相方【OO-ct. ──ノー・カラット】
七草にちかPとしてシャニマスと向き合うことを決め早3ヵ月弱。シーズ初のシナリオイベントについて、私の考えと想いをここに記す。
当記事内には【OO-ct. ──ノー・カラット】はもちろん、SSRなどのネタバレも多分に含まれるためご注意ください。最新のpSSR【ヴぇりべりいかシたサマー】七草にちかのtrue以外までのネタバレも含みます。
にちかの目指していたアイドル像
路傍で調子よく歓談する無名芸人コンビに対し、にちかは辛辣な言葉をつぶやく。しかしバイトの先輩にはこの苛立ちを共感してもらえない。何故ならその嫌悪感はにちかの自己嫌悪から来るものであるからだ。
この芸人コンビの醸し出す空気感や言動の全てがにちかの癪に障ってしまう。相方を食事に誘いたい様も、欲望に負けて計画を下方修正する様も、将来の夢さえも。悲しい程に『にちかの自然体』はこのありふれた『冴えない芸人コンビ』に似ていた。
にちかがこの『冴えない芸人コンビ』に嫌悪感むき出しの一番の理由は、自分のあいかt・・・ユニットメンバーである美琴の足を引っ張ってはならないという自律心だ。美琴の圧巻のパフォーマンスを知ったにちかは、少しでも美琴のアイドル活動の邪魔にならないよう努めていた。そのためには凡庸な感覚を捨て去らなければならない。実力派と売り出していたことも相まって、にちかにとってシーズのメンバーであるということは、美琴の意向を汲みとってそれを粛々と実行するということに他ならなかった。
練習中も控室でも、にちかは美琴に話しかけるが、会話は全く弾まない。しかし意地悪をされている訳ではなく、ただただストイックに鍛錬に励む結果として雑談などの無駄がそぎ落とされているのだ。それを理解しているからこそ「相方を飯に誘うようなつるみ方」は美琴に断られて然る、向上心の低い行為と認識するしかなかったのだ。
そうなると次は、美琴の目指す「歌とかダンスとかパフォーマンスでみんなに感動を与えられるようなアイドル」活動に不要なものに対しての当たりが強くなる。『にちかの自然体』としては雑談や飲食で相方との距離を縮めたいのに、それは美琴に受け入れられない。その事実を正当化するために、仲良し売りのアイドルに対して攻撃的になっていく。
この意識は美琴に強いられている訳ではない。あくまでにちかが美琴と寄り添おうとして作り上げた理想像だ。しかし皮肉なことに「ストイックなパフォーマンスをするアイドル」に自分を合わせるという考えに行き着くのは、にちかにとってとても自然なことであった。何故なら八雲なみを目指していた間、ずっとそうしてきたのだから。八雲なみへの妄信的な憧れはW.I.N.G.で克服できていたとしても、自分がアイドルとして通用しなくなる瞬間が来るかもしれないという焦燥感はまだ続いていた。
そして、にちかの憧れていたアイドル像、すなわち八雲なみも「歌とかダンスとかパフォーマンスでみんなに感動を与えられるようなアイドル」であったことは過去のコミュから察することができる。だからこそ、にちかは美琴を心底尊敬しているし、そんな美琴に認められるアイドルになりたいと強く想っていた。
にちかの美琴への想い
さて、にちかが憧れの「ストイックなパフォーマンスをするアイドル」に自分を合わせる、という考えに行き着いたと説明した。しかしそれでは、信仰対象が八雲なみから緋田美琴へと変わっただけで同じ轍を踏むのではないか、ということが問題になる。
だが、にちかはW.I.N.G.を経て確かに成長していた。
『そうなの?』の発見を経て、八雲なみが悲しみを背負ってステージに立っていたことに気づいたことが、妄信的だったにちかの殻を破った。それを経験していたにちかは、美琴からもパフォーマンス以上の何かを汲み取ろうとしたのだ。
だからにちかは、美琴のことを見続けていた。
彼女の瞳に何が映っているかを観察し、彼女の行動が何を意図しているのかを、必死で理解しようとしていた。美琴に追いつき、寄り添おうとしていた。時には美琴のインタビューを復唱するような受け答えをし、時には美琴より早くレッスン入りし、時には手作りの差し入れをするようなひた向きな努力。その柔軟体操の吐息すら合わせようとする努力は、しかし無力であった。
自分の記事からの引用で恐縮だが、私は以前このようなことを書いた。
同じユニットの仲間同士でも、容易に『通じ合う』なんてことにはならない。言葉にして伝える、あるいは言葉にするように促す、そうしたことの積み重ねでしか互いの理解度を上げることはできないのだ。
しかしダンサー集団の練習に馴染めずにいても、ユニットをダシに羽目を外しているところを見られてしまった時でさえも、美琴は何も言わなかった。そんな多くの感情を抱えたにちかを見ていたはずの美琴は、それでもシャニPにはパフォーマンス以外に気になることは無いと伝える。殆ど言葉をくれない美琴のことを理解しようとするのは不可能に近かった。
美琴の心底尊敬しているにちかにとって、美琴の目に映っていないのは自分の力不足、という考えに至るのは当然であった。ライブハウスでの自分の姿は美琴にとって最低のメンバーであり、目に映す価値もないから言葉をくれなかったんだろうと感じていた。
しかしそれでもにちかは、美琴に追いつき寄り添おうとする努力を辞めなかった。500万回夢見て勝ち取ったアイドルの時間は、ここで諦めるほど安いものではない。その血の滲むような努力は、彼女が常に200%の力を出し続けて美琴を追いかけていたことを物語っていた。
そうして美琴を追い続けていたにちかは、彼女がリフター上でペンシルターンを決めようとしていることに気付く。ずっと演出について言葉を交わしていたダンサーやスタッフも、リフターについて相談を受けていたシャニPですら気付けなかった美琴の真意に、唯一にちかだけが迫る。
だから、にちかは回ったのだ。美琴よりも先に。
技術では追いつけなくとも、気持ちだけは美琴に追いつこうとして。
一瞬の想いの輝きが、とうとう美琴に届いた。
幸せになるためのアイドル活動
少し話は遡る。
にちかが美琴の意向を汲みとろうとする余り、仲良しアイドルに攻撃的になっていた頃、シャニPが言葉をかけた。
恐らくこの時点では、にちかはシャニPの言わんとしている事を理解できていなかった。
しかし、にちかの想いが美琴に届き、美琴が心を開き始めたことから、にちかの心境も少しづつ変わっていく。
仲良しアイドルに牙を剝いていたのも、本心の裏返し。『にちかの自然体』はあの『冴えない芸人コンビ』とどうしようもなく同じなのだ。本当は相方と歓談したいし、時には飲食だって共にしたい。練習でも仕事でもない美琴のことを、もっと知りたい。互いを知り合いたい。
美琴は練習でもアドバイスをくれるようになり、さらには美琴にとって大切な場所であろうスタジオにも案内された。そして練習もそこそこに、ふたりの時間が訪れる。
美琴が気にかけて、水を渡してくれる。今ならにちかも、倉庫で踊っていた理由を聞ける。美琴は、にちかにキーボードで何か弾くように促す。そんな緩やかだか今まで無かった、かけがえのない時間。
だからにちかは言葉にする。
自分にとってのアイドルの始まりの話を。
またも自分の記事からで恐縮だが、私は以前このようなことを書いた。
『身近にのみ通用するアイドル性』だ。これはつまり「身近な人間から愛され応援される」という性質。
(中略)
誰しもが持つことができる一見普通なものであるが、これもアイドルとして輝くために必要なもの。
(中略)
自分の娘や妹がアイドルの真似事をしていたら、それがどんなに拙くとも愛おしく見えるだろう。
(中略)
私は、七草にちかという少女から心が離せなくなっていた。にちかの持つ普通の力。アイドルでない、人間としてのこの子を応援したいと思わせる力。
にちかの魅力がドメスティックな距離感だと私が感じたのは、やはり彼女のアイドルとしてのルーツに起因していた。そしてそのことは、恐らくシャニPにも話したことのない、にちかにとってとても大切な宝物の、幸せの記憶。それを相方に吐露することは、にちかにとって今できる最大の歩み寄りだったに違いない。
にちかはアイドルを目指し始めてから、常に恐怖と戦っていた。そしてその恐怖を、必死でいることで胡麻化していた。そんなアイドル活動は幸せからは程遠い。しかしにちかは過去に想いを馳せながら、「幸せ」をシーズの活動に見出せるのではないか、と気づき始める。
アイドルユニットは一人で戦っているのではない。幼少、家族に囲まれてアイドルごっこをしていたように、今度は相方とアイドルの道を進めるのではないか。
一番近しい人に、アイドルの自分を認めてもらうこと。それこそがにちかの「幸せ」に必要なこと。
にちかの言葉が、あるいは行動が響いたのか、美琴は自分がどういう人間を認めるのかをしっかり口にするようになる。それは「仲良し」なんかとは程遠い、一切のオブラートに包まれない本心の言葉。
そして美琴は、にちかに対して認めている部分もちゃんと言葉にする。にちかの演出案も聞き入れてくれる。それはにちかがダンサー仲間たちと同じ水準まで、美琴に認められたということ。
憧れの美琴に認めてもらえるのは、にちかにとってあまりにも「幸せ」であった。その関係は「仲良し」であることなんかよりずっと尊いもの。だからにちかも、応えなければならない。胸を張って美琴に認めてもらえるようなアイドルに。
にちかはもう、ひとりではない。ここでようやく、にちかにとってアイドル活動が幸せから逃げる行為ではなくなった。シーズはにちかが「幸せ」になるための居場所となるのだ。家族に囲まれてアイドルをしていたあの頃のような居場所に。
最高に可愛いアイドル
にちかは美琴と言葉を交わし合うことで、シーズの活動に「幸せ」を見出した。冒頭のような『にちかにとってシーズのメンバーであるということは、美琴の意向を汲みとってそれを粛々と実行するということ』ではなくなった。そんな彼女はみずみずしい輝きに満ちていて、とても明るくて楽しそうな少女。
アイドルを自分に課していないときのにちかは、可愛かった。幸せになることから逃げない『にちかの自然体』は、頑張り屋だけどお調子者で、しゃべらせると結構おもしろい。その姿はあまりにも『アイドル』であった。
にちかはアイドルとして開花した。
美琴を置き去りにして。
「歌とかダンスとかパフォーマンスでみんなに感動を与える」よりも「みずみずしい輝きに満ちていて、とても明るくて楽しそう」な方が、どうしようもなく『アイドル』だ。どちらも魅力がある、ではない。後者の方が圧倒的に魅力で勝るのが、アイドルの世界なのだ。
独りの現場で悲しそうな表情を浮かべるにちかと、にちかにかつての相方を重ねつつも悟ったような表情で練習へ向かう美琴。にちかが「幸せ」になるための居場所になる筈だったシーズは、一瞬で失われた。
にちかはまた、ひとりになった。
緋田美琴のこと(再)
このイベントコミュで、彼女のことを考察するのは尻込みしてしまう。ノーカラットの物語において、カメラは終始、女子高生チームのストーリーを映し出していたからだ。そしてこの結末が突きつけられてしまった。
ただ、少なくとも美琴は、今に至るまでのドラマや個性を商品にしたいとは考えていない。奈落から上がったステージのためにすべてがあり、そこでのパフォーマンスで感動を与えたいのだ。その想いがメタ的に作用することで、美琴に感情移入できない構成のコミュになっていた。
美琴のスタンスは「自分の生き方を正しいと証明したい」だ。裏を返せば「正しいかはわからないけど変えるつもりはない」。
想いや友情など、コマの強度には関係ない。しかし、アイドルの強度には大いに関係があった。ならば、勝つための努力と緻密な計算の下に削り出されたコマにとって、そもそもアイドルという舞台で戦うことは正解なのだろうか。美琴は「正しいかはわからないけど変えるつもりはない」。
答えは出ない。
ただ、このイベントコミュ内において美琴の考え方は一貫しすぎていた。奈落に対する印象を、にちかは成長により変化させていたが、美琴は終始自分を貫いていた。
しかし、にちかの行動に対して何らかの心境の変化があったのもまた間違いない。連弾のあの表情は、初めて見る美琴の一面だったと思う。
シャニPは常に、アイドルが『望む空にはばたけるように』プロデュースすることを目指している。無理やりドラマや個性を商品にさせることは、美琴の望む空ではない。となれば、美琴にそれを許容させる転機が訪れるのか、あるいはパフォーマンス一辺倒で感動させることを求め続けるのか。
救いがあるとしたら、それはやはりにちかの存在だ。にちかは常に、美琴のパフォーマンスで感動を与えられていた。
人の心をつかめるかどうかはわからない、と美琴は言っている。目の前の、にちかの心をつかめているのに。そこには自動演奏ではなく美琴が弾くことによる音色に感動のヒントがあるはずなのだ。しかし、美琴の中で自分はいつも一人きりで、だから遠くしか見ていない。美琴の言う「みんなに感動を与えられる」は、この「一番近くの人に感動を与えられる」から始まることを知ることが、美琴の届けたい感動の本質に気付く糸口になるのかもしれない。
「家族の中だけでのアイドル」から始まって遂にここまで来たにちかなら、きっと美琴に「一番近くの人に感動を与えられる」ことの力を気付かせてあげることができると、私は想っている。
だから我々は待つしかない。
いつかどこかのコミュで、工学部チームのドラマをカメラが映すまで。
あとがき(所感など)
思い付きをふせったーにしたやつ
あと、にちか頑張った!えらい!みたいな感想っぽいのはまた別でどっかに書きたい。→書いた。
今回、以前の記事から引用したりもしたが、今になって全文を読むと素っ頓狂な考察もあるかもしれない。それでも書いた時点での私の考えということで、特に改変せず残しておくことにする。
緋田美琴のこと(裏)
ここから先は更なる憶測や暴論も含まれ、共感できない、不快に思う方もいらっしゃるかもしれません。緋田美琴についてそういった文章を読まれたくないという方は、申し訳ありませんがここまででお引き取り願います。
美琴の言う「死んでもいい」は誇張だったり比喩だったりする可能性もあるのですが、ここではそういった意味も含めて「死」として書きます。
美琴について、まだ疑問がいっぱいある。
パフォーマーやアーティストに転向すれば良いのに、なぜアイドルに固執するのか。8歳も年下のメンバー相手に気を遣えなさすぎではないか。ユニットなのに相談なしで一人だけペンシルターンをする気だったのか。初めの頃の方が2人の距離が近かったのはどうしてなのか。
私に仮説がある。
美琴が「その日は手が伸びた」と言っていたことから、普段から差し入れられていたが手を付けなかったことが伺える。そして、この日はにちかがオーディションに落ちた日であり、美琴はそれを知っていた。
イベントと同時実装のpSSRは裏話的な役割を持つ場合がある。(おしゃまメイドあさひなど)そしてにちかは、同時実装pSSRの中で、オーディションに落ちる描写があるのだ。しかも理由は「パフォーマンスで勝るのに個性不足で不合格」であった。
そしてその日、フラストレーションを貯めるにちかを見て、美琴の手は差し入れになんとなく伸びた。甘くて美味しかった。
少し話を変える。
美琴は「個性とかドラマが実力に勝る世界」に疑問を持っていた。ピアノで最優秀賞を取れなかったあの日から。
だから、実力一辺倒でも人を感動させられることを証明するために、最も「個性とかドラマが実力に勝る世界」であるアイドル業界で戦うことにした。その道中、美琴と仲の良いパフォーマー気質の人たちは、成功するためにアイドル業界から去っていった。きっとそれが正解だった。
しかし美琴は自分の想いを証明するために、アイドルに固執し続ける。けれどもう、美琴は薄々気付いている。自分の悲願が達成できないことを。きっと自分の10年は間違っていたと。
だが、もう後戻りはできないし、今から道を変えることもできない。美琴にはパフォーマンス以外、何もない。
にちかがタクシーから窓の外を見て想いを馳せるような時間も、美琴はパフォーマンスの向上に費やす。学生時代に戻れても、やっぱり練習するしかない。自分の10年が間違っていたかもしれないという恐怖を塗りつぶすために、そう答える。
美琴にとって重要なのは、もはや表の世界で成功することではない。「個性とかドラマが実力に勝る世界」を実力で打ち負かしたいという想いで、10年を費やした。もう退路が無いなら、ここを死に場所にするしかないのではないか。いつしか美琴はそんな風に考えるようになる。
ファンから応援してもらい、ファンを喜ばせるのがアイドルだ。そのファンを悲しませることを望んでいるのなら、それはもうアイドルではない。もし本当の意味でのアイドルになれたなら、死んでもいいなんて言えるはずがない。でも、美琴にはそんなことは関係ない。もう「個性とかドラマに実力が勝る世界」足りえないであろうアイドル業界は、美琴にとって呪うべきものに置き換わってしまっているのだから。
美琴が求めているのは生き様ではなく死に様になってしまった。ステージ上で死ぬなんていう、最高のパフォーマンスかつ最高のドラマで、すべての幕を下ろすなんていう、皮肉めいた暴挙。
そして、そんな自分の向こう見ずなアイドル人生に、相方を巻き込んではいけないと考えていた。だからルカと決別したし、にちかとも距離をとっていた。美琴にとってアイドル業界は呪うべき死に場所で、ドラマや個性を商品にしないというスタンスは「正しいかはわからないけど変えるつもりはない」。だから相方には、そんな自分に愛想を尽かして欲しい。
しかし、それでも美琴が相方としてふさわしいと思える相手がいるとしたら。それは「パフォーマンスで勝るのに個性不足で不合格」することでアイドル業界へのフラストレーションを貯めている者であったり、あるいは故障の危険があるパフォーマンスに身を投じる向こう見ずさを持っている者なのかもしれない。
だから、あの時のにちかを、自分と心中してくれる相方に成り得ると感じて距離を縮めたのではないだろうか、という暴論仮説が私の中に生まれてしまった。(心中が文字通りの意味なのかは置いておいて、少なくとも共に破滅の道へ進む相方としてにちかを見た)
監禁脅迫からはじまったにちかのW.I.N.Gは、文句なく向こう見ずであった。しかし優勝して憑き物が落ちたにちかは、傍目に見ても多少なりとも安定したのだろう。だから美琴とにちかの距離は開いたり縮んだりを繰り返した、なんていうこじつけも考えてしまう。
そして、この問題に切り込めるのもやはりにちかしかいない。美琴の与えたかった感動はすでににちかに届いていて、だからにちかを悲しませたくないと美琴に思わせなければならない。これからもずっと、生きていきたいと思わせなければならない。
シーズの物語つづき