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浅いプロデュースを10年続けていた私が、今さら筆を執った訳(前編)

 私がアイマスシリーズにハマる切っ掛けとなったのは、当時リアルタイムで視聴したアニマス。そこから浅いところでアイマスに触れ続けて10年、最後に行き着いた先で出会ったアイドルについてどうしても吐き出したい思いが募り、こうして筆を執った。

 結論からいうとシャニマスに『SHHis』というユニットが実装された所為なのだが、面倒くさいオタクなので前置きからつらつら書かせていただく。

私の思う、プロデューサーと担当アイドル

 アイドルマスターでは元来、プレイヤーのことを『プロデューサー』、昨今でいう推しキャラのことを『担当アイドル』と呼ぶ風習がある。これはロールプレイングの一環であり、元を辿れば『プロデューサー』という立場でゲームが進行するからに他ならない。
 しかし、この『プロデューサー』で在れというロールプレイングは、ゲームの外部にまで及びうる。

 例えば、私が初めてアイマスを知ったのはニコニコ動画のMADだ。
 これにはMAD製作者が『プロデューサー』で在り『担当アイドル』の魅力を売り出す、という文化的フレーバーがあった。それがMAD製作であれ、SNSに絵をアップすることであれ、はたまたこうしてnoteに綴ることさえも、『担当アイドル』についてのアウトプットを行うことすべてが『プロデュース』というロールプレイングなのだ。
 これは運営に用意されたコンテンツの枠を容易に飛び越え、個々のプロデューサーが行う創作で世界が広がり、それがまたファンでない人達の目に入ることで新規を獲得していく。そんな循環でこのアイマスというコンテンツは成長してきた。
 そして、このロールプレイングこそが他のコンテンツには無い、アイマスの楽しみ方の神髄だと思っている。

 誤解のないように注釈を入れると、創作活動のみが『プロデュース』ではない。ハードルの低い活動だと、投票イベントで『担当アイドル』の得票を上げるためにSNSで宣伝をしたりとか、自身の『プロデューサー』名義の名刺を作ってライブ現地で交換したりとか、そうした文化もロールプレイングみが強い。そして、上記のようなアウトプットすらしなくとも、取り合えずコンテンツに触れて、多少なりお金を落として、『担当アイドル』の自覚があれば立派な『プロデューサー』であるとここでは定義しておきたい。
 かくいう私も、長らく何のアウトプットもせず、ただただコンテンツを消費する『プロデューサー』であった。


私の、担当アイドル

 さて、私の『担当アイドル』の話をしたい。
 明確に断言できるのは、本田未央北沢志保の2名だ。

 765ASのアニメを見ていた頃は、あくまでアイマスは「面白いアニメ」であり『プロデューサー』 の自覚はなかったため、『担当アイドル』は選べない。CSのゲームもプレイしていなかったので、最も根っこの部分の「公式ゲームのプレイ」=「プロデュース疑似体験」という部分に触れなかったということも大きい

 そして、本田未央と北沢志保である。
 シンデレラガールズとミリオンライブにはスマホゲーという取っつきやすいプラットホームが用意されており、私もデレステとミリシタについてそれぞれリリーズ時からプレイした。私の中で「公式ゲームのプレイ」=「プロデュース疑似体験」という最低限の要項を満たしたこともあり、晴れて私は『プロデューサー』を自覚したのだ。

 しかし、この2名のアイドルについては、デレステ/ミリシタのゲームリリース前から推しアイドルとして目を付けていた。正反対の性格ながら、共通項が多いこの2人。私と同じく担当しているPなら理解は難くないと思う。


本田未央と私

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 デレマスというコンテンツに触れたのはアニメ『アイドルマスターシンデレラガールズ』が最初で、見始めた頃はキャラの名前も知らなかった。

 そして私が本田未央に魅力を見出したのはこの時であった。

 年相応の不完全さと身勝手さ、時に自己制御が効かなくなる情熱。そういった少女が、人や仕事と向き合い、泥臭く成長していくストーリーが、とてつもなく好きだった。

 しかしながら、アニメに対する世間(既存Pも含め)の評価は芳しくなかった。短絡的で自分本位な行動が周囲に不和を起こす、こんなキャラを叩く人がいるのは、まぁ仕方ないと思うし理解できる。
 気になったのは既存Pによる「アニメストーリーに起伏を付けるために性格を捻じ曲げられた」という意見だった。事実、ゲーム版の未央は「友達思いで社交性が高く、お調子者なムードメーカー」であり、身勝手だと評するような行動は(私が観測した範囲だと)特に見られなかった。

 では、アニメの未央は本当の彼女ではなく、私が魅力的だと思った少女はいないのか。アニメだって公式のコンテンツである以上、あそこにいた彼女も本物であるとすることに、私は疑問を抱いていない。
 何より、未央の魅力を気づかせてくれる物語をありがとうと言いたい。

 ちなみに、「友達思いで社交性が高く、お調子者なムードメーカー」な未央は普通に大好きだ。ずっと彼女の笑顔を見ていたいと思う。ただ『プロデュース』対象としては、人間の弱い部分も見せてほしいという、私の自分勝手な願望も抑えられない。


北沢志保と私

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 ミリマスというコンテンツに触れたのは映画『アイドルマスター輝きの向こう側へ』が最初で、見た頃は後輩キャラの名前も知らなかった。

 そして私が北沢志保に魅力を見出したのはこの時であった。

 年相応の不完全さと身勝手さ、時に自己制御が効かなくなる情熱。そういった少女が、人や仕事と向き合い、泥臭く成長していくストーリーが、とてつもなく好きだった。

 映画版ではアニマスで信頼関係の構築が済んでしまった765ASのメンバーに、新たな試練を与える必要があった。そのために、不完全なアイドルとしてミリオンから志保達後輩が選ばれたのだ。

 TVシリーズの25話でひとつのゴールを迎えたというか、春香たちの物語にひとつの結論は出ていたので。あの集団で何かをするなら外から誰かを引っ張ってくるしか無いと。ライバルという形は961プロなどでやっていたのと、アイマスは成長する物語だということを考えて後輩たちという形にしました。たとえばやよいが下の子に何かを教える図って、成長した感じが出るなと思いましたので。
(出展『THE IDOLM@STER MOVIE FAN BOOK MEMORIAL M@STER & OGI★STAR MEMORIES 2』坂上陽三×石原章弘インタビュー)

 映画の制作とミリマスの企画(ミリシタではなく元祖のグリマスの方)が同時並行だったこともあり、キャラ設定にブレがあるのはある程度許容するしかない。そんな中でも北沢志保は、765の先輩アイドルでありASメンバーが全幅の信頼を置く天海春香のやり方に異を唱える役回りだ。
 765ASの古参Pには「狂犬」「マジレスちゃん」などと評され、はじめこそ多少叩かれたが、スマホゲーの方でキャラ造形が深堀りされるうちに受け入れられていったようだ。
 ゲーム版の方が志保の性格も多少丸いのだが、ヘイト役になるために映画で性格を変えられたという意見は見ない。(すなわち素でヘイトを買いやすい性格であるということなのだが、そこが志保の魅力でもあるとPが認識している、という点が未央と違うところか)


担当アイドルに求めるもの

 さて、長々と2人との出会いを書いたのだが、つまるところ彼女らが私の担当となった理由は同じだ。

 自分の持つ情熱をコントロールできない不完全さと、ときに周囲に不和を生じさせてしまう不器用さを持つ。しかしそれらは、理想の自分と今の自分とのギャップに由来しており、本人が1番そのフラストレーションに悩まされている。泥臭い葛藤を重ね、足掻いた先で成長した自分と出会える、そんなアイドルだ。

 これは私が『プロデュース』というロールプレイをするにあたり、未完成なアイドルを大成させる、という物語に重きを置いているからだ。担当アイドルの持つ欠点こそが『プロデュース』の余地であると考えているし、その欠点を克服する時に得られるカタルシスに強く心を動かされる。
(もちろんこの物語とは、公式から一方的に提供されるものをなぞっているに過ぎない。これは前述の話でいうと、創作活動的な『プロデュース』ではなく、コンテンツを消費する『プロデュース』である。私がそれ止まりで満足していた一番の理由は、アイマスに求めるものが物語であったからに他ならない)


私は物語に飢えていた

 そんなわけで、長らく本田未央と北沢志保をプロデュースしながら、ゲームや楽曲などのコンテンツを消費していた。しかし、前述の通りゲーム内コミュでの本田未央は「良い子」であり、弱い部分がさらけ出されて自身の本質がむき出しになるような試練は与えられない。志保はゲーム内コミュでも多少はその「狂犬」振りを披露していたが、それでも映画で得た情動に匹敵するような物語ではなかった。
(公式コンテンツとしては漫画『Blooming Clover』が私の欲求を大いに満たしてくれたため、志保に対する熱量は長続きしていた。『U149』も質の高い物語を提供してくれるが、未央の出番がほぼ無いのが惜しい)

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 さて、ではなぜ私が求める「物語」が、現在のアイマスシリーズのホームともいえる「スマホゲー」の中で提供されないのか。


 私が熱望するアイマスの「物語」には、おそらく次の2つが必要なのだ。それは『時間経過による成長』『プロデューサーの人格』である。

 『時間経過による成長』は、終わりのない「スマホゲー」で表現することがとても難しい。これはコンテンツの間口を広げる措置であり、どの時点からコミュを読み始めてもアイドルを理解しやすいようにしている。過去のコミュの話題を別のコミュで引用されると、いわゆる「必読コミュ」が重なっていき新参に不親切なつくりになってしまう。よって、特定のコミュ内では何らかの試練を乗り越えたとしても、次のコミュで明確に引用されることはほぼないのだ。
 そしてこの問題は、アニメや漫画では起こりえない。なぜなら明確な始まりと終わりがあり、それに沿って物語が作られるからだ。アニメを途中から見たり漫画を途中から読んだりする人間を配慮する必要もない。制作スタッフも『時間経過による成長』を重んじるからこそ、前述のインタビューのように、アニメの延長世界として映画が作られたのだ。

 『プロデューサーの人格』も、ロールプレイを重んじるゲームでは御法度に近い扱いを受けている。これはここまでに散々言ってきたことであるが、アイマスの醍醐味のひとつは自分が『プロデューサー』であるという没入感である。だからゲーム主人公としてのプロデューサーは極力無色透明に表現されている。デレマスのPはゲーム内でほぼ無口だし、ミリシタのPは中途半端に発言するものの、一貫性が無く人間性が見えてこない。
(調べたところ、どうやらミリシタのPは志保に対して特に言動がおかしいらしく、全体で見れば人格者だが志保P視点の私が誤解しているだけなのかもしれない)
 この問題も、アニメや漫画では当然のように解決されている。アニマスは赤羽Pという絶妙なバランスのキャラクターを作り上げ、視聴者は彼と自分を同一視こそできないが共感できるPとして描かれた。これによりPに人格を与えることを恐れなくなったアイマス運営は、続く漫画やアニメなどで様々なPを生んだ。
 そして、私が「物語」にこの『プロデューサーの人格』を必要とする理由は、説明するまでも無いだろう。二人三脚のプロデュースを通して、プロデューサーもアイドル同様成長するのだ。プロデューサーのパーソナルに触れずして、物語は生まれない。赤羽Pも武内Pもアニメの中で明確に成長している描写があるし、アイドルが信頼を置く相手としての人格は兼ね備えている。あるいは兼ね備えてゆく。
(ここらへんの『プロデューサーとアイドル』関係の話は始めると滅茶苦茶長くなりそうなので、いつか時間ができたら別途綴りたい)


 アニメも映画も完結してしまい、私は物語に飢えていた。ここまでの説明通り、この飢えはゲーム内コミュで満たせるものでなく、漫画も供給量の問題で私を満たし続けるのは難しかった。

 アイマスが提供してくれる物語のひとつに、リアルイベントを通した演者の成長物語、というノンフィクションのストーリーもあることは触れておく。これは定期的に供給され続ける強力なコンテンツだ。しかし私にとっては演者は飽くまで演者であり、彼女らの物語は『プロデュース』のメインコンテンツたり得なかった。


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 さて、ここまで長々と綴ってしまったが、勘の良い方なら私がシャニマスへと流れつくのは想像に難くないだろう。
 次回は、物語に飢えていた私がシャニマスと出会って、そして『SHHis』に抱いている感情を吐露させていただきたい。

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