときには"うるせーだまれ!"と、マジレスに暴言だけで返すような一番ネットでは関わりたくないタイプの"痛い"人間そのものだった。
今日も昼過ぎに目が覚めて、雨が降っていた。起きてから一番最初に見るもの、それはスマホの画面。あと10分で部屋を出なければ病院に間に合わない。急いで支度をして、ロケットをひと撫でして、歯を磨いて、深く帽子を被り、マスクをして外へ出た。 私は自分を有名人でもなんでもないと思っている。地下アイドルを芸能人だとは思わない。けれど人前に出る仕事をしている以上、いつどこかで、誰かに見られているか分からないので、警戒心は怠らないように日々生活している。 特に私は目立つ場所にトレードマー
今日は11時に目が覚めた。 一般的に見るとずいぶんとゆっくりとした起床だ。 アイドルになってから一番嬉しいことが、朝、起きる時間が毎日違うこと。そして毎日向かう場所が変わることだ。 前回のバイトをやっていた話から繋げると、私は毎日決まった時間に起きて決まった場所へ行き、決まったことを繰り返し行うことがとても苦手だ。 なので、正直地元で働いている時はかなり苦痛だった。ひとつの目標と、守るべき存在が居たからこそ最後までがむしゃらに続けられたのであろう。 なので上京してからは、ど
私は昔から、体が弱かった。 今このnoteを書いている瞬間も37.7℃の熱を出している。しかしこれは、外部から受けたウイルス性の"風邪"というものではないのだ。私は知っている。 行きつけのお医者さんから伝えられたこの症状の名は 「心因性発熱」 これは、心のストレスから発熱してしまうストレス性の発熱なので、一般的に処方される鎮痛剤を与えても、あまり効果が見られないのだ。 唯一の治療方法は ・安定剤 ・抗うつ薬 ・(十分な睡眠がとれていない人では睡眠薬)が有効※Google
あ、すみません、クソとか言っちゃって。 改めまして 昔昔あるところに、赤ずきんという名前の女の子が居ました。赤ずきんは、森の奥に住む病気で弱っているおばあさんの所に、お見舞いに行くことになりました。 ところがどっこい、おばあさんはもう既に オオカミに食べられてしまいました。 「どうしておばあさんの目はそんなに素敵なの?」 「どうしておばあさんの髪は白くて美しいの?」 「どうしておばあさんは、いつも私たちを待っていてくれていたの?」 そんな質問もできないまま、時間だけが私
3日目が終わりました。 怒涛の3日間すぎて途中本気で何度も気が失いそうになるくらい、具合がとても悪かったです。 普通に熱中症でした、日本の気温に慣れた人間にとっての40℃手前はレベチすぎた。 まず、初日の早朝タイに到着してから、デパートにてすぐに日本円をバーツに両替し、タイで一番熱いとされる4月の、一番熱い時間帯12〜14時頃チャットチャック市場に行きました。 ここは土日限定で行われる世界最大規模のウィークエンドマーケットです。ここに無いものはタイのどこを探してもない!と、
今私は、4/5これからライブハウスへ向かうところ。 いつも真夜中ベットの上で書いているnote 基本的にステージでは見せない私の心の中にある、小さくて弱い姿をnoteにぽつりぽつりと残している。 電車の中で書いているので、つたない所や間違っている表記をするかもしれないけれど、今感じている想いを残していこうと思う。 今日は、なんだか心が少し落ち着いていて、清々しくて、外は思ったよりも暖かくて、パーカーを着るにはもう暑いくらいだ。 バンコクは今37℃ 真夏のカンカン日和!
私は小さい頃からよく怒る子だった。 自分の思い通りにいかないこと、予想していた事とは違う結果が待ち受けていたこと、欲しいものが手に入れられなかったこと、全てに怒り、泣いていた。 怒りという感情はとてつもないエネルギーがある。 人は、怒っているときが一番強い。普段50%の力で動いている人間が、怒りに満ちると150%の威力が出てしまうのではないかと思うほど 怒りという感情は人をいくらでも傷つけられるし、思いもよらない行動に移ってしまう。 そういうニュースをよく見るし。 全ての