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【コンビニ人間】"普通"の選択肢の幅

"普通"ってなんだ。

この悩みは、人が思い悩むことランキングの上位に位置すると僕は思う。

第155回芥川賞受賞作
「コンビニ人間」 著者:村田沙耶香

幼い頃から人とは違う感性、いわゆる"普通"がわからない古倉恵子。30歳を過ぎてもなおコンビニでアルバイトしている彼女はコンビニという媒体でしか社会のつながりを感じることができない。結婚や就職も彼女にとっては普通のことではない。現代社会における"普通"に一石を投じた作品

読んだことがある方も多いと思う。僕がこの記事を書くにあたってきっかけになった作品だ。話題になり名前こそ耳に入っていたものの、読んではいなかった。この記事を書き始めたおよそ4時間半前にこの本を開いた。

僕はなんとも言えない感情に襲われた。作品自体にもそうだが、中村文則さんの解説に衝撃を受けた。五感を刺激の仕方や伏線となるキーワード、話の構成などの文章の美しさに心打たれた。これほどまでに小説とは練られたものなのか。
僕は解説を一読したのち、すぐさま最初のページに戻りまた村田沙耶香さんが創り出した世界に浸った。

2回目の読了したのちに思ったことは、本からの情報量がまるで違った。1回目の時とは明らかに世界の解像度が違い、主人公の古倉恵子という人物がより鮮明に感じられた。

文章を感じるとは、このことなのかと深く反省した。
と、ここまでが「コンビニ人間」を読んだ感想。ここからが本題。

現代社会の"普通"という選択肢

6種類のジャムと24種類のジャムを販売した際に、試食した人が購入する割合が6種類では30%だったのに対し24種類では3%と10倍の差が開いてしまった。

行動心理学の一つにジャムの法則というものがある。要約すると

選択肢が多いとかえって選択することがストレスになり、購買意欲が下がる。

というものである。たくさん選択肢があることは良い事のように見えて、実はストレスになることもあるのだ。

SNSが台頭してきた現代社会では、”普通"という選択肢が多すぎる。多様性だ!などと声高らかに掲げることが簡単に出来る時代になった。それ自体はとても良いことだと思う。

昔のよう、会社に忠誠を誓わずとも、フリーランスや自営業のような仕事形態を選択しやすくなったし、女性社会の進出の推進やLGBTへの迫害も幾分か少なくなったと思う。

ただ、選択肢が増えたことは必ずしも良いことではないと僕は思う。選択肢が増えたということは、それを選択する権限が与えられたのと同義で、そんなことは当たり前だ。

しかし、仮に自分が選択したものがが社会の"普通"ではあるかどうかは、必ずしもそうではないのである。

同調圧力などと良く揶揄されるが、まさしくそれに近い。まだまだマイノリティーである選択肢を選ぶのにはとてつもない勇気と力が必要だ。しかし、同調圧力などという得体の知れない”普通”に屈してしまえば自分が本当に選択したいその選択肢を目の前で見逃さなければならない。

この矛盾を現代人は感じているのではないかと僕は思う。少なくとも僕は感じたことがある。昔のように理不尽なりにもそれしか選択肢がなかった時代にはない、新しい悩みの一つとも言えるだろう。

今回「コンビニ人間」を読んで僕はそれを再認識した。「”普通”とはいったい何なのか。」答えのないこの問題と世の中に溢れている選択肢の幅の広さが錯誤する現代社会には僕はジャムの法則なんか全く当てはまってほしくない。

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