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【旅日記】アパルトヘイト博物館。その中にあったもの、その外にあったもの。

Global Peace Summitが終わったあと、飛行機に乗るまで時間があって。でも、「絶対に一人でホテルから出るな」ってホテルのフロントマンに忠告されるほどの治安の悪さだったので、もうどこに行くにも諦めてたんだ。

黒人(非白人)と白人の争いがいまだに残るヨハネスバーグという、南アフリカで経済No.1の都市。確かに、ホテルに用意されたドライバーと車でドアtoドアで両替に行ったときも、「ほらみてみろ、黒人しか歩いてないだろ」と。この地域、白人は追い出されているらしい。昼間でも危険らしい。現に、Summitが終わってそうそうに街歩きに出掛けたグループは、なんだか道端で喧嘩だか争いだか、とにかくトラブルに巻き込まれて、警察沙汰になったらしい。人の話はよく聞かないと。あれだけ外へ出るなと言われていたのに。

ちなみに、Uberを使うのも危険らしい。もともとあったタクシーが、Uberに客をとられたとかなんとかで怒って、Uberなんか乗ってるとこ見られたら、車の窓ガラスとかおもいっきし叩いてくるらしい。というか、そもそも、Uberってのがあるんだな 、使ってみようかなって南アフリカで初めてアプリをインストールして登録しようとしたら、認証コードがSMSに送られたんだけど、そのSMSが全く届かないっていうね。認証出来ないから登録もできなくて、あ、こういうのは事前に日本で調べて登録しておくべきなんだ、と現地で学ぶという。どんだけぶっつけ本番なんだよ!少しくらい自分でちゃんと調べていけ!いつか何かに巻き込まれるぞ!って思ってた(ちなみにこのあと結局、インドで盛大に何かに巻き込まれます)。

「飛行機まで時間あって暇な人いる?」

「どっか出掛けない?」

そんな時、参加メンバーのグループチャットが動いたのだった。この心強い(海外経験豊富な人ばかり、ていうか人生経験も豊富で、なんならガタイもいい)メンバーと一緒なら、大丈夫なんじゃないかという気がしてきて、手を挙げた。

「とりまロビー集合な」

と、集まったはいいものの、どこへいくか決まらない。私には事前に目星をつけておいた、行ってみたい場所がいくつかあったのだけれど、Summitにあんまり貢献できなかった(?)思いが強かったので、なにもしてないのに主張だけして、と、ためらっていた。でもよくよく考えて、自分がSummitの運営だったら?と思うとあぁもうそんな遠いJapanなんかから来てくれるだけでありがたいよ、と思うなぁと思って(JapanはおろかAsiaからも参加者はたった一人、私だけだった)、

アパルトヘイト博物館に興味ある」

と、主張してみた。(よくやった私!)

「へー、そんなのあるの?行ってみようよ」

意外とあっさり、決まった。うれしかった。

5人でUberに乗った。大丈夫だった。

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駐車場の向こうには、大型バスも停まってて、中学生っぽい生徒たちが校外学習に訪れているようだった。

まず早速、チケットを買った。ここのチケットを買うときに少々面倒なことに巻き込まれるんだけど、表には書きたくない話だから、割愛。結論だけ言うならば、お金を安易に立て替えるべきではないってこと、同時に、優しくて守ろうとしてくれる人もいるってことを学んだ。

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チケットには、ランダムに、非白人か白人と記してある。そして、入り口のゲートも非白人か白人専用の2つに別れていて、それぞれ通るようになっている。

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そんな具合に、ちょっと心がギュッとなる展示でスタートした。

ついこの前(1990)までアパルトヘイトがあったなんて。衝撃だった。知っておくべき事柄だと思った。学校で習ったことはあったけど、テストのために一生懸命覚えただけで、どんな事柄だったのか思いを巡らせたりなんかは全くしなかったんだろう。でも間違いなく、そこでアパルトヘイトっていう名前を覚えたからこそ、ホテルの近くに何かないかなってGoogle Map開いたら、ぱっと目について、行ってみたいってなったんだと思う。ありがとう先生、ありがとうあの時の私、一生懸命勉強してくれて。

博物館で1番感じたことは、ネルソン・マンデラがとても偉大な人だったんだ、ということ。
ネルソン・マンデラがこの街でとても愛されているのを感じた。ネルソンマンデラスクエアに大きく銅像もあったし。


でも複雑なのは、アパルトヘイト、というものは終わっても、まだまだ差別なんか終わっちゃいないんだって、この街にいるとひしひしと五感で感じるところ。治安が不安で街を自由に歩けないなんて。こんなに経済発展してるように見えるのに。

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差別ってでも、難しい。
差別と区別ってなんだろう。
差別だと意図してなくても、差別と受け取られることだって考えられる。
差別しないように、ってものすごく気をつけて生活するなら、無言になっちゃうと思う。

信頼関係、だよな。

差別うんぬんってなるのは、人としての関係そもそもが出来てないからなんじゃないかな。

人としての関係があれば、そもそも差別しようとも思わないし、されたとも思わないんじゃないかな。

それがものすごく難しいことだから、地球のあちこちで人類はまだ差別に悩まされてるんだろうけども。

難しいからって放棄するのも違うし。

人って弱くできてるんだろうなぁ。決して一人では生きられないように設定されてるんだろうなぁ。結局のところ、相対評価の中でしか自分の存在に安心できないなんて。

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話は少し変わるけど、デンマークから帰って来て思うことの一つに、私は差別されてないって思ってたけど、実は差別されてるのに気がつかないだけなんじゃないかってことがある。とくに女性差別の面で。

あからさまに差別されるのはもちろん辛いけど
差別に気がつかないどうしようもなさもあるよなぁ、と。

あぁ、人間は、弱いなぁ。

アフリカの話って、ほぼほぼ耳に届かないし
アフリカの歴史は、ほぼほぼわからないし

私ってこの世界のこと、知らないんだなぁ。
知らないってことを忘れずに知っておきたい。

そして、関心の領域を少しずつ、広げていきたい。
無関心っていうのが、なによりしんどいことだから。帰国して新聞読んでると、経験したことに関連してる記事に自然と目がいくのがわかるんだよね。国際的な記事が浮いて見えるようになった。1度行くと、1度そこでご飯を食べると、1度あった人の出身がそこだと、どこか遠い場所の話じゃなくなって、一気に自分の世界の一部になるんだよね。

インド行った時にお世話になった、タビイクの考え方にものすごく共感するんだけど、世界のあちこちに友達ができたら、世界平和に近づくなぁ、と。新聞記事を読んであの人元気かな、って浮かぶ顔があるなんて、とっても幸せなことだ。

その意味で、旅をする前は世界はとてつもなく広いものだと思っていたけど、今は、世界は思ったよりも小さいって思うようになった。

みんな同じ人間なんだってこと。
違う言語を話そうが、笑ったり泣いたり怒ったり。
生まれて死んでいく。
とくに違わないんだよ。

あそこで勇気を出して、博物館に行きたいって言えて本当によかった。とてもいい経験をした。そしてなにより、一緒に行ってくれた友人に感謝。一人じゃいけなかったし、一人じゃ思い出や学びも少なくなってた。みんなで学ぶパワーってすごいなぁ。

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博物館からまたUberでホテルに戻ってからね、一人が、食料を買いに行きたいって言い出して。たった1ブロック先に小さなスーパーみたいなのがあるって判明して。みんなでいけば怖くない、ってことで、みんなで歩いて行くことになったんだ。もう日が暮れそうで薄暗かったんだけど。

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ガタイのいいシリア人の後ろに隠れさせてもらってはいたんだけど、もう、道ですれ違う黒人が我々をみるその視線が怖くて怖くて。絡まれたことないけどヤンキーに絡まれるときみたいな。舐めるように我々を見るというか。ガンを飛ばすというか。

やっとたどり着いた(たった1ブロック)小さなスーパーにも、黒人グループがいて。我々のほうがレジに先に並んでたんだけど、横はいりしてきたんだ。食料買いたいって言い出しっぺのハンガリー人の女の子が、「私のほうが先だった」ってレジの人に主張したんだ。「おい、つまらないことでことを大きくするのはやめろ、ちょっと我慢しろ、ここは譲れ」って私以外のみんなも思ってたと思う。それくらい店内が不穏な空気になってた。「ねぇ、聞いてるの、私のほうが先なんだけど」レジの店員もまた黒人だった。店員は、我々に目でメッセージを送ってきた。「お前らは、あとだ、待ってろ」と。店員は我々の身の安全を考えて言ってくれている、すなわち我々の味方だ、と我々は安心した。ハンガリー人はそれでもずっと、「私が先」とぶつぶつ言っていたけど。

黒人グループがレジを済ませると、ちゃんと我々の番がきた。店員はなにも言わなかったけど、そのふるまいは、悪かったね君たち、と言っているようだった。

やっぱり、全く、差別が終わったようには感じられなかった。ただ、アパルトヘイト、っていう仕組みが終わっただけなんだ。

今でもあの時、たった一瞬だけヨハネスバーグの街を歩いたときの感覚は忘れられない。身の危険を感じる怖さが、ただ静かに、そこにあった。

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