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反差別主義者である事

反差別主義者である事

先全米オープンで優勝した大坂なおみさんが、ブラック・ライブス・マターの運動に積極的である事はよく知られている。


この寄稿の中で彼女は

「人種差別主義者ではない」ことだけでは、十分ではないのです。私たちは「反人種差別主義者」でなくてはならないのです。

と言ってる。


少なくとも黒人の人種差別問題で、私達日本人は「被差別者」ではありません。そして、自ら進んで差別をする「差別主義者」である場合も少ないでしょう。ほとんどの人は傍観者です。しかし、それだけではだめだ、と彼女は言っている。「反差別主義者」、差別に反対する者として、傍観者も行動しないといけない、と彼女は言っている。

それはどう言う事か?

BLMのデモに参加して、黒人と共に声をあげる事?

もちろん。でも、ハードル高いよね。

差別は良くない、ってもちろん思ってる。それでもやっぱりデモ参加は(特に日本だと)抵抗があるかも知れない。

そんな人に私は一つ「反差別主義者としての行動」を提案したい。

ウォルター・ウォラス・ジュニア氏殺害の日本総領事館のニュース

10/26日夜、また黒人男性が警察によって殺された。

その事に関して、在米日本総領事館からメールが来た。

抗議活動についての注意喚起(10月28日)、と言う題名。

1 昨27日夜,ウォルター・ウォレス・ジュニア氏が警察官により射殺された事件に関し,ニューヨーク市ブルックリン地区における抗議活動で参加者の一部が暴徒化し,商店の窓や複数の警察車両が破壊され,抗議活動の参加者が多数逮捕されました。また同日,フィラデルフィアにおいては,抗議活動が暴徒化したことを踏まえて,フィラデルフィア警察は抗議活動が暴徒化している地区の住民に対し,必要がない限り屋内にとどまるよう要請しました。

これ読んで本当にため息がでた。なんなんだこれは?

この文面を見て、どう思います?

全く事情を知らない人がこの文を読んで、どう思います?

普通に「え?一人射殺された?悪いやつなんでしょ?それでなんで暴徒化すんの?これだからBLM嫌なんだよな、暴力ばっかりに頼ってさ。」

って思うよね?

私はこう言う伝え方、本当に情けないと思う。反差別の立場から、

「フィラデルフィアでのウォルター・ウォレス・ジュニア氏の警察官による射殺事件。5月のジョージ・フロイド氏殺害事件の後も止まらない警察による黒人への過剰な暴力に対して、住民の憤りは高まっており、警察との衝突も激化しています。昨夜、ニューヨーク市ブルックリン地区における抗議活動で参加者の一部が暴徒化、警察との衝突の末、多数の逮捕者が出ました。」

くらい書けないのかね、と思う。

射殺されたウォレス氏は精神疾患を患っていた。ナイフを持っていたと言うが、そばで母親が「どうか撃たないでくれ」と懇願していた。にもかかわらず、二人の警官が7発ずつ、14発も発砲したのだ。

どうしても撃つなら動きを止めるために腿に一発とかやるんじゃないの?

精神疾患のある黒人の警察による殺人だったら他にもある。

ローチェスターのダニエル・プルード氏。全裸で極寒のローチェスター(ほぼカナダ)を走っていた彼を捕まえ、押し倒し、頭に頭巾を被せ、アスファルトに押しつけた。酸欠で後に病院で亡くなった。彼の失踪を警察に届けた家族は警察がその日のうちに彼を見つけていた事、彼が病院に入院した事は知らされていた。が、コロナを理由に会わせてもらえなかった。1週間後やっと病院で彼に会えた。その時彼はもうライフサポートに繋がれており、家族は延命するかどうかの決断を迫られた。警察の保護下で何が彼に起こったのか。警察はその詳細を遺族やメディアにひたすらに隠し、弁護士を通じた遺族の必死の懇願で4ヶ月後7月末にやっと何が起こったのか知らされた。遺族はそのボディーカメラ映像を公表した。そしてローチェスターでプロテストが起こる。このレポーターがいた場所では平和的にコールをしていた所に警察がいきなり催涙スプレーを撒いて来た、と言う。


この様な「精神疾患のある黒人」の対応に、銃を持った警官がやってきてボコボコにするだけ、と言うのは今に始まった問題じゃない。ジョージ・フロイド氏殺害の後から言われている(っていうか昔からなんだけど)「警察改革」の大きな要項にも「ソーシャルワーカーや、カウンセラーが必要な現場に、患者を犯罪者として扱う事しか知らない武装警官を送り込むのはいかがなものか。」と言うものがある。

昨日今日始まった事ではない。ずっとずっと「問題だー。問題だー。」と言われながら一向に何も変わってない、と言う社会的背景がある。

その様なことを伝えず、プロテスター側の「暴徒化」「暴力」だけを伝える。これが大坂なおみさんの言う「差別をしない、ってだけでは足りない。」と言う所だ。


「暴力」は誰が?

人種差別反対のデモがある。それに伴って商店略奪や器物破損などが起こる。その破壊活動を「暴力」と呼ぶ。

ジョージ・フロイド氏殺害の後のミネアポリスで起こった大規模デモ、それに伴う「暴動」。その多くが実は地元黒人でなく、白人至上主義者によって引き起こされていた事が今になって分かってきている。


そしてありとあらゆるビデオや上記のローチェスターでのタイムズ記者のレポートでもわかる様に、平和的なプロテストに警察が暴力を振るう事がよくある。。。。と言うか大体それなんじゃないか、と多くのケースを見て私は思う様になった。

あの日のミネアポリスの黒人プロテスターが全員平和的だったとは言っていない。

しかし、現場にいない私たちが外から見える「商店の略奪」とか「警察の車が燃やされた」(ブルックリンであった一件は州外からの白人が燃やしていた)とか、誰が発したものなのか、実際には分からない。逮捕者、と言うが警察なんて問答無用に理由も無く逮捕できる。そんなプロテスト現場のビデオいくらだってある。「逮捕」がプロテスターの非のゲージにはならないのだ。

しかし確実に出どころが分かっている暴力がある。

初動の警察の黒人市民への暴力。それを正当に罰さないと言う司法の暴力。

なぜ、人々は、こっちを語らず、出所も何も分からない有象無象の器物破損被害「暴力」のみを語るのか。初動の上からの暴力は人命や人体を損壊しているのに。

それは初動のトップダウンの暴力が私達第三者から隠されているから。同時に、初動のトップダウンの暴力は局地的(マイノリティー対象)なため、自分には絶対に降りかからないものだと知っているから。だから関心が無い。知ろうとするインセンティブが無い。

でも、「暴徒化」したプロテスターにはとばっちり食う可能性はある。だからそっちばかり気にする。


本当の暴力、反差別主義者の敵

ミシガン州フリントの話。ビジネスマン知事が上水道費用をケチったために、水源を水質の悪いフリント川に移さずを得ず、その水が鉛水道管を腐食し、飲み水に鉛が多量に混入。フリントは黒人の多く住む地域。子供たちは鉛中毒になり、発達障害。大人も死人が出ています。しかし、政府は「大丈夫です」といい、子供たちの血中鉛度検査の結果を改竄し、元オバマ大統領は「ほら、飲めるよ。」とカメラの前で実はフリントの水でない水を飲み、対応しなかった。

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有名な話です。

これ、暴力ですよね?

誰も放火してないし、誰もガラス割ってませんし、誰も殴ってない。

でも、これ、物凄い暴力じゃないですか?

「商店の略奪」と言う暴力を語る前に私たちはこっちの暴力を見極めないといけない。

歴史家、ハワード・ジンは「牢屋は小物の窃盗でいっぱい。本当の大泥棒は国を操ってる。」と言った。

本当の暴力を見極めるには私たち一人一人がしっかり情報を集めて、その規模を把握する想像力を、声を上げている人達への共感を動員し、目眩しの器物破損ニュースに踊らされて「暴力はとにかくだめ!」と言う白黒思考を止める事です。

その白黒思考には実害がある。それは「ほれみろ、プロテスター達は自分の意見が通らないからって暴れる様な奴らだ。あんな奴らの言い分なんて聞かんでいい。」と言う差別者側の印象操作に図らずとも加担してしまう、と言う実害。

こう言う事を言うと「じゃあお前は、プロテスターの破壊行為を肯定するのか。」と言われる。必ず言われる。

「肯定する」と言う事と、「その背景を知る」事は同義ではない。そして「ああ、、、そんな酷いことが行われていたのか。じゃあそうなってもしょうがないかも。」と心を寄せる事は「暴力を肯定」する事か?

もちろん破壊行為は褒められたものでは無い。自分がやられた商店の店主だったら同じ様には言えないかも知れないと思う。もし店をやったやつが特定できるなら、そいつらはその罪を償うべきと思う。最終的にはこの様な事態を引き起こしてる元凶である政府が補償したらいいんじゃ無いかと思う。

しかし、店が壊された!車が焼かれた!位の「暴力」にびびる事なく、本当の暴力をちゃんと見極める事が反差別主義者の行動なんじゃないか?だとして、良く分かってない者同士で、自分に降りかかる範囲内の被害だけを気にして「怖いよね、プロテストってさー、志は認めるけど、結局暴徒化するじゃん?」とそこだけの話題をリレーする事、やめません?

BLMのメインの案件で行けば、諸悪の根源は警察一択。米国警察組織はその発足の歴史か何から人種差別にあふれている。個人的には一掃するしかないと思う。

そう言うと、優しい、差別なんか絶対しない人が特に「いい警察もいるんじゃ無いか。そんな警察ばかりを悪者にする言い方は分断をより深くする。」と言う。「被差別者側も暴力で訴える様な事はしないで、ちゃんと正規の、正しい道で主張して、警察側にも味方を作るべきでは無いのか。黒人にも悪い奴はいる。黒人側も真っ当な主張者として変わらなければならない。」と言う。

その言葉から分かる決定的な誤解がある。反差別者が、「諸悪の根源=警察」と言う時の「警察」は「警察官一人一人」では無い。警察を解体せよ、とBLMが言う時、「警察官が全員悪!」と言っているのではない。

志高く、住民を想って入る警官だっている。それが中の腐ったシステムに絡めとられて、どんどん人種差別主義者になり、本当に悪どい警察官を自浄できない様になっている。システム、制度の問題なのだ。そしてそれはその制度内の力のあるもの。指揮官層および組合だ。だから「敵は警察!」と言う時、それは現行警察組織の制度の事を言っている。

話を広げよう。黒人の敵は白人だ、と言う時、その「白人」は人間としての白人ではない。「白人至上主義の法律・習慣・文化」の事を言っている。白人自身も白人至上主義に反抗する事ができる。この夏からの反差別運動には前例に無く、白人の理解者やデモ参加者が多い。白人達が皆、「黒人が権利を勝ち取るために打倒せんとしているのは、私、と言う人間ではない。」と言うことに気づいたのだろう。

そのシステムと、そのシステムを動かすほんの一部の力ある者達こそが「打倒すべきモノ」と理解すれば、黒人も、白人も一緒に戦える。それが「統合」だ。「黒人側にも悪い奴(暴徒?)はいる。」や「白人側にも味方を見出さないと」と言う「側」物語に視線を寄せることこそが「分断」なのだ。なぜなら、人種差別主義打倒の闘争は

白人vs黒人

では無く、

白人至上主義を押し付ける権力vs市民

であるからだ。

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さて、冒頭のフィラデルフィアでの警察によるウォルター・ウォレス・ジュニア殺害。あの総領事館からの情報しかない頭に、これら情報を入れてください。

●同日日中、同じ警官二人はウォレス氏宅まで行っている。彼が精神疾患を病んでいて、その日は酷く情緒不安定である、と知らされた。家の中で報告を受け、談笑をしていた。

●問題の夜中、ウォレス氏が取り乱した時、母親は救急車を呼んだのだ。医療サポートを呼んだ。そしたら銃を持った警官がやって来て、精神疾患がある、と知っているウォレス氏を撃った。もう一度言う。7発ずつ。14発。

この情報は私も3日後になるまで知らなかった。

だから、最初に、

「抗議活動で参加者の一部が暴徒化し,商店の窓や複数の警察車両が破壊され,抗議活動の参加者が多数逮捕されました。」

だけを聞いた段階で、

「いやいや、暴徒化する事じゃないっしょ。」

と部外者の私達がジャッジするの、やめませんか?


そして「黒人が精神疾患・DV・ホームレスなどの社会問題で助けを呼ぶと、銃を持った警察が現れて犯罪者扱いされる」と言う問題を語らずに「暴動、またあったんだって」とそこだけリレーするの、やめませんか?

どこに暴力があるのか。ちゃんと見据える事。それだけでも反人種差別主義者としての「行動」だと思う。


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