性教育、伝えたいことはたくさんあるけど、まずは“しちゃいけない話”を決めちゃいませんか。という提案。
タイトル、一汁一菜のご提案に引っ張られた感がありますが許してください。
うちはもともとほっとんど一汁一菜なのであの本は読んでいないのですが、素晴らしい提案だと思います。
最近、性教育に関する話題がまたちょびっとだけホットです。
「タブー視される日本の性教育、今のままでいいわけないよね」っていう、頷くしかないタイトルで
しかしリプロダクティブヘルス・ライツを踏みにじる(もしくはスルーする)ような無責任な記事が話題になったり、
またもや、ひとりきりでの出産を余儀なくされた未成年女子が産児の遺棄で逮捕される事件が起きたりしたせいかと思います。
性教育はとても大事で、
いわゆる生殖活動をしようがしまいが、命と人生の基礎の基礎の話なので
絶対に必要です。
というような話はこれまでも書いてきたのですが
(性教育、誰がすればいいんだ問題について思うこと)
(性教育、だれにすればいいんだ問題について思ったこと)
性教育って、「何を伝えるべきなのか」を決めるの、すごく難しいんですよね。
あれも言いたい、これも伝えたい、それも避けては通れない……とか、たくさんあって。
寝た子を起こすなみたいな、性教育は必要ないって、妄想で妄言吐けちゃう人たちには想像もつかないと思いますけども、
伝えるべきことに加え、
それをいつ、どのタイミングで、どんな風に伝えるか、
とかも掛け算されてくるから
性教育って、やろうと思うといろいろ「難しい!!!!」ってなったりしがちです。
伝えたいことを考え出すと、広く、多岐にわたり、ちょっとすぐに整理するの厳しいな、ということ、あると思います。
でも、逆だったらどうでしょう。
「性教育で、これ言ったらダメだよね」
って話だったら、わりとスルッと考えられたりするんじゃないかな、と思ったので
書いてみることにしました。
ご家庭なり、学校なり、ご近所なり、活動なりで“性教育”的なことをする方
もしくは興味のある方、
もし参考になる場所があれば、参考にしてみてください。
以下
「性教育ではコレをやめよう」と思ったものまとめ
です。
1、男女が対・番と教えない
思い返すと、性教育って“男”“女”の2項対立をベースに言われることって多いんですよね。
「思春期になると男は〜、一方女は〜」って。
で、
「やがて異性に興味を抱くようになり」
となる。
これ、完全にミスリードですよね。
人によっては嘘になります。
人間は必ずしも男女の2種類ではないし、異性に興味を持つとも限らない。
決定されていないものを決定しているかのように伝えてはダメです。
そして
もし男・女という軸を利用して語るのであれば、せめてその定義から明らかにしないといけないです。
身体的なものがあって、自認があって、どう見せたいか(社会的な性・ジェンダーとか)があって、
“性別”ってそれらの条件の複合で決まります。もしくは、決まりません。
男女の2種類、というのを「当然」みたいにベースにしちゃうのって、無理があります。
2、性欲と生殖が必ず連動しているように言わない
性欲の有無と生殖能力の有無とは、必ずしも連動していません。
3、性的快感と性的同意とが連動しているように言わない
性的に快感を覚えるのは生理現象による部分が多分にあるので、「愛情があるからこそ、セックスは気持ちがいいんです」とか言わないように。
4、性欲と恋愛とが連動しているように言わない
恋愛感情がなくてもセックスはできます。
恋愛感情は気持ちの話。
セックスは物理です。
5、愛情と出産とが連動しているように言わない
「お父さんとお母さんが愛し合ってるから生まれてきたのよ」みたいなのは言わないように。
愛情は気持ちの話。
出産は物理です。
レイプでも子どもは生まれます。
愛情と命とを関連付けた話は、下手すると、経緯が生まれてきた命の価値を殺します。
「お前はレイプで生まれた子だ」とか。
「罪人の子め!」みたいなもんで、子に不当な負荷を与えるきっかけになってしまうことがあるので、注意です。
愛し合ってる“から”じゃなくて、
「お父さんとお母さんが愛し合っていて、かつ、あなたも生まれてくれた」みたいな話し方ならいいんじゃないですかね。
6、イデオロギーを混ぜない
たとえば、「セックスは、愛してる人としかしちゃだめだよ」とか。
セックスの際に必要なのは愛情ではなく、
同意や合意、結果へのコミット、避妊も含めた尊重の意識、避妊への具体的アクセス、“失敗”した際のリカバリー手段、などなどです。
愛情があってもそれらがないなら、セックスはしない方がベターだし、
それらがあるなら、誰とセックスしようが本人たちの自由です。
(上記は、成年・未成年間では対等な合意の形成が困難である、などの諸々も考慮した上での条件であると考えていただいてOKです)
「結婚前のセックスはだめ」とかも、ほっとけって話です。
「男はみんな狼」とかもそうです。
教育なら、男も人間なので、ちゃんとセックスの相手を人間扱いし、しかるべき関わり方をするよう伝える方がいいです。
国の仕組みがクソなので、どうにも説得力ないかもしれないですが。
「男女のつがいが正しい姿」とか「子孫を残すのが生物の役目」とかも、
「生物学的に〜」って言われること多いですが、ただのイデオロギーですので、事実みたいな体で垂れ流さないように。
家庭を“愛”ある場所と決めつけたり、ジェンダー規範を織り交ぜたりするようなものもリスク高いです。
逆に、規範の批判をするのだって、子どもを相手に教育者が行うのであれば、相当気をつけないと危ないです。
“規範”としてあるような姿で生きたい、と思う子どもがいた時に、教育者がそれを頭から批判するのは、とても暴力的なことです。
規範の扱いって、強引にしたり雑にしたりすると、暴力なんです。
7、中絶を“悪”“悲劇”と言わない
想定外の妊娠がおきたときに中絶を選択するのは、当然の権利です。
悪、なんかであるはずがないです。
悲劇でもないです。
中絶を選ぶために罪悪感を抱かなければいけないなら、そっちの方が悲劇です。
もちろん、中絶に罪悪感を持ったり、悲しいと感じたりする気持ちを否定するのではありません。
「“悪いこと”“悲しいこと”として教えるな・強化するな」という話です。
他人が決めるな。社会が決めるな。という話。
「気軽に中絶する女子が増えてもいいのか」みたいなバカなこと言ってる大人は、それだけでバカだと思ったほうがいいです。
話を聞く価値はありません。
「気軽に考えて何度も中絶する子がいる」みたいなのは、根拠になりません。(そういう子がいないとは言いません)
(しかし、その子の考え方に問題があるだけとも思いません)
ジャパンの中絶手段は、非常に「おっくれってるー!」なものです。
物理的負担が大きすぎるし、それに伴い、精神的負担も相当なものになることがあります。
それは大人の責任です。
で、あるにもかかわらず
「中絶の様子を伝えて恐怖させ、中絶はダメだと子どもたちに伝える」
なんてのは、ただの虐待です。
そもそもですね、
月経の始まってる女性であれば、誰であっても、「中絶の経験者である可能性がある」くらいのことは、当然のこととして想定できていないとダメです。
近いうちに経験する必要が生じるかもしれない、とも。
8、「~なことになったら人生終わる」みたいな話をしない
妊娠、中絶、性被害について言われがちですよね。
「〜したら人生大変だから、絶対にしないように」というのは、超絶NGワードです。
誰の人生がどこで終わるのか、なんてこと、他人がどうこう決めるように話していいことではありません。
誰がどうなっても人生終了しないでいいような制度・仕組み・環境を作るのが、大人の仕事です。
それを棚に上げて「こうなったら人生終了」みたいな呪詛を埋め込むのは、大人としてやっちゃいけないことです。
話している相手が、自分が「人生終了レベル」とみなしたものを経験済みである可能性について、しっかり考慮しましょう。
必要なのは「どうしたらいいのか」のバリエーションと、そこへのアクセスの保障ですよね。
9、痴漢やセクハラ、性被害を過小にも過剰にも扱わない
「たかがこれだけのこと」と扱ってはいけないです。
同時に
「大変なことだ!」と、“本人を差し置いて”騒ぎ立ててもいけないです。
過小扱いするのもダメですが、
本人のペースを置いてけぼりに騒ぐ、というのは、本人を尊重していない態度という点ではスルーと同じです。
10、生徒に挙手や個別回答をさせない
「性は生」とか言われるくらい、性って大きな意味を持つことがあるし
すごくプレイベートなこと、
自分でもどう扱うかまだ判断できていない子もいるものです。
挙手や個別回答させる、というのは、性的プライバシーの開示要求です。
教育の場では、パワーバランスが対等になり難いので
性的開示要求をするのに不適当です。
例えば「生理は恥ずかしいものじゃないんだから」と言っても
生理の始まっている女子は挙手してみて、というような要求をするのは不当です。
開示するかしないかの選択は、完全に本人のコントロール下におけるようしたほうがいいです。
11、情報と意識さえあれば防げる、という期待をしない
妊娠にせよ性被害にせよ、
情報があり、本人に意識さえあれば防げるものだ、という前提に立つのは
単純に誤りなのでやめましょう。
避妊はどれだけ心がけても失敗することがあります。
例えばピルとコンドームを併用していてさえ「100%」とは言えません。
また情報があり、意識があっても、ツールにアクセスできないのでは実行に移せません。
ジャパンでは、中高生くらいの若年層がコンドームを持つことに対しての視線は厳しいです。
未成年者のピルへのアクセスは、環境により非常に困難であることが少なくありません。
性被害に関しては言わずもがなです。どれだけ“自衛”していても、被害に遭う可能性をゼロにすることはできません。
「情報があり、意識があっても予防しきれない」のが事実です。
そういう環境を作っているのは、私たち大人側の人間です。
それを無視して、子どもに「できるはずだ」みたいな期待をかけるのは
お門違いだし、ずるいです。
やめましょう。
結論;嘘を言わず、誤解を与えない。
おわり。
以上、全文無料でした。
追記・1(5月30日)
読んでくれた方から「性欲の有無とセックスするかどうかも別」というご意見をいただきました。
その通りだと思います。
性欲があってもセックスしないことだってあるし、
性欲がなくても行為がなされることはありますね。
ありがとうございました。
追記・2(5月30日)
途中、妊娠と出産がセットみたいな書き方になってしまっている箇所がありますが、
人工妊娠中絶を行う・行わないに関わらず、妊娠と出産もまた別物です。
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