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島根で出会った美しいものたち

島根の旅のつづきのお話。一日目はこちらから。

朝9時半、宿のエントランスでHさんの車の助手席に乗る。今日の目的地は「足立美術館」だ。

日本庭園と横山大観コレクションが見どころという「足立美術館」は、島根県の東端、少しいったら鳥取県という場所にある。初日に各所を案内してくれたHさんに「足立美術館に行こうと思ってます」と伝えると、「よかったら案内しますよ」と言ってくれて、二日目も車で案内してもらうことになった。二日間も付き合わせちゃって……という躊躇はほんの一瞬だけ浮かんだけれど、楽しくなりそう、という予感が大きく膨らんで、遠慮なく甘えることにした。

昨日より少し厚めの雲が目の前に広がっている。目的地への道のりには神話にまつわるスポットがたくさんあって、山々と田畑と雲に囲まれた場所で神様たちのエピソードを聞いていると、古代にタイムスリップしたような気分になってくる。

美術館は、遥か昔から変わらないような景色の中に、スッと現れた。アクセスを考えれば「こんなところに」と思うような場所だけれど、不自然さは感じられず、鳥居をくぐるような感覚で中に入った。

窓越しに広がる庭園はとても広大で、借景の山々と見事につながっている。景観が崩れないよう山の一部を購入し、さらには人工滝を開いて横山大観の世界観を作り出すというこだわりよう。ガラス越しじゃなくて直接見たいなと思っていたら、何箇所か外に出られる場所もあった。ちょうど松の剪定をしているところに遭遇すると、数人の若手がハシゴの上で手作業で葉をむしり取っている。庭の維持のため、庭師もしっかりと育てているらしい。床の間の壁をくり抜いた生の掛軸や、窓枠を額縁に見立てた生の絵画など、随所の仕掛けに圧倒されていたら、ポツポツと雨が降ってきた。雨に濡れた岩がまた美しかった。

展示室には横山大観をはじめ、日本画が多数展示されている。美のセンサーがたっぷり開いた状態で見ることで、絵から感じ取る美しさや狂おしさがより大きくなっている気がする。庭と絵画が一体となってこの空間を高め合う。この庭がとても贅沢な参道だったかのようにも感じられた。

絵画や工芸(魯山人館もあった!)をたっぷりと鑑賞して外に出ると、下界におりてきたような感覚になり、甘酒(好物!)でひといきついてお昼ご飯を食べることにした。「カフェランチにしましょうか」「そうしましょう!」とすぐに意気投合したのは、なんとなく日常感を求めてのことだったような気がする。それほどに非日常、異空間だった。

連れていってくれたのは松江市内のカフェ。黄色い外壁、暗めの照明にたくさんの窓から入り込む日差し、どっしりとしたテーブルやソファに高い天井。ちょうどよい塩加減のリゾット、コーヒー色の氷と共に供されるアイスコーヒー、尽きないおしゃべり。やっぱり二人で来れてよかった。一人で来てたらそのまま夜までボーッとしていたかもしれない。

その後は八重垣神社と神魂神社へ。ここは一人では来れなかっただろう。特に神魂神社の佇まいはなんとも形容しがたい雰囲気で、本殿はもちろん、境内のちいさなお社の存在感にも圧倒された。時の流れが止まっているような凝縮されているような不思議な感覚になり、また少し異空間にもっていかれそうになった。

八重垣神社鳥居
神魂神社本殿
神魂神社境内社

夕方まで神々の国を堪能して、またも宿まで送り届けてもらい、この日は早々に眠りについた。

三日目の朝、早起きしたので宍道湖畔を散歩してからゆっくりとチェックアウトを済ませ、朝ごはんを食べてお堀に出るとちょうど遊覧船が出ようとしているところだった。

今日の目的は小泉八雲の旧居。松江城のお堀を半周ほどすると近くまで行けるから、船の時間が合うといいな〜と思っていたところ、ピッタリのタイミングだったので急いでチケットを買って乗船した。何箇所か低い橋があり、そこでぐいーっと屋根が下がる。一番低いところでは船に寝そべるような格好になり、ちょっとしたアトラクションみたいで面白い。船頭さんのトークに笑いながら下船し、まずは小泉八雲記念館へ向かった。本は読んでいたけど詳しいことは知らなかったので、彼の人生や作品をじっくり見て回り、その後旧居へ。

低い橋を潜るときは屋根が下がってくる

庭が美しい家だった。真ん中の部屋に座ると正面と左右の三面の庭に囲まれる。百日紅の花が風に散り、石鉢に溜まった水に小鳥がやってきて羽根を震わせる。多くの苦難を経て日本にやってきた彼がこの地を愛してやまなかった理由に、ほんの少し触れられたような気がした。

誰も来なかったのでしばらく座ってぼんやりしていた。昼どきはとうに過ぎ、残り時間で松江城も見ていこうかと思ったけれど、下まで来たところで人の多さと疲労感にめげて、また今度、と引き返した。

松江城の下で写真だけ

軽く昼ごはんでもと思って歩いていたら、Hさんから「仕事終わったので空港まで送りますよ」とのメッセージ。空港行きのバスはあるし、さすがにそれは申し訳ないとも思いながら、今日の話もしたいしな〜と、またも甘えることにした。待ち合わせ時間までゆっくり過ごせそうな喫茶店に入り、本を読みながらうとうとしていたら、自分が今どこにいるのか少し曖昧になってきた。出雲大社、山々に庭園、絵画や工芸、湖畔の風景、青い空に浮かぶ雲、草木や鳥たち、ただただ美しいものたちの思い出が脳内を行き来する。なんだか夢みたいなひと時だった。

Hさんと合流し、この店で待っててと言おうと思ってたんだ、と聞いてちょっとしたシンクロに笑いながら助手席に乗って空港に向かう。遠足から帰ってきた子供みたいに小泉八雲のことや松江城から引き返したことを話していたら、すぐに着いてしまった。

「また会いましょうね!」「次は東京で!」と挨拶を交わして別れた後、「あ、最後に写真撮るの忘れちゃった…」と思っていたら、「そうだ、写真撮りましょう!」とHさんが引き返してきてくれた。ここでもシンクロした。ゆるキャラ「しまねっこ」と一緒に撮ったこの時の一枚には、そんな一瞬の思い出までおさめられている。

帰りの飛行機からは宍道湖畔がよく見えた。夕日を眺めたのはあの辺りかな、今朝歩いたのはあの道だな、と思い出に浸っているうちにどんどん上昇し、気づけば分厚い雲の中にいた。

島根から戻ってきて、大きく変わったことがひとつある。それは「過去への関心」だ。歴史は大の苦手で、一般教養といわれるレベルにもついていけずに放置していたものが、どういうわけか突然身近に感じるようになった。

神話の場に身をおいたことで、過去との距離が一気に縮まったのかもしれない。そうさせるほどに現在と過去との境目が曖昧で、過去はすぐ近くにあって現在に続いているんだ、ということを初めて実感したのだ。

小泉八雲がこの地に惹かれたのには、そんな理由もあったのだろうか。彼の日本の西洋化を憂う文章を読み、その後確かに失われた美しさも多くあるんだろうとは思いながらも、ちゃんと残されているものもあるよ、と心の中で声をかけた。


三日目の朝、宍道湖畔での散歩の記事もご覧ください↓

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