見出し画像

派手なシャツを着ながら絶望している女はいない。

「わたしが買わなかったらこの服誰が買うんだろう」

というのは、わたしが服を買う時の一つの判断基準です。
特に派手な柄物のシャツが好きで、見かけると熟考することなく「買お」とレジへGO。
サムネはわたしのワードローブのごくごく一部です。
なんていうか……そそるんですよね。派手な服。

特に、動物の柄が好きです。
総柄も良いですが、ワンピースの前面にひとつ、大きなプリントがどん! というのも好き。
あくまで動物本体の柄です。動物の模様の柄とかではないです。レオパードのスカートは持っているけれど、ヒョウの本体柄のブルゾンの方が好きでよく着ています。
前世は百獣の王とかだったのかな……動物ならなんでも好きで、多少無理してでも追いかけて狩りたくなる癖……

わたしは4月で38歳になります。自分では年齢はただのナンバリングだと思っていますが、世間ではとうに若手と呼ばれる年齢ではなくなったこと、むしろ若い人に迷惑かけないように生きていかねばならない年齢になってきたということも一応自覚しているつもりです。
先月だったかな、鈴木おさむさんが「ソフト老害」って言葉を使ってXに投稿していたのには白目を剥きかけたけど。
やばいじゃん。わたしももう老害じゃん。

わたしがまだ高校生や大学生の頃は、「この年齢でこの服装って痛くない?」みたいな、なんとなく日本国民に共通する暗黙の了解みたいなものが根強かったと記憶しています。
年齢で着るものがなんとなく決まっていたというか。
母が38になった頃、わたしは高校生だったのですが、よく洋服選びに付き合わされ、「お母さんみたいな中途半端なおばさんに合う服ってないんだよ。ミセスコーナーはもっと婆さんが着るものだし、何着たらいいの」とぼやいているのを聞いていました。

わたしが38になる現在は、「中途半端なおばさんだからこの服着よう」みたいな感覚はないと思います。
あったらヒョウの本体柄のブルゾンとか、でかいキリンのプリントのワンピースとか、寿司柄のスカートとか着ていません。
多分、この歳だからこの服はもう着られない、みたいな感覚が薄れているのはわたしだけではなく、日本全国で起きている現象だと思います。
生きやすくなってきた。

全人類、もう好きな服を好きな時に好きに着てほしい。大事なところを隠していれば、誰の迷惑にもならないよ。なんならスーツも制服も全て投げ捨てて。
変な服、奇抜な服、派手な服、もっと面白い服をわたしに見せて欲しい。
服装で判断してはいけない、と言われるけれど、服装ほど分かりやすい指標はないでしょう。
モードな子でおしゃれに関心のない子はいない。
ガーリーな子で可愛いものが嫌いな子はいない。
マニッシュな子で自分をカッコよく見せたくない子はいない。

派手なシャツを着ていて人生に絶望してる女はいないんですよ。

派手な服って、それだけでエネルギーに満ちていますから。この派手なエネルギーを身にまとうということは、それだけエネルギーが供給されているということ。
逆に、絶望している時は派手な服を着る余裕はありませんでした。
不妊治療中は、本当に「え、誰?」ってくらい、無難な服を着ていました。「子供に関係する仕事をしているのに子供がいない」ということに、感じなくていい引け目を感じていましたから、世の中に溶け込むように服を選んでいたのだと思います。
あとは、「お母さんになったあとも子供が恥ずかしくない服」って基準も少し考えていたかも。
全然、新しい服を買うの楽しくなかったけどね。

雪が溶けて派手な靴を履けるようになったのも嬉しい。
なんで冬靴ってあんなにつまんないの?

誰の得にもならない遠慮なら、しなくたってなんの迷惑にもならないじゃん。


最後までお読みくださりありがとうございます。

参加してます。10日め。すごい、わたし、今のところネタ切れもなく走ってる。楽しさしかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?