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音の世界

9月に入り夏休みも終わって一息。
仕事もある程度一段落して落ち着いた。
やっとゆっくりできる。
と思ったのも束の間。

9月!!
整える日々秋号をまとめておかねばいけなかった!!
そんなことを思い出しゆっくりする暇ないことを思い出し、
そういう時に限って
今日は参観あるな、
車のタイヤ交換しなきゃ、
そういえば保険の見直しもしなきゃ
と、やらなきゃいけないことを一気に思い出す。

でも、読みたい本や見たいドラマにアニメ。
やりたいこともたくさんある〜。
頭がキャパオーバーしてヒート。
考えることたくさんありすぎて疲れたぁ〜。

ついつい、いつも何か考えてしまうアタマ。
本を読んでインプットもしたいけど疲れてるからアタマに入るかな。
見たいドラマも気が休まらずに見たら楽しめないよな。
そんな事まで考えてしまうと
ホントアタマは休まらない。

思考を止めるのってどうやるんだっけ?
アタマをカラッポにするってどうやるんだっけ?
ふと思った。

瞑想がいいとも言われるけど
正直、瞑想してもいろいろ考えちゃう。
自分の呼吸に集中すればとも言われるけど集中できない。
退屈すぎて結局違うことを考え始めてしまう。

そんな時目にしたのが
無音にする
というワード。
音楽も消して、テレビも消して。無音にする。

その中で目をつむり、無音に耳を澄ませる。

すると、無音の世界で聞こえてくる日常の音。
コレに耳を傾ける。
すると、考えるではなく
イメージするだけになり思考が止まる。

時計の針がカチコチと進む音が聞こえたり
外の車の音が聞こえてきたり
家のネコが毛繕いする音が聞こえてきたり。

普段何気なく発してる音に耳を澄ませると自分の今いる環境、現状に研ぎ澄ませれ心地よく聞こえる。
今自分は目をつむり何もしていない状況でも
周りは動いていることを感じ、自分が今生きていることを実感する。
イメージできる。

そして、自分が今ここに居るんだと気付かされる。
スマホやTVや本を観て思考を働かせているうちは
アタマを働かせて理解しようとアタマが動いている。
それはアタマが働いてる世界。

でも、何も見ずただ周りに耳を澄ませるだけにすると
アタマは働かずその音に集中して今ある現状を理解するためにイメージだけをする。
そして、自分は今どんなとこに存在してるのかを想像するだけになり
今自分がいる世界を感じることができる。
自分のいる場所、環境、自分のリアルな日常を感じ取る。

そして、あぁ生きてるんだなぁと思う。

瞑想は呼吸に集中して、思考をやめる事を言うけど
つまりは思考をやめてアタマをカラッポにできればいいわけで
呼吸に集中でなくても、他の何かに集中して思考を休めればいいと思う。

自分はそれが周りの音に耳を澄ませることだった。


目を閉じて今いる周りの環境の音に耳を澄ませ今いる自分の世界を想像して
自分の生に気付く。

何もしなくても時は過ぎ、世の中は動く。
何も考えなくても時は穏やかで、日常がある。

初めて瞑想というモノを感じた気がする。

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