_カナリアの子ども

カナリアの子供(7)手紙

(まだ暑いな……)

スズキが街に戻ってくるのはひと月ぶりだった。
道楽ジジイたちの避暑旅行に付き合って、いわゆる別荘地にこもっていた。車の運転や飯炊き、夜中の世話まで必要とする者も多く休まる暇はなかったが、その分実入りは悪くなかった。涼しかったのはよかったし。

暑さばかりでなく、ジトジトとした湿気もひどい街に戻ってくると、避暑地のありがたみを実感する。まだまだ夏真っ盛りだ。
中でもスズキの暮らす区画は住宅がせめぎあっていて、風通しも悪く、いつも何かの臭いがしている。寒い冬も相当だが、夏も暮らしにくい場所だ。
空調の調子が悪かったから買い換えたいと思っているけれど、そう考え始めてもう3年になる。空調機の購入にも設置工事にも先立つものが必要だったし、忙しいこの時期は、俄然金払いのいい客が優先される。スズキの暮らす地区になど、足を踏み入れるのも時間の無駄、と考える業者がほとんどだろう。
スズキ自身、自分が業者ならそう考えると確信している。ともかく生活は厳しい。つくづく、人生は金でできているなと思う。

「スズキさんはどうして仕事をしているんですか?」

数ヶ月前、カラスにそう尋ねられた。そのことをしばしスズキは思い出し、あのガキめ、お坊ちゃんめ、と腹立たしい気持ちになる。
そんなの、金が欲しいからに決まってるじゃないか。生きるのには金が必要で、金がなければ生きていけないのだ。それだけのことだ。

もう少し正確に言えば、カラスが聞きたがっていたのは「なぜ人形に働かせるのではなく、人間であるスズキ自身が働いているのか」ということで、その疑問はたしかに、”人間が働く”ということをあまりしなくなった現代では抱かれても当然のものでもあった。
と、それくらいのことは、スズキ自身にもわかっていた。
それでも腹に据えかねた。

あの少年はどうやら、仕事などしなくても問題がない程度の資産を持っているらしい。
自分で稼いだのでもないだろう金で生活している人間が、他人になぜ働くのかなどと尋ねるのは、随分と不遜なことのように思われた。余計なお世話だ。

働かずとも生きていける、そういう環境に暮らす人間がいること自体はまぁ、仕方がない。社会とはそういうものなのだろう。
しかし、それならせめて、そんな余裕のある人間たちから見下されるようなことはされたくない。そう願うことだって当然のはずだ。

(……人形使って仕事させて稼ぐなんてのも、反吐が出るしな)

あらゆる労働は、人権侵害的な行為であるとされている。もちろん、政治やライフライン系の仕事の上流部分など、特別な職域においては働く人間も存在しているし、趣味など”人生の質”を向上させることを目的として労働を楽しむ人間もいる。
しかしそうではない、”生きるために働く”などという人間はごく少数だ。人は労働するために生きるのではないのだから、生きるために労働しなければならないというのは、人権を侵害するような事態なのだそうだ。

その考え方も、半分はわかる、とスズキは考えている。生きるための労働なのに、そのために健康を害したり、貴重な余暇の時間を削らなければならなかったりするのは、たしかに本末転倒だ。
それに労働は、現在「自分ではやりたくないけれどニーズのあること」という側面が強い。つまりニーズがある、という名目のもと、ただの暴力・搾取・加虐でないのかと思われるような”仕事”も少なくないし、そうでなくとも、「嫌」と思われない仕事というのはめずらしい。出会えたらラッキーだと思える程度には。人権侵害であるというのも、間違っているわけではない。
だから、なぜ、と問う人間の心理も、理解できなくはないのだ。ただ、同調したくないだけで。

この社会の”一般”の人間が働かなくても生きていけるのは、人形にその労働の肩代わりをさせているからだ。
購入、もしくは期間契約でレンタルした人形を、自分の代わりに職場に向かわせ労働させる。そうして得た対価はすべて人間のものとなり、人間の生活を潤す。
賃労働だけではない。家事、育児、介護、夜の世話や、医療行為やカウンセリングまで、人形の行える仕事は幅広い。なにせ人形の仕事ぶりは、人間などよりよほど正確で、間違いがない。体力や体調、感情の状態によって左右されることも少ないのだ。
だから、とても便利だ。それだってわかっている。
それでも嫌なものは嫌だ、というだけの話で。

(……あのガキに鉢合わせとか、したくねぇなぁ)

今日はこれから、紹介所へ行く予定になっている。
あのガキ、ことカラスがレンタルしている”銀色さん”は紹介所に所属しているのだが、どうやら毎週メンテナンスが必要だとかで、2人ともしょっちゅう紹介所にいるのだ。

(別に、どぉーーーでもいいんだけど)

スズキはカラスが好きではない。しかし嫌悪をあからさまに出すほどスズキは子どもではなかったし、この後何かニーズがあったときの営業にも困らない程度には、穏当な会話もできているはずだ。

(まぁ、こないだは失敗したけど)

ひと月前に街を出る前日、花火祭りの日にカラスからの仕事を受けた時は、少し失敗してしまった。髪色に難癖をつけられて、ついイラリとした気持ちのまま言葉を返してしまったのだ。髪色をどうこう言われることくらい珍しくもないし、適当に流してしまえばよかったのに。
……そうできなかった理由を、スズキは自分でもよくわかっている。

(あーーーくそ、気分悪ぃな)

わかってしまうからこそ、ますます好きになれないのだ。

どうか会いませんように、と念じながら紹介所へと入って行く。

ピッ。「いらっしゃいませ」

(おっ、セーフ)

そこにいたのは馴染みの担当である黒髪人形だけで、銀色人形もカラスも見当たらなかった。
ほっとする。

ピッ。「スズキさん、少しお久しぶりですね。お元気にされていましたか?」
「はいはい、元気でしたよ。ちょっと長期で遠出の案件がありましてね。避暑地だったんで、向こうにいた方が楽なくらいの仕事でしたね」
ピッ。「そうでしたか。素敵なお仕事だったようで何よりです」

スズキは人形が嫌いではない。人形は皮肉も言わないし、嘘もつかないし、騙さない。人間よりよほど信頼できる。

「中身のきったねぇクソジジイばっかで大変でしたけどね」
ピッ。「それはお疲れ様ですね。さて、本日はどのようなご用件でいらっしゃいますか?」
「そのジジイの1人が、なんか半年前にレンタルした人形をまた借りたいとかおっしゃってましてね。でもどの人形借りたかも覚えてないし、調べるのも面倒だとかで、まぁ、お使いに駆り出されてきたわけです」
ピッ。「かしこまりました。委任状はお持ちですか?」
「お持ちですよー」

調べようと思えばそんなもの、自宅にいながら5分で済ませられる要件だ。代理で調査させるための委任状を用意し、記載する方がよほど手間がかかる。
これは、要はただスズキを”使いたい”という欲求からくる依頼なのだろう。スズキ自身も、おそらくこの黒髪人形も、そんなことはわかっている。

ピッ。「ありがとうございます。確認いたしました。それでは情報を検索いたしますので、少々お待ちください」

黒髪人形が検索モードに入る。表情が消え、焦点も合わなくなる。まだ人形と関わることが少なかった頃、スズキはこの表情を恐ろしいものと思っていた。さっきまでまるきり人間のようだったのに、それが一瞬でモノに変わってしまったように見えて、不気味にも思われたのだ。
今はもうすっかり慣れて、むしろ親しみやすくさえ感じている。とっくに壊れた人間が人間のふりを続けて生かされるより、よほど健全だし、自然だ。

ピッ。「検索が終了いたしました」
「ありがとうございます。で、どうですか? いつ頃からレンタルできそうです?」

もし人気の人形であれば、現在もレンタル中である可能性が高い。クライアントのジジイは特に急がないと言っていたけれど、長期間待つようであれば、別の人形に希望を切り替えるよう伝える必要もあるかもしれない。

ピッ。「大変申し訳ございませんが、ご希望の人形はすでに廃棄されております。そのため同じ人形をご用意することができません」

言われながら、手元のデバイスの画面を向けられる。

「!」

そこに表示されていたのは、あの”銀色人形”だった。

「……え、なに。死んじゃったの?」

驚いた。口調を取り繕うのも忘れていた。

ピッ。「内部構造の汚破損、不調が修繕不可の域に達しましたので、規定により処分されました」
「いつ?」
ピッ。「ひと月ほど前になります」
「……」

スズキが街を空けるようになったあの花火の日、ほぼちょうどその頃だ。

「……半年は保つって聞いてた」

その耐用年限だって、きちんとメンテナンスすれば、もっと伸ばせるものだと思っていたのだ。だって銀色人形は、まだ”若い”人形だった。
人形の寿命は、おおよそ20年程度と言われている。あの銀色人形は造られてから、まだせいぜい10年と少し、という程度だったろう。

ピッ。「使用環境によっては、耐用年限が早まることもあります。特にこちらの人形に関しては、数年前から汚破損が著しく、修繕を重ねても長期の利用は困難である旨記録にも記載されております。スズキさんのクライアント様も、以前のご契約の折、その旨ご了承いただいた上でご利用いただいていたように記録にございます」
「あぁ、そうか……そうですか」

ショックだった。
人形には、生きるという概念は適用されない。だから死ぬということもない。それでも、わりに親しんだ人形とのこうした別離は、人間との死別と変わりのない衝撃をスズキに与える。
もちろんそうした感情を抱く人間など少数派で、スズキはよく「考えすぎ」「繊細すぎる」と言われている。余計なお世話だ。

ピッ。「クライアント様より以前申請がございました折の検索条件は保持されております。同様の条件に当てはまる人形をピックアップいたしますか?」
「……はい、お願いします。詳細データは自分とクライアントのデバイスにそれぞれ送信、概要にあたる検索結果一覧は、紙ベースでの出力もお願いします」
ピッ。「かしこまりました。それでは少々おまちくださいませ」

(死んだ……死んだ、そうか……)

街を出る前、カラスから依頼された名前を変えるという仕事。……それを銀色人形がカラスに依頼しに来たとき、交わした会話がある。
その時の会話を、まさかこんな風に思い出すことになるとは思わなかった。

ピッ。「データの送信及び出力が終了しました」
「はい。ありがとうございます」

紙データを受け取ると、黒髪人形から「1件、ご相談があります」と言われた。人形にしては珍しく、少しためらっている様子だ。

「はい、なんでしょう? お仕事のご依頼ですか?」

人形は仕事を感情に左右されることがないし、感情を表出することは少ない。ネガティブなものはシステムで処理されているそうだし、人間に好意的な反応以外を返すこともない。
だから人形は「感情がない」と誤解されることも多い。しかし、スズキは知っている。人形にも感情はあるのだ。
知ってさえいれば、こうして時折、ごく瞬間的にそれが漏れ出てしまうシーンに気づくこともある。

人形が人間に仕事を依頼する、というのは、とても珍しいパターンだ。
もちろん人形は仕事を仲介しているだけで、実際に依頼を出しているのは人間である。カラスのクライアントで人形を利用するのが適切と思われるものに関してはこの紹介所の人形を推薦する、という条件で、「人間への仕事依頼があった際はカラスに紹介する」ように、という契約を、カラスはこの紹介所と交わしている。
しかし紹介所経由で受けた仕事は、まだそれほど多くはない。だから、この人形が”人間への依頼”に慣れていなくても仕方がないとは思ったのだが。

ピッ。「通常の仕事の依頼ではありませうん。しかし、それに近しいものと認識しています」
「?」

微妙な返答だ。なにか面倒な内容なのだろうか。

ピッ。「件の人形から、スズキさん宛てに封書を預かっております」
「!」

件の人形。つまり、銀色人形だ。

ピッ。「自分にコトがあったあと、スズキさんが紹介所を訪ねてくることがあった際、スズキさんのご了承をいただけたら渡すようにと言われて預かっていました」
「預かったというのは、いつのことです?」
ピッ。「ひと月半ほど前になります」
「……」

迷った。
やはりこれは、遺書のようなものなのだろう。そうでなくともタイミングを思えば、実質的に遺書と呼んでも差し支えはないはず。
だとしたら受け取って、そのメッセージを確認するくらいのことはしてやりたいと思う。
しかし、面倒ごとはごめんだ。遺書のようなタイミングで渡される手紙など、面倒なことが書かれているに決まっている。

ピッ。「スズキさんが拒否の意思を持つ場合、受け取らずに処分してしまってもいいと言付かっています。また、”これは依頼ではなく、プレゼントだと思ってくれてもいい”とも聞いています」
「……プレゼント?」

なんだろう。銀色人形から何かをプレゼントされるようなことをした覚えが全くない。もちろん、銀色人形伝いにカラスから、というパターンも同様だ。
スズキは、銀色人形がカラスに使用される前のクライアントも数人知っている。一緒に仕事を受けたことも数度あったほどだ。しかしそうした記憶を引っ張り出して来たところで、やはり自分に”プレゼント”などするクライアントの顔は出てこない。
怪しい。
タダより高いものはないというし、よくわからない”プレゼント”をされるなど、単純に気味が悪いと思った。

そんなスズキの内心を読んだのか、黒髪人形が言った。

ピッ。「封書の内容については確認しておりませんが、これがスズキさんに物理的な脅威となるものではないことは保証いたします。刃物、また毒物の類などは封入されておりません。一般的に使用されている紙片が2枚です。また封書の送り主は件の人形であり、別の人間の介入はありません」

「……」

それなら、やはりただの手紙のようなものなのだろうか。

「……まぁ、そういうことなら、受け取ろうと思います」

黒髪人形は、心なしほっとしたような表情を見せた。もちろんごくわずか、一瞬のことだ。

ピッ。「ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそプレゼント預かってもらっちゃって、どうもですね。しかしあなたも、”銀色さん”がいなくなったら寂しいでしょう」

この受付の人形は、銀色さんとカラスとの契約担当者でもある。彼とこの人形が”友人”であるということは、以前銀色さんから聞いたことがあった。

ピッ。「そうですね。彼とはよい友人でした。彼の話をこうして誰かとできるというのは、大変に嬉しいことです」
「うん。……彼もきっと、あなたにそう言ってもらえて嬉しいだろうと思います」

人形は嘘をつかない。しかし、相対する人間が喜びを覚えるよう、最適解を探し返答することもある。だから黒髪人形のこの言葉だって、そうあってほしいというスズキの想いを汲んで誇張されたものである可能性もある。
そうでなければいいなと、心から思う。

「そういえば、あいつ……カラスはどうしてますか?」
ピッ。「存じ上げません。別の人形のご紹介も差し上げたのですが断られてしまい、以来、当紹介所のご利用はいただいておりません」
「そうですか」

スズキにカラスの心配をする義理はない。ただ、少し気になっただけだ。
銀色さんが気にしていた人間だから、気にしてみた。それだけのこと。

時計を見る。予定より時間がかかってしまった。そろそろクライアントの元に戻らなければならない。

「ともかく、ありがとうございました。自分はまたここにも来ますんで……あぁ、あなたの勤務時間外がいいのかな。その時は、また銀色さんの話でもしましょう」
ピッ。「はい。ありがとうございます。お待ちしておりますね」

自分を待つという、これは社交辞令だ。スズキにもわかる。自分のそれもまた社交辞令だから、それでいい。
他愛のない社交辞令が、気持ちを少しだけ軽くする。そういうこともあるのだと、自分も、おそらくこの人形も、わかっている。

(……さてさて、どうしましょっかねぇ)

クライアントの元へ向かう道すがら、受け取った封書の角を指で弄びながら、スズキは考える。
そうして思い出すのは、やはり、ひと月半前に銀色さんと交わした会話のことだ。

ポーン。「もし私が壊れてしまったら、スズキさん、あの子のこと見てあげてやってくれませんか」

夕暮れ時、契約書類を広げながら、カフェのテラス席で交わした会話だった。
その日カラスは夕食の買い出しを担当していたそうで、銀色人形と行動を共にはしていなかった。

「えー? 見てあげるって何をです?」

はじめ、たいして真面目には聞いていなかった。その時受けた「名前を変える」という依頼がわかりやすく面倒そうだったため、先んじて必要書類の確認など行なっていたのだ。作業をしながらの会話だった。

ポーン。「なんか、いろいろ。生活を全般的にお願いしたいです」

なんだそれは、と思った。子どもかよ。

「普通に、別の人形手配したらいいんじゃないすかね。俺がやる必要あります?」
ポーン。「はい。……できたら、その頃はそろそろ、人間が関われたらいいかなって思って」
「? よくわかんないっす。人付き合いが少ないんすか? それかカラスくん、引きこもりでもやってて親に家追い出されたとかそういう感じですか?」
ポーン。「そういうわけではないのですが。家族には頼り難く、社会生活・生活能力全般が著しく不足している状態にあります」

そんな頼りない状態で、これまでどうやって生きてこられたのか。
さすがお坊ちゃんは違うなぁと思った。羨ましい限りだ。

「はぁ。でも俺、人形に頼むより俄然金とりますよ。時給ならこんくらい、日給ならこれです」

言いながら、胸元からカードを出して渡した。料金一覧。
仕事によってスズキの負担は大きく変わってくるので、依頼内容に合わせ、相手に見せるカードは変えている。会話が少し面倒で打ち切りたかったので、見せたのは一番高額なパターンのものだ。

ポーン。「月給、もしくは年俸の目安などはありますか?」

「……」

そこまで言われて、ようやくスズキの関心が動いた。
なんだ。これはもしかして、大口の依頼なのだろうか。

「これ、カラスくんからの依頼っすか?」
ポーン。「いえ、カラスくんは知らないことです」
「……俺、一箇所だけとか一人だけを相手にすることってしてないんすよね。最大でひと月くらいならまぁありますけど、それ以上となると、そこまでのもんはちょっと」

特定のクライアントだけを相手にするのはリスクがある。
馴染みのクライアントを持つのは重要だが、そのクライアントからの受注がなくなったとき、ほかに稼ぎ先がないのでは困る。
大口を1件抱えるより、太いとまでは言えずとも、安定して必要十分に稼げる相手を複数持つことの方がリスクが少ない。

しかし困ったように俯いてしまう銀色さんの姿に、少し同情が芽生えてしまう。
人形が人間を飛び越えて頼み事をするなど、そうそうないことだ。何かしら人形からねだられるプレイを楽しみにしたい人間もいるだろうから、機能として不可能ではないということはわかっている。
しかし、そこに人形の自発性が働いているというのは、やはり珍しい。

「つか、本気ですか? 銀色さん、死ぬ予定でもあるんです?」
ポーン。「実は、およそ半年後に廃棄の可能性があります」
「なんすかそれ。なんか問題でも起こしたんです?」
ポーン。「いえ、私の個体の抱える問題です」

ということは、どこか調子でも悪いのだろう。

「はぁ……。どっか悪いとこあるってわかってんなら、直すとかなんか、そっちに注力した方がいいんじゃないすかね。あ、もしかしてカラスくん、使ってる人形のメンテとかそういうの気づかないタイプなんすか? 俺、それとなく言ってあげましょうか」
ポーン。「いえいえ、大丈夫です。カラスくんは私の体のこともちゃんと考えてくれていますし、今は週1でメンテナンスにも通っています」

週1といえば相当頻回なのではと思ったけれど、人形を所持する、ということをしたことがないスズキには、詳しいことはわからない。

「えーと、カラスくんとの契約やめて、誰か他の人形に頼みたいとか、そういうことでもないんすか?」
ポーン。「違います。カラスくんは、いい人ですよ。きっと、今までで一番……とてもよい雇い主です」

では、この会話はなんなのだろうと思った。銀色さんはまだまだ”寿命”には遠いはずだし。
よくわからない。

「よくわかんないっすけど、早くちゃんと直るといいすね。まだ銀色さん製造からそう経ってないんだからパーツの問題もないだろうし、そんなけメンテ通ってりゃどうにかなるんじゃないすかね」
ポーン。「はい、ありがとうございます。……では、これは、もし万が一、という話で聞いていただいてかまいません。どうでしょうか。彼を、時々でもよいので、気にかけて見てやってもらえないでしょうか。きっと、スズキさんにとっても悪くない話になると思いますよ」

なんだその根拠のない言い草は、と思った。
随分と必死に思われて、少し心配にもなった。その姿は哀れにも思われてしまって、いらない親切心が湧いてしまったくらいだ。
しかし、親切心だけで”仕事”は受けられない。

「そのへんは金次第ですね。前払いでしっかり払ってくれるってんなら、考えないでもないすけど」
ポーン。「本当に? 信じていいですか?」
「まぁ、仕事ですからね。金もらった分は、しっかりきっちりさせてもらいますよ」

言いながらスズキは、自分は残酷なことを言っているな、とも思っていた。
なぜなら、人形は金を持てないからだ。

人形が稼いだ金は、すべてそれを所持する人間のものになる。人形のエネルギー補給や身にまとう衣服やメンテナンス等々にかかる金は、所持する人間が負担する必要がある。しかし、人形を動かすのに必須のそれら以外の……たとえば「人形が楽しむ娯楽」やなにかのために人形も金を持つ必要がある、という考えは、その発想自体がこの社会にはない。
人形自体を相手に金を払う仕組みは存在しえないし、人形が自分の口座を持ってる、という話も聞いたことがない。制度上、人形は銀行口座を開くことさえできない。
たとえば夜間の<人形の時間>だって、彼らに許されているのはせいぜい会話や散歩程度のもの。金が必要になるべくもない。
つまり人形に対し「金さえ払えば」と伝えるということは、実質、無理な相談だと告げているのに等しい。

しかしこの時、銀色さんはたしかに言ったのだ。「ありがとうございます」と。
スズキは「いえいえ、お役に立てずすみませんね」と答えて、会話を流して終了させた。銀色さんの「ありがとうございます」は、話だけでも聞いてくれてくれてありがとう、くらいの意味だと思っていたから。

それだけの話だと、思っていたのだ。

(でもなぁ。実際にこうなっちまうと……)

スルーしてよい話だと思っていた。このまま何事もなければ、思い出すことすらなく忘れていたかもしれない、その程度の話だと。

(いやいや、だって俺、あいつのこと好きじゃないじゃんかなぁ)

カラスのことは好きではない。積極的に近づきたくないと思う。
……でも、銀色さんのことは別だ。

仕事で行きあうことがあった。人形と一緒に行うような仕事なんてクソのようなものばかりだったが、……むしろ、だからかもしれない。彼の性質のようなものを、スズキは好ましく思っていた。
もちろん、銀色さんは人形だ。人間に好まれるように作られ、決して不快を与えないよう設定された存在だ。それでも、人形にだって個性はある。1体いったいに性格の違いもあるのだ。

銀色さんはとても穏やかで、誠実で、繊細だ。細やかなところによく気がつくし、その気配りを他者に気づかせないよう配慮までしてみせる。
尊敬に近い信頼のようなものを、スズキは銀色さんに対して抱いていたのだ。人形にそんな性格が付与されていること自体は、非常にグロテスクなことだとも思ってはいたけれど。

その銀色さんの、最期の願いらしいのだ。無碍にするのもはばかられた。……とはいえ、面倒くさい。

スズキの生活には、ゆとりがない。働いても働いてもカツカツで、楽になる兆しはまるで見えない。
労働の大半の人形が担うようになってから、”人間のもの”とされている一部の職域を除き、労働に対する単価は随分と下がっている。そんな中、2体・3体と管理し働かせて対価を得ることが一般的なのだから、一馬力で稼ぐスズキの生活にゆとりなど訪れるはずもなかった。
つまりスズキは、忙しいのだ。そんな生活の中で、余計な面倒を抱え込む余裕などあるわけがない。
しかし、しかし。

(そうだ、手紙……)

銀色さんからの手紙。どのようなことが書かれているのだろうか。

(あの坊ちゃんの面倒みてやってくれとかって”お願い”だったら……面倒だなぁ……)

そう思いながら封を開ける。封筒の中には、紙片が2枚。
1枚は、銀行のカードだ。名義はカラスのものになっている。
よくわからない、いや、これは……。

(ちょっと待て、待て待て待てよ……)

2枚目を確認する。これは、銀色さんからの手紙だ。

<カラスくん名義のカードですが、私のお金です。カラスくんは紹介所だけでなく、私個人宛てにもたっぷりと給与を支払ってくれていたので。>
<私の依頼を受けてくれるなら、これは前払い金です。3ヶ月分ほどになるかと思います。>
<依頼を受けてくれない場合は、お餞別のようなものですので、このままスズキさんが受け取ってくれて構いません。気持ちがよくないようでしたら、カラスくんに返していただいてもよいです。>
<カラスくんは、私がこのような依頼をしたことを知りません。>
<スズキさんのご負担のない範囲で、でもどうか、よろしくお願いしたいです。>
<お世話になりました。ありがとうございました>

末尾には、引き出しに必要な暗証番号。実際に店舗に行けばおろせる仕様だ。
随分とアナログで、グレーな処理方法だと思った。しかし、人形の彼が人間に金を渡そうと思えば、このような手段を取る以外にはなかったのだろう。

(あぁ、そうだった……)

スズキは思い出していた。銀色人形のことを好ましいと強く思っていた、その理由を。

(こういうとこあるやつだったよなぁ)

スズキから見る銀色人形は、とても強かな人形だった。
おっとりとした受け身に見えて、非常に計算高い。
するべき主張はするし、主張を通すために様々な交渉を行ったりもする。
もちろん、それは”人形として許された範囲内”での行いだ。しかしその範囲内でできる限りの抵抗を、彼はいつも行っていた。
いつも諦めていなかった。スズキには、そう見えていた。

「……ははっ!」

そう思い出したら、なんだかおかしくなってきた。
無理に決まっていると思って出した”前払い”という条件を、まさかクリアされてしまうとは。
自分がもういないにも関わらず、こうしてちゃんと声を、金を、想いを、自分の思惑のために必要な場所に届けてくる。

(俺も銀色さんの手の内かよ……!)

いっそ清々しいほどの気持ちだった。
あの”依頼”を思い出すこと、それを受託しないでいることにスズキが罪悪感を抱くだろうこと、そのせいで惑うだろうことも、きっとすべてお見通しだった。
そうだった。そういうところのある人形だったのだ。彼は。

(……まぁ、これは仕方ない。様子見に行くくらいはしてやりますかね)

依頼を受けるとはまだ決めていない。
それに様子を見に行ってやるのはカラスのためではない。これはただひとえに、銀色さんのためなのだ。
そう言い聞かせながらスズキは、明日の夜、さっそくカラスの家を訪れようと決めた。

(銀色さんがいなくなって、きっとあの坊ちゃん、苦労してんだろうな)

嫌味のひとつでも言って、しかしその後、もし彼が銀色さんの喪失を少しは悲しんでいるのなら……いつかドリンクの1杯くらいは奢ってやってもいいかもな、と思った。


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シリーズです。続きます。

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