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本屋さん最後の1日

久しぶりにシャバの空気を吸った。
というのも、わたしは4月最後の日に発熱して以降体調が思わしくなく、解熱してからもなんとなくだるさを抱えていたので、愛犬の散歩以外は引きこもってこの連休を過ごしていたのである。
そして今は夫が発熱し、床についている。なんと難儀なことだろう。

しかし、そんな体調をおし、寝ている夫を捨て置いてでも、今日はどうしても行きたいところがあった。
同じ市内なので、部屋着のまま、すっぴんで出掛けてしまおう。
行き先は本屋さん。今日で閉店する。

そのニュースは、まだ寒い時期に地元紙の地方版配信記事によってもたらされた。
これまで20年ほど我がまちの文化を支えていた本屋さんが、姿を消す。
昨年から半年に1回程度のスパンで営業時間が30分ずつ短くなっているなとは思っていたが、まさかなくなるだなんて。

この本屋さんには、いろいろな思い出がある。
急にセーラームーンの原作が読みたくなり、バイト代をはたいて全巻購入したのも、
社会人になるときにちょっと高めのノートと手帳を買ったのも、
編み物をしたくなって初心者用の教本を思い立って買ったのも、
結婚するために地元を出るにあたり最後に立ち寄ったのも、
地元で家を建てるため何度か戻ってきた際に覗いたのも、
妊娠がわかって「初めてのたまごクラブ」を買ったのも、
パグを飼うことになって飼育本を買ったのも、
ぜんぶ、この本屋さんだった。
「たまごクラブ」や「ひよこクラブ」で貢献することはできなかったけれど、悲しみの最中でさえ、本屋さんはわたしの心に火を灯し続けていた。

いつまでもそこにあるのが当たり前だと思っていた。
日本中でまちの本屋さんが消えている、というのは知っていたけれど、まさか自分の身近で起こるとは思っていなかった。
だって、ここは札幌市のベッドタウンで、人口も少しずつではあるけど増えていたから。
でも、営業時間が短くなったり、併設されていたTSUTAYAのレンタルコーナーが年々縮小されていたり、とその兆候はあったのだと思う。

今日の駐車場は満車で、ひっきりなしに車が出入りしていた。
店内にも未だかつて見たことがないほどのお客さんが入っている。
文具売り場の棚はボールペンの替え芯をいくらか残し、ほぼ全てが空になっていた。
どこに何があるかほぼ完璧に把握していた売り場が、わたしの思っていたよりも数倍広く感じられた。

「さみしいね」
「ほんとだね。ありがとうだね」
すれ違った親子がそんな会話を交わしている。

最後の買い物は何にしよう。
気になっていた漫画、でも既刊がすでに何冊か出ていて後回しにしていた漫画を、大人買いしようかな。

漫画コーナーに向かう途中、売り場のほぼ中央、平台を島状にいくつか並べてあるその一角に目を奪われる。

「書店員が最後に本気で売りたい本」

そんな大きなポップが目についた。
『嫌われる勇気』『サラバ!』『寄生獣』『夜は短し歩けよ乙女』など、ジャンルも様々に、本当に店員さんが好きなんだなという本が並べられ、1作1作に丁寧な手書きのポップが添えられている。
そうだった。この本屋さんは、そういう本屋さんだった。
本愛に溢れた本気の店員さんが、本愛に溢れたポップで私たち読者に愛を訴えてくる、そんな本屋さんだった。
本の代弁者が何人もいた。本と読者の仲人が何人もいた。
このポップを元に、何冊の本を買ったことか。
このポップがなければ、『レーエンデ国物語』も『むかしむかしあるところに、死体がありました。』も『限りある時間の使い方』もわたしの本棚に並ぶことはなかった。

感情があふれ出そうになったので、平台を離脱する。
店内奥の漫画コーナーを目指し、歩いていく。
まちの本屋さんにしては、BLコーナーが充実していたのも大きな特徴の一つだった。
好きな人、いたんだろうな。
「救済BL」「幼なじみ」「オメガバース」「リーマン」など腐女子の性癖ごとに細かく分けられている棚があり、愛を感じる売り場だった。
『光が死んだ夏』がBLコーナーに平積みにされていたのは、今でも納得いっていないけれど。

BLコーナーの平台にお行儀よく並べられていた、『みなと商事コインランドリー』の1巻から5巻までを手に取る。
連休の間、どこにも出かけていないのだ。漫画の大人買いくらい、許されるだろう。

ふと、「本屋さんの本がほしい」と思い、入り口の正面、壁際の四六判の本が並んでいる棚にも立ち寄る。
エッセイ、本屋さんの経営学、美しい本屋さんの写真集、本屋さんが舞台の小説、なんでもよかった。
今日、ここで、本屋さんに関する本を買いたかった。
このコーナーでは、平台だけではなく、書架に表紙が見えるように本が並べられていた。
在庫が少なくなってきても寂しく見えないように、という工夫だろうか。
ここでも本への深い愛を感じる。
そんな棚の隅に置かれていた、黒い線画で本屋さんの店内の様子が描かれた象牙色の表紙が目に留まった。

『ちょっと本屋に行ってくる。』

そんな書名の本が、こちらに向かってアピールしている。
帯に慎ましく並ぶ、手書きフォントの「この世界でいちばん好きな場所は、もしかしたら本屋かもしれない。」の文字。
そうだね、わたしも同じ。
そう思いながら、5冊のBLコミックと、1冊のエッセイを手にレジに並んだ。

いつもはレジ横の小さなカゴに入れてくるレシートも、今日はもらって帰ってきた。
感熱紙のレシートは、本に大事に挟んでいてもいつか文字が消えて、ただの黄ばんだ紙片に変わってしまうだろう。
それでも、わたしは今日、この本屋さんでこの本を買った証拠を残しておきたかった。

このまちには、愛に溢れた本屋さんがあったことを、わたしは絶対に忘れない。忘れないよ。


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