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壊れた人。

初めて書いた記事に、
「その過去を恨んだ時もあったけど」
と書いたのだけど

なぜ恨んだかというと
形ばかりを気にして、
人にどう思われるかを気にして、
自分の心に嘘をついてまで人付き合いをして
人にゴミを溜めるのも当たり前で
爆発するタイミングは最悪。

爆発するたびに、何もかもが嫌になる。

そんなことを小さく繰り返していたら
あらゆることがうまくいかなくなりだし
すっかり壊れてしまった。

わたしの場合、完全に壊れてしまったら、
これまでの人生を走馬灯のように振り返った。
その度、生きるのが嫌になり、
毎日が地獄のように苦しいと思っていた。
生きることも死ぬことも、
とても考えた。

何を考えても
あの時の自分が思うことは
全てネガティブで、
自分を変えるなんてことができるのだろうか
と途方に暮れていた。

その時、わたしの周囲の中で明らかに
空気・心がまともだったのは兄だった。

ちなみに、わたしの3年ほど前に
兄が先に壊れている。

わたしとは真逆の進学校育ちの
期待の星として教育教育教育で
ガチガチに固められていた
兄が、壊れていった。

その後、
ある人との出会いで息を吹き返したかのように
イキイキと生きるようになった変化を間近で見ていた。

だからこの人(兄)になら、
と兄の部屋に行って
よく愚痴っていた。

ある日はそれがピークとなり泣き叫んでいた。

という、重い心の叫びを人前で初めて出せたのは兄。
そこから兄が動いて
両親の前でわたしは兄と同じ塾に行きたいと言い、
兄のおかげで、大学受験塾ミスターステップアップへ辿り着く。

その時に、のちに師匠となる人との出会い、同志の出会いがあるとまでは
わからなかった。

高校三年生の5月、
学内一の大きなイベント、体育祭を終わらせ
エクステを自分でとって、メイクを外して、
ここからはすっぴんで過ごすことにした。

荒れてボロボロになった肌は
休ませたほうが治ることは
わかっていても、
自意識が邪魔をして、またメイクをして
治らない癖がついていたから。

一旦全てを解放して、
そこからは極力何もしない時間、
安全地帯だと感じた塾で、じっとしてエネルギーを溜め続けた。

時に味わえる、
光かがやく塩おむすびを
楽しみにするだけの日々は
今でも思い出す。

人とリズムが違うことを嫌い

人とリズムを合わせることが善

だと思ってきた。

でもこの時から

人とリズムが違う自分であっても許し始めた。

許せたら、
リズムを合わせることも外すことも
両方ができるようになった。


でもこれって、
今の時代に必要だなと思うことかな。


サロンのお花


今日はこの辺で。

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