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娘が言葉をはなす時

むすめがことばをはなす時

おそらく私は自信をもっている。

それは、この子とつながれるという自信。

ことばはわかりやすいけれど、

だから、わからない。

身ぶりと喃語と観察力と集中力。

わたしが全神経をそそがなくても大丈夫と

彼女は自分自身でなんでもできると

お互いが信頼できたら言葉が出てくるのかもしれない。


娘がおっぱいをやめた時、

私は自信があった。

自信ではない、期待、予感みたいなものがあった。

たぶん大丈夫だ、という。

おっぱいがなくても安心できる

おっぱいがなくても最上級の愛を表現できる

おっぱいがなくても抱きしめられる

おっぱいがなくて私がいなくても、私はいつも想っていられる

おっぱいがなくて私がいなくても、彼女はきっとがんばれる

だから、きっと大丈夫。

彼女は一歩ステージを上がるんだ。

私はそれを止めちゃいけないっていう。

いつかはおっぱいをやめなきゃいけない。

それは寂しい。でも。

大人になるまで飲んでいるわけにはいかないのだ。

私の都合で途中でやめるのは、

彼女に対する意地悪じゃない。

彼女のタイミングじゃないからって、

できないことはない。

そう信じて、がんばった。ふたりとも。

そして、あの子は見事にがんばってくれた。

うれしかった。

おっぱいをあげられなくて申し訳ないと思ったけど、

彼女はすごかった。

私を受け止めてくれた。


だから。

今もきっとそう。

言葉が通じ合ってしまうと、

逆に、お互いに向ける関心が薄まるんじゃないか、

言ってることがわかってしまうと、

大したことを言っていないとリスペクトがなくなるんじゃないか。

本当はおしゃべりしたい。あんなこともこんなことも。

何を考えているのか知りたいし、どう思っているのか聞きたい。

今は聞けない面白さを楽しんでいてもいいけれど、

あの子が話したいと思ったら、その時はふたりで階段をのぼるとき。

大丈夫。わかりあえると思う。

私が忙しくても、自分のことでいっぱいいっぱいでも。

彼女の言葉が拙くても。

言葉でつながることもできると思う。

なかなか言葉が出ない今になって、なんだか今が惜しい。

でも、私たちはやれる。

あの子がしゃべり始めたら、

もっともっと、つながれるんだって信じたい。


むすめがことばをはなす時

おそらく私は自信をもっている。

私はこの子ともっと深くつながれるんだって。

この子は私を受け止めてくれるって。

大丈夫。拙いママだって。

あの子はすごいし、私はあの子のママだから。

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