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夫の陣痛は何も生まない

気が立っている時は、どうでもいいような些細なことに異常に苛立つものだ。その時、私の神経を逆撫でしたのはチョコレートのにおいだった。

カーテンを閉めきった個室でもう何度目か分からない強い痛みに耐えていた。いや、耐えていたとは言えなかったかもしれない。幼い子どものように「痛い!痛い!痛いよぅ」と叫んでいた。
もう昼なのか夜なのかも分からなかった。

夫はひたすら腰をさする役に徹していた。
諸先輩の経験談によると、出産時の夫の振る舞いは主に2パターンあるという。傍らの夫の励ましで出産を乗り越えた夫婦がいる一方、オロオロしたり、舞い上がったりして妻を苛立たせる夫も少なくないらしい。
どちらかといえば後者ではないかと秘かに予想をされていた彼は、誕生の瞬間には立ち会わないことになっていた。
但し、付き添いはしてほしい。そんなわけで会社を休み、わめき続ける妻に付き合っていたのだった。

前日の明け方に入院したものの進展がなく、その日は促進剤を使っていた。それでも陣痛はなかなか強まらない。昼になり、夕方に差し掛かってもまだ膠着状態が続いていた。

私は状況が変わらず、終わりが見えないことに、苛立ち始めていた。
休みなくやってくる陣痛の波。一度休めれば頑張れるのにと思うが、休んでしまったら終わらないことも分かっている。でも、この痛みから逃げたい。誰か、この痛みを止めて!
もう少しで赤ちゃんに会えるなどと考える余裕はなく、痛い痛いと叫ぶ声の大きさに辛さをぶつけて、時間をやり過ごすほかなかった。

そこへ、ふんわりと能天気な甘い香りが漂ってきた。芳醇なカカオの香り…ではなく、100円もしない板チョコの安っぽい匂いだ。この非常事態とは程遠い匂いは苛立ちを加速させるのに十分だった。
「のんびりチョコを食べるなんて、なんと無神経な!片手間で腰をさするなんて許せない!」と、頭に血をのぼらせた私は「チョコ食べてる?💢」と夫に確認した。痛さのあまり、怒りを表現する気力はなかったが、その一言には恨みがましさがつまっていたと思う。

今になってみれば、その怒りは見当違いだったと分かる。私が辛いからといって、夫に食欲を我慢させても何の意味もない。
「私ががんばっている横で、呑気にチョコレートを食べるな!真面目に腰をさすれ!」というのは完全に八つ当たりだ。彼がチョコレートを食べるのを自粛したところで、痛みが軽減することはない。もちろん、出産が進行するわけでもない。

夫も大変だったろう。一日中さすっていればさすがに手も痛いだろうし、予想外に長引く陣痛にどこまで付き合えばいいのか、困ったに違いない。カーテンを締め切った部屋で、ほかに気を紛らわすものもなく、さする手をとめると怒られる。妻のために買ってきたけれども手付かずのまま残っていたチョコレートをこっそり口にするくらい、どうして責められよう。

だが、私はとてつもなく腹立たしかったのだ。人が苦しんでいる、そのすぐ隣でのんびりと嗜好品を口にしていることが。さらに、気付かれないように背後で食べていることが。 いや、夫は隠れて食べているつもりはなかったと思う。それに、仮に「チョコを食べていいか」と許可を求められたら、それはそれでイラついたはずだ。私が苦しんでいるのだから、同じくらい苦しむべきだ、空腹を我慢するくらい当然だと思っていた。

結局、気配を察した夫がひとかけでやめたのか、ひとかけしかチョコレートが残っていなかったのか、はたまた私が怒りを込めた質問を発した後も、彼は食べていたけれど私が苛立つ気力もなくしていたのか、その辺りは覚えていない。もう、痛みに耐えることに疲れはて、それでも終わらない陣痛に意識が朦朧としていたからだ。

しかし、何はともあれ、無事に生まれてきてくれた。
チョコレートなんて、まったく関係なく。

それにしても、隣でチョコレートを食べていたことくらいでイライラするなんて、あれは出産という非常事態だったからだと思いたい。私は日頃から八つ当たりをするようなヒステリー人間ではなく、あの時は辛過ぎたからしかたなかったのだと。
でも悲しいかな、同じような無意味な憤りを、普段から腹にためていた自分に気付いた。

私は赤ちゃんのお世話と家事しかできないのに…。仕事も普通にできて、平常通り動けてるんだから、暇があるならSNSやYouTubeなんて見ていないで終わっていない家事をするべきだ!
私は身体が痛くてもちゃんと抱っこしてるのに、ちょっと疲れたぐらいで赤ちゃんの方を見もしないで、おざなりにあやしてるなんて、けしからん!

口に出して言いはしないけれども、度量の小さい私のなかで、そんな気持ちが渦巻いている。でも、二人してキリキリと神経をとがらせながら部屋をきれいにしても気持ちは荒んだままだし、おざなりに見えても代わりに夫が面倒を見てくれていなかったら休む間もない。夫に同じ苦労を味わわせようとすることは自分にとっても不利益なはずだ。
かつてだったら、そのことにも気付かず、ひたすらイラついていただろう。

もし仮に、陣痛と同じだけの痛みを与える機械があってそれを夫に装着したとしたとしても「辛さを分かってもらえた」とは感じられないと思う。お腹に赤ちゃんと同じ重さのおもりをつけた妊婦体験が体験でしかないように、陣痛レベルの刺激は出産体験でしかない。だったら、わざわざ平静な気持ちの人の機嫌を損ねるようなことをしないで、素直に辛さを訴えて助けてもらったらいい。
夫が陣痛を味わっても、何も生まれない。

2日に及ぶ出産の経験は、そんな教訓を私に残してくれた。

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