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浅いプロデュースを10年続けていた私が、今さら筆を執った訳(後編)

 これはもう話なんて整ったものではない。私を悩ませる数多の要素を濾して、一番奥に眠っていたそれを引っ張り出すための作業でしかない。

アイマスが辿ってきたもの

 アイドルマスターは時代に合わせて進化してきた。
(ここからのアイマス史はある程度下調べもしたが、私見も含まれている。アニマスから入ってCS版シリーズには触れていない浅学な人間の講釈だと、温かい目で見て欲しい)

 アイマスの歴史は、2005年にアーケード版が稼働を開始したところから始まる。しかし企画そのものは2001年から始まっており、声優オーディションも2002年に行われている。この頃のアイマスの持つアイドル像とは、1997年に結成されたモーニング娘。だ。
 ステージにいるのは着飾った最高の自分であり、ユニットで横に立つアイドルは仲間ではなくライバル。目指すのはナンバーワン。そんな価値観は、アイマス最初期の楽曲からも読み取ることができる。

うーん 人気者になりたいのは当然
まあ お金だってあれば嬉しいものだわ
それが目標だから遠慮なんて禁物
結果がすべてよ
(出展:楽曲『THE IDOLM@STER』)
器量と才能だけで軽くこなせる仕事じゃないの
だから人に見えない努力なんて白鳥並以上
きっと私が一番! でもあなたもソコソコかも
そりゃ私と比べるから ちょっと分悪いのよ
(出展:楽曲『私はアイドル♡』)

 またアケマス当時のキービジュアルからも、初期アイマス特有のギラギラした雰囲気を感じられる。

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 しかし、開発が難航しリリースが遅れたせいで、すでに世間の風潮は企画時から移り変わっていた。
 2002年からゆとり教育が始まり、同年にはSMAPの大ヒット曲『世界に一つだけの花』がリリースされる。運動会ではみんなで手をつないでゴール、No.1にならなくても良いもともと特別なOnlyOne、の精神だ。
 アイマスもそんな時代の流れを汲み取ったのか、2007年の楽曲の中にはこんな歌詞がある。

「そうね、リーダーなんて必要ない」
「だって私たちみんな」
「仲間だもんね!」
(出展:楽曲『団結』)

 そしてその後の新作ゲームも、1人でトップを目指すタイプのものから、事務所のみんなで力を合わせるタイプのものへと変遷していった。
(それでも映像コンテンツでの765ASのメンバーは、昔の性質を陰ながら内包していた。アニマスで春香と美希がキャスティング争いをする場面は深刻な空気感で描かれているし、劇場版では伊織が「私は今でもみんなをライバルだと思ってるし、負けたくないとも思ってるわ。そうは見えない子もいるけどね」と志保に告げたことが、ラストシーンで春香の考え方を受け入れる際のファクターになっている、と個人的には思っている。劇場版で春香がリーダーと指名されるのだって『団結』のアンチテーゼだが、そんな彼女が最後に出した答えが「誰か一人でも欠けちゃったら、次のステージには行けない」なのはアイマスというコンテンツのこれからの在り方を明示していたのかもしれない)


 アイマスは、時世に合わせてそのテーマを柔軟に調整してきた。現代アイマスがみんマス路線に舵を切っているのだって、9.18事件の頃には考えられなかっただろう。アイマスが15年経って未だに根強いコンテンツで在り続けているのは、時代に合わせて進化できるからだ。
(その反動で、最初期曲として神格化されている『THE IDOLM@STER』も、その歌詞に疑問や嫌悪感を抱くプロデューサーが増えてきているとか)


 シャニマスは4ユニットでスタートした。そして1周年でストレイライト、2周年目でノクチルが実装された。私個人の感想だが、初期4ユニットとそれ以外のユニットは運営の設計思想が少し違うように思う。

 シャニマス運営は本家アイマスへのリスペクトが見て取れる。シャニマスは音ゲー全盛の時代に、あえてアケマスの頃のシステムを踏襲したゲーム性でリリースをしているし、古のBGM「Town」も聞くことができる。W.I.N.G.の物語構成も箱マスなどを髣髴とさせる1対1のサクセスストーリーだ。そしてその裏にはしっかりと敗退コミュも用意されている。これは近年のアイマスでは本当に珍しい。
 初期4ユニットのW.I.N.G.は丁寧に、現代アイマスにおける王道の文脈をなぞっている。アイドルたちはW.I.N.G.を通して、自分の目指すアイドル像を見つける。そしてそんな自分らしさをファンに届けることが、アイドルとしての成功につながっていく。またイベコミュではユニットの仲間を信じ支えあい、苦難を乗り越える様も描かれる。


邪道の王道、ストレイライト

 1周年でストレイライトというユニットが追加された。しかしその内包しているテーマは、時代にチューニングされた現代アイマスとはかけ離れたものだった。

 ストレイライトはユニットメンバーを互いを認め合うが故にライバル意識を持っている。センターであることにこだわるし、ユニット対抗投票企画なのにメンバー内競争も始めてしまう。
 彼女たちはありのままの自分で勝負はしない。ステージの上で最も望まれている自分を演じ、普段の自分をファンに見せるつもりはない。彼女たちは迷光を身にまとい、偶像となるのだ。

 そして、負け続ける。【Straylight.run()】(19/06/30~)では出来レースで不条理負け、【WorldEnd:BreakDown】(20/04/01~)のユニット対抗投票企画ではその驕りから逆転負け、【The Straylight】(21/01/31~)の音楽番組では共演実力派アーティストグループには圧倒的パフォーマンスを、ゲームCGには完璧なダンスを見せつけられる。



【The Straylight】(21/01/31~)
第6話 ー GET SET

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 それでもプロデューサーは、勝負の舞台を用意し続ける。そして彼女たちはありのままでない自分でステージに立ち、最後には勝つ。その姿はまさに邪道の王道。現代アイマスと逆行するそのドラマに、アケマス時代の片鱗を見ることができるかもしれない。

ストレイライトは、“賛否両論”をテーマにしているところがあるというか、シナリオ中でも、世界観の中で賛否あるような展開を入れています。例えば、イベントに出て他のアイドルの振り付けを真似してしまうとか。彼女たちは“わかりやすくいい子”ではない行動をすることもあって、今までの16人と比較した時に、そこからちょっとはみ出させてみようと思っていましたし、実際にさせています。
(出展:【シャニマス2周年記念】制作P・高山祐介さんがこの1年を振り返る)

 私にとって、ストレイライトは100点のアイマスユニットであった。
 目指すものがあるなら、どんな試練があっても心に迷いはない。担当アイドルの持つ欠点こそが『プロデュース』の余地であると考えているし、その欠点を克服する時に得られるカタルシスに強く心を動かされる。弱い部分がさらけ出されて自身の本質がむき出しになるような試練が与えられ、泥臭く成長していくストーリーが大好きだ。
 私はアイマスユニットとしてのストレイライトが大好きだ。


邪道の邪道、ノクチル

 2周年でノクチルというユニットが追加された。しかしその内包しているテーマは、そもそもアイドルコンテンツとはかけ離れたものだった。

 ノクチルは、幼馴染である。事務所の所属前から交流があるユニットは血縁を除けばHigh×Jokerと同じタイプだろうか。しかし、彼女たちがアイドルを目指すきっかけは余りにも不純だ。先ず透が一人がスカウトされ、残りの3人が幼馴染だからという理由で追いかけてくる。
 残りの3人はもちろん、透すら自分がどうなりたいかを持っていない。そんな透明な自分たちに、さよならできて初めてアイドルになれるのだ。

 なら、プロデューサーと一緒にアイドルの魅力を知っていこう、なんて物語にはならない。【天塵】(20/06/30~)では生放送で番組の意向に逆らい、干されてしまう。しかし彼女たちにはなりたいアイドル像が無いので、「アイドルなめんな」などの批判もどこ吹く風。【明るい部屋】(20/12/11~)では年末の仕事に奔走する各ユニット裏で、事務所にも顔を出さず小遣い稼ぎにアルバイトする始末。【海へ出るつもりじゃなかったし】(21/01/01~)でもプライベートを優先して仕事を蹴ってしまう。


【天塵】(20/06/30~)
第6話 ー 

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 それでもプロデューサーは、ノクチルが輝く瞬間を知っている。しかし彼女たちが輝いているときカメラはそちらへ向いていない。その姿はまさに邪道の邪道。アイドルコンテンツと逆行するそのドラマの、行き先は誰にもわからない。

ノクチル最初のシナリオイベント“天塵”では、彼女たちのアイドルへの向き合い方が独特で、心配をされている方も多かったようでした。
 (中略)
「まだ情報が足りない」、「どうなっているのかわからない」という反応はあると思いました。ただ、心配や「アイドルとしてどうなの?」という声は予想よりも多かったかなと。
(出展:【シャニマス3周年記念】制作P・高山祐介さんが1年を振り返る。)

 私にとって、ノクチルは0点のアイマスユニットであった。
 きっと夢は叶うよなんて誰かが言ってたけれど、その夢はどこで彼女たちを待っているのだろうか。彼女たちはゴールも知らないまま走り出してしまった。そこにあるのは生々しい人間で、究極の等身大。どう見られるかなんてプロ意識はノクチルにはない。どうしたいかをひたすら問い続ける『プロデュース』で、彼女たちの中にそれが芽生えるまでの難解な心情を、気の遠くなる時間をかけて描くストーリーが大好きだ。
 そして私はアイマスユニットとしてのノクチルが大嫌いだ。でもたまらなく愛おしい。


ドラマという劇薬

 シャニマスの追加ユニットに用意されている物語は、いつだって挑戦的であった。そしてそれに引っ張られてか、あるいは元からそういう運営方針だったのか、既存4ユニットにも様々な試練が与えられるようになる。そこにはアイマスというコンテンツ自体に対するメッセージ性のようなものさえ邪推してしまうほどの。


 【薄桃色にこんがらがって】(20/02/29~)
第1話 ー アプリコット

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 これを読んだとき、私は涙が止まらなかった。私がシャニマスに本当の意味で引き込まれたのは、このコミュからといって間違いない。
 アルストロメリアは思いやりで成り立っており、ひたすら優しい物語を紡ぐ。それは賢者の贈り物をなぞる話だったり、スタッフを手伝おうとしたら負傷してかえって迷惑かけてしまったり、そんな優しさの空回り。だけどそれも更なる優しさで包んで乗り越える。そういう癒しと多幸感を与えてくれるユニットはアイマス内に間違いなく必要であるし、283においてはアルストロメリアがそれだったのだ。それが覆された物語だった。

 前編で私はこんなことを書いた。

ゲーム内コミュでの本田未央は「良い子」であり、弱い部分がさらけ出されて自身の本質がむき出しになるような試練は与えられない。
 (中略)
私は物語に飢えていた。

 これを踏まえても分かるように、このコミュはまさに私の求めていた物語であった。


【ストーリー・ストーリー】(20/04/30~)
第1話 ー 送り出す家

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 これを読んだとき、私は自分が解らなくなった。アルストロメリアが思いやりなら、アンティーカは気遣いで成り立っているユニットだ。薄桃色は直接内容に触れなかったが、こちらのコミュは触れなければならない。
 これはアンティーカがリアリティーショー「グッドラフテラス」の仕事を受けるコミュだ。5人がテラスハウスで共同生活をし、その姿が毎週オンエアされる。しかしその様子は制作陣の編集によって「裏ではギスギスしているユニット」として世に出てしまい、SNSが盛り上がってしまう。制作陣はこの反響を大成功と喜ぶが、アンティーカ当人たちはひとつ屋根の下で憔悴していくのだ。
 おそらくこのイベントコミュはスケジュールが1カ月遅れていたら、お蔵入りだっただろう。そのぐらい危険なテーマを扱っていることを、今の我々は知ってしまっている。

 私は、偏向編集によりアンティーカが曇るのを見たとき、このコミュも私の求めていた物語であると感じた。感じてしまった。すると、私がここまで長々と語ってきた、私がアイマスに求めていたもの、が押し寄せてくる。

 あぁ、もしかして。
 私がアイマスに、弱い部分がさらけ出されて自身の本質がむき出しになる物語を求めるのは、グッドラフテラスの視聴者がアンティーカにギスギスを求めていたのと同じなのではないだろうか。シャニマス運営はそんな我々の本質を見透かしているのではないだろうか。

 この議題はブログでもSNSでもnoteでも実況プレイでも色んなPが議論しているのでここでは深堀りしない。私がすんでのところでこの議題から逃げられたのは、私にとっての『担当アイドル』がシャニマスにいなかったからだと思う。


 これは一人遊びの域を出ない、ただの小恥ずかしい自意識の話なのだが。
『担当アイドル』がいないということは、物語に責任を負わないということなんだと私は認識した。だから「アイドルの弱い部分がさらけ出されて自身の本質がむき出しになる物語」を求めることができてしまうのかもしれない。グッドラフテラスの視聴者と同じように。

 だとしたら、私にとって未央や志保は何だったのだろう。
 私の『プロデュース』というロールプレイは何だったのだろう。


 シャニマス運営は容赦がない。
 ストレイライト、ノクチルと現代アイマスの裏を突くような新ユニットを実装しながら、既存ユニット達にも他シリーズでは考えられないような過酷な試練を用意する。そんなシャニマスが織りなす物語に、次はどんな試練が来るのだろうと期待してしまう。
 過激なドラマは、劇薬だ。物語が過激になればなるほど、シャニマスに引き込まれていく。シャニマス運営がそれを理解していたら、これからもっと過激になっていくのだろうか。
(もちろん【くもりガラスの銀曜日】(20/05/31~)のような試練の無い中で繊細な情緒を描くコミュもある。しかしそれらが輝くのも、シャニマスの世界が試練と隣り合わせであると我々が知っているからではないだろうか)


七草にちかと私

 先月、3周年でSHHisというユニットが追加された。一人目の実装は七草にちか。結論から言うと、想像を絶する過激な物語であった。七草にちかのW.I.N.G.は、アイマスを追いかけた10年の中で、最も辛い体験であった。

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 七草にちかは凡人だった。
 にちかが如何にモブっぽいキャラデザをされてるかとか、バイトの先輩の方が可愛いとか、そんな話はしたくない。する気もない。過去のクリスマスコミュを紐解き、にちかにかかっている呪いがどうこうとか、そんな話もしたくない。する気もない。

 七草にちかはただ一点、現代アイマスどころか歴代アイマスの文脈から決定的に外れた部分があった、その話をしなければならない。
 プロデューサーは七草にちかを信じていない。
 アイマスには、自分のことを凡人と自称する者や、アイドル向きではないと思っている者もたくさんいる。それでも、プロデューサーが彼女らが「アイドルとして輝けるモノ」を持っていることを見出し、それがいつか本当に輝くと信じている。例外はない。筈だった。これはアイマスの文脈など考えるまででもなく当たり前なのである。だって、私たちがコンテンツで触れているアイドルたちの裏で、プロデューサーが「アイドルとして輝けるモノ」を見出せなかった大量の人間はオーディションで落ちているのだから。


 七草にちかは凡人だった。
 プロデューサーが「アイドルとして輝けるモノ」を見出せなかった大量の人間の一人。それをプロデュースするのがにちかの物語だ。

 七草にちかにとって最大の幸運かつ不運は、姉の七草はづきが283プロの事務員であったことだろう。
 よく、シャニPは何でにちかを合格させたんだ、という議論があるが、私はコネ入社に近い形だと思っている。はづきと283の繋がりがあり続ける限り、にちかと283の繋がりも不合格にしたからといって簡単に切れるものじゃない。それならば、研修生として思い出を作らせてあげて、程よいところで現実を知ってもらうしかないと、はづきとPが相談の上で決めたのではないだろうか。そして「アイドルとして輝けるモノ」は見つけられずとも、何故かこの子をプロデュースしたいというシャニPの感覚を拠り所にして。
 つまり何が言いたいのかというと、七草にちかは「姉が七草はづきだったから」アイマスのキャラクターになれたのだと私は思っている。

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 七草にちかは凡人だった。
 プロデューサーがにちかの中に「アイドルとして輝けるモノ」があると信じていない状態で続けるプロデュース。
 そこから先は、ただただ地獄。

 そして七草にちかのW.I.N.G.敗退コミュは、アイドルの引退と直結している。(冬優子のようにタイミング次第で引退を匂わせる展開になるものは過去にもあったが、基本的にW.I.N.G.敗退コミュは「次は頑張ろう、これからもよろしく」的な展開になる)
 W.I.N.G.優勝が果たせなければアイドルを諦めると約束をしたのだから、そうでなければ筋が通らない。そして「天井社長からの春の宿題」を見るに、シャニマス運営はにちかの敗退コミュを読ませようとしているのだ。だから七草にちかにとって敗退の方が救いであり正史なのではないか、なんて議論も生まれているが、そんな話はしたくない。させないで欲しい。

 私にとって問題なのはにちかは敗退したら次がない、というただ一点。

 私は前編で、『担当アイドル』の基準をこう書いた。

自分の持つ情熱をコントロールできない不完全さと、ときに周囲に不和を生じさせてしまう不器用さを持つ。しかしそれらは、理想の自分と今の自分とのギャップに由来しており、本人が1番そのフラストレーションに悩まされている。泥臭い葛藤を重ね、足掻いた先で成長した自分と出会える、そんなアイドルだ。

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 あぁ、ごめんなさい。
 あんなことを言って、本当にごめんなさい。

 にちかは私の『担当アイドル』像とこんなにも合致しているのに。足掻いた先で成長した自分と出会える、なんて保証はどこにもないのだ。アイマスは最後はトップアイドルになるゲームだからって、そんなエゴの塊のような私の『担当アイドル』基準を、シャニマス運営にまた見透かされているようだった。

 未央や志保は、どんな試練でも乗り越えて最後には笑ってくれると知っていたから、プロデュースできていたのだ。

これは一人遊びの域を出ない、ただの小恥ずかしい自意識の話なのだが。
『担当アイドル』がいないということは、物語に責任を負わないということなんだと私は認識した。

 私は283プロで、七草にちかの『担当プロデューサー』になりたいと強く思った。未央や志保みたいに、泥臭い葛藤を重ねて足掻いた先で、成長したにちかと出会いたい。七草にちかがトップアイドルにしたい。


 にちかは幸せになるんだ

 俺に、そのための仕事をさせてくれ


緋田美琴のこと

 先月、3周年でSHHisというユニットが追加された。二人目の実装は緋田美琴。それは私が自己嫌悪に陥りながらにちかの担当になると決心した少し後のことだった。

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 彼女はアイドルとしての活動経験があり、移籍のような形で283に所属することになる。正直、彼女の第一印象は私の好みではなかった

 この緋田美琴は、歴代のアイマスシリーズにもそこそこの人数いる「尊敬できる人格と洗練された技術を兼ね備えた大人アイドル」だと思った。そんなアイドルには、私の『プロデュース』欲はあまりそそらないのだ。

 私は前編で、『プロデュース』の基準をこう書いた。

これは私が『プロデュース』というロールプレイをするにあたり、未完成なアイドルを大成させる、という物語に重きを置いている

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 あぁ、ごめんなさい。
 あんなことを言って、本当にごめんなさい。

 シャニマス運営はどこまで私を見透かしているのだろう。私が『プロデューサー』の視点だと思っていたそれは、どこまで行っても「ファン」のものでしかなかったのだ。(イルミネ感謝祭コミュでもこの命題には触れられているのは知っていた。しかし私は美琴を先入観で「完璧なアイドルには興味なし」とした後のこのセリフだったため、計り知れないダメージを負ってしまった)

 完璧なパフォーマンスのできる緋田美琴と、なにもかもが足りていない七草にちかが並んでいて、私はにちかを選んでしまった。でもだからこそ、私は願った。


 たくさんの人に、美琴が輝いているところを見てもらわないといけない


王道の邪道、SHHis

 先月、3周年でSHHisというユニットが追加された。しかしその内包しているテーマは――きっとこれから描かれていく。

SHHisでは、これまでの『シャニマス』にはなかった、新しい展開、新しい魅力を描いていきたいと思っています。その中で、七草にちか、緋田美琴の2人のアイドルにも注目していただきたいです。
(出展:【シャニマス3周年記念】制作P・高山祐介さんが“SHHis”七草にちか&緋田美琴で挑戦したいこととは?)

 彼女たちはアイドルに真剣で、プロデューサーはありのままの彼女たちをファンに届けたいと思っている。アイマスではありふれた景色の中で、しかし彼女たちはアイマスの文脈から外れている。平凡ゆえに輝くものを持っていないかもしれない少女と、完璧ゆえに応援が貰えないかもしれない少女。その姿はまさに王道の邪道。彼女たちのドラマがどのようなものであろうと、私は見届けたい。



あとがき

 これは私を悩ませる数多の要素を濾して、一番奥に眠っていたそれを引っ張り出すための作業であった。これを書き始めたころは、このnoteというアウトプットを私の初めての創作的な『プロデュース』にしてやろうなんて、そんな風に驕っていた。しかし書き終えてみればただただ煩雑な叫びで、アイドルの魅力を訴えるような要素は無い。これは決してアイドルに魅力がないのではなく、私の力不足である。

 弱い部分をさらけ出して自身の本質がむき出しにされたのは、アイドルではなくて私だったと、そんなオチにしたら綺麗だろうか。

 この文章で何もかもに整理をつけられた訳ではないが、少なくとも七草にちかを283の担当アイドルとして胸を張りたいと、そういう決心はついた。それこそが、浅いプロデュースを10年続けていた私が今さら筆を執った訳だ。


 ここまで読んで下さって、本当にありがとうございました。

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