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竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(2)

〈前回のあらすじ〉
 原子力発電所で勤勉に働く父親が失踪した。諒(まこと)は兄の直(なおし)が寡黙に働けば働くほど、母親が肩身を狭くして陰鬱になればなるほど、この先の自分の将来に希望や活力を見い出せなくなっていった。やがて原発から父親の解雇が言い渡されると、いよいよ諒は自分の実態すら危ういもののように感じ始めた。そんなとき失踪届を出していた警察から、父親の死が知らされる。

 2・父親の言い訳、魂の行方

 父親は山中に止めた車の中で、絶命していたそうだ。

 目張りをした車の中で大量の睡眠薬を飲み、排気ガスをホースで車内に送り込むという、今時流行らない死に方だった。

 警察にそれを知らせたのは、父親と一緒に心中を図り、幸か不幸か一命を取り留めてしまった女だった。母親は躍起になってその女の素性を警察に尋ねたが、警察は「知人女性」という以上の情報を明かしてくれなかった。もしも軽率に個人情報を明かしてしまえば、被害者家族からの報復を受けかねないと、警察も敏感になっていたからだろう。

 男と女が示し合わせて心中を図ったのだから、それなりに親密な間柄だっただろうことは想像できていた僕は、出来ることならこのままその女の素性を知らないまま、ことを終わらせたいと思っていた。その理由は幾らでも用意できたが、本質的な望みは、父親の死は心中などという破廉恥なものではなく、雪山で遭難したとか、客船とともに海に沈んだとか、僕らの手ではどうしようもなかった不慮の事故であったと思い込んでいたかったからだ。警察での聴取や手続きに奔走した直も、おそらく僕と同じ気持ちだったに違いない。

 父親の自殺は、地方紙の不動産広告に紛れるように、小さく報道された。五十を過ぎた男の終幕にしては、実に粗末な記事だった。

 これくらいの記事ならば、誰も気に留めないだろうと高を括っていたが、近所での風評は早い段階で巡った。何故それを僕らが知ったかというと、夏休みが終わり、二学期が始まって程なく、同級生たちと僕との間に、奇妙な隔たりが生まれたからだった。

 随分と長い間、僕は父親の失踪を教師やクラスメイトに零していなかった。もちろん積極的に公表する必要もないことだったが、父親の死の風評が僕のクラスに蔓延すると、僕が父親の失踪を故意に隠蔽していたのだと決めつけられた。そうなると、愛人との逃避行の末の心中という父親の最期が、あたかも人道を外れた罪を犯したかのように扱われ、教師からもクラスメイトからも、明らかに僕は疎外された。それは腫れ物を触るような接し方ではなく、教室から僕の存在を排除するかのような、目に見えない威圧のようなものだった。ただでさえ進路に前向きではなかった僕だったのに、それに加えて家長の失踪と心中が白日にさらされては、邪教に身を浸した異教徒のように扱われても、仕方のないことのように思えた。

 教師やクラスメイトだって、僕を迫害したところで何の得にもならないことはわかっていたはずだが、僕と周囲との間にできた深い川のような隔たりは日に日に広がり、どうにも埋めることは出来なかった。それに、もしも隔たりを埋めようとその川に足を踏み入れれば、僕はあっという間に暴れる濁流に飲まれてしまったに違いない。たから僕は、受験だとか就職だとかに躍起になっている連中の中で、長いラリーをネット際で見守るボールボーイのように、ただ沈黙し、卒業と言うゲームセットがやってくることだけを待つほかなかった。

 高校へ通うことへの意欲を削がれていたのに、なぜ卒業まで居座ろうとしたかと言えば、会社を無断欠勤した挙げ句に、心中事件を起こして社名に泥を塗った社員の息子というレッテルを甘んじて受け、それでも会社を休もうとも辞めようともしなかった直が僕のそばにいたからだ。

 確かに直は寡黙で忍耐強い兄だったが、決して淡白でも冷酷でもなかった。だから、父親が起こした不祥事に少なからず胸を痛めていたはずだった。ただ、激しい流れに囲まれた中洲に取り残されたように、どうにも身動きが取れなかった直は、その痛みを受け止め、寄り添い続ける覚悟を決めたのだろうと、僕は感じていた。そんな直を置き去りにして、僕だけ楽な道を選ぶことは、到底できなかった。

 父親の葬儀は、父方の親族によって一方的に仕切られ、簡素に済まされた。やはり、心中による死という世間に対する後ろめたさから、叔父や叔母の表情は、窯に入れる前の粘土細工のように血の気が見受けられず、冷めていた。その中で母親は、秀才だった父親を死に追いやった妻として、父方の親族から責められ、配偶者という身分でありながら、葬儀の一切に関わらせてもらえなかった。

 父親を収めた棺が炉の中で燃やされ始めた時、僕は直の姿が焼き場に見当たらないことに気付いた。焼却炉の鉄扉に向かって手を合わせている親族を尻目に火葬場を出ると、直が敷地の中庭の木のたもとに立っているのを、見つけた。

「なにやってんの?」

 高校で指定された白い開襟シャツを着た僕は、熱されたアスファルトの上を歩きながら、直にそう言った。直は夏服の喪服をきちんと着こなし、こめかみにうっすらと汗を浮かべていた。

「最近の火葬場は、煙突がないんだな」

 直は焼却炉があるあたりの上空を見上げながら、病み上がりの肺炎患者のようなかすれた声で、そう呟いた。僕も直の視線を追って、潔く青く塗られた舞台背景のような夏空を、振り返りながら仰いだ。

「煙突から人を焼いた煙がモクモクとあがるのは、やっぱり近所の人にしたら、迷惑なんじゃない?」

 僕がそう言うと、「そうだな」と自嘲するように、直は唇を歪めた。

「魂とか、やっぱり見えないんだな。まぁ、見えないにしても、こうして見上げていれば、何か混じるものがあるかと思っていたよ」
「お父さんの、言い訳とか?」
「言い訳もしたかっただろうけど、なんか、もっと大事なことを言い残したかったんじゃないかと思ってさ」

 直の言葉を聞きながら、人の死とは、案外あっけないものだと、僕は思った。

 もしも父親が重い病に伏して、僕ら家族が長きにわたって父親を看病していれば、その末に訪れた死にも、いくらか深い感慨があっただろう。だが、父親は人目のつかない場所で自殺を決行した。それは自分の死期を悟った動物がテリトリーを離れ、単身で密かに命を終えることとは違った。人間だけが行える自殺は、その者の傲慢だけが浮き彫りになり、僕らに虚しさや悔しさしか残さなかった。

 やがて、父親の身体は燃え尽きた。

 納骨を待つ親族を呼ぶために待合室に向かって歩いていく火葬場の職員を、直は見るともなく見ていた。僕は僕よりも幾分背の高い直の横顔を盗み見たが、直は悲嘆に暮れるわけでもなく、怒りに震えるわけでもなく、薄くて頑強なガラスの仮面を被ったかのように、ただ無表情だった。僕は僕なりに、直の心情を察しようとしてみたが、冷たくてドロドロとした溶液に落としてしまった指輪を手探りで探すような虚しい行いだと気付き、深く息を吸い込んでから、静かにため息を吐いた。

「さ、行こうか」

 そう言って、直は木立の陰から歩み出た。僕もそれに続こうとしたが、思うように足を踏み出せなかった。

 おろしたての喪服を着た直の背中が、過酷な戦いの末に何も得ることが出来なかった侍のように見えたからだ。

 直が自室で首を吊って死んだのは、それから一年後のことだった。

竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(3)につづく…。

〈あらすじ〉
 父親を心中で、兄の直(ただし)を自殺で立て続けに失った諒(まこと)は、塞ぎ込んだ母親を見守りながら、希望もなく、しかし絶望もない日々に、ただ身を委ねていた。ある日、父親の墓前で謎の女に出会ったことやその女から水族館に関する本が送られてきたことで、諒の心が少しずつ揺らぎ出した。やがて、水族館で働き始めた諒は飼育係の竹五郎さんや気立てのいい女性事務員、突如現れた直の友人と関わるうちに、兄が残した遺産を辿る旅に出る。生きづらさに翻弄される人々が、遠くの星の輝きを手繰るように、手放した希望や救いを取り戻そうとする物語。福島第一原子力発電所事故を記憶に留めるために筆者が書いた渾身の「原発三部作」の第一部。第二部は『出口は光、入口は夜』、第三部は『CLUB ONIX SEVEN STEPS』。

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