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小宮山さんと友達になりたい。

「小宮山」という姓があり、こみやま、と読む、らしい。
らしい、と書いたのはわたしの交友関係に過去にも現在にも小宮山さんという人は登場したことがないからだ。
小宮山という姓を知ったのは、小学生の頃読んだ『金田一少年の事件簿』がきっかけだったように思う。小宮山さんがどんな人物で、どんな役回りだったのかということも、どんな話だったのかということも、忘れた。ひとかけらも記憶に残っていない。ただ、「小宮山」という姓だけをわたしの心に強く刻みつけ、金田一少年は去っていった。

当時からずっと気になっていることがある。
「小宮山」で「こみやま」なのはどうしてだろう。これなら「こみややま」ではないのか。もうひとつの「や」はどこへ消えたのだろう。2回繰り返される「や」を裏側に折りたたんで見えなくしてしまう、そんなトリッキーな技を披露してくるとは。

やるな、小宮山。

おそらく、最初は「こみややまさん」だったのだろう。
それが「やが2回続くのは言いにくいな……省略したれ」と、「こみやまさん」になったのではないか。

こみやまさんが「こみややまです! 変なあだ名つけないで!」と怒っていたら、こみやまさんは存在していなかったのかもしれない。
初代こみやまさんは心が広く、偉大だ。姓という自らのアイデンティティを軽視したわけではないだろうが、「小宮山」と呼ぶ側のことを第一優先に考えたのだろう。
名前は、自分のものでありながら、呼んだり使ったりするのは、圧倒的に他者が多い。使う人の快適さにフォーカスするのは素晴らしい心がけだ。

小宮山さんについて真剣に考えていたので、知り合いにいない名前なのに勝手に親近感を抱いている。
いつかわたしの交友関係に小宮山さんが現れることを願って、筆を置きたい。


「小宮山はこみややまじゃない」

下書きに残っていた文章です。
書いた動機も記憶もおぼろげですが、最終保存日時が3月5日の3時42分でしたので、夜中に目が覚めて夢現に入力していたのだと思われます。

目覚めてすぐは潜在意識の領域だと言われています。
潜在意識でのわたしが、知り合いには一人もいない小宮山さんについて考えていたなんて思いもよりませんでしたが、何だか面白かったので、顕在意識のわたしにバトンタッチして仕上げてみました。

潜在意識のわたしよ、書きたかったことがこんなことじゃなければ申し訳ない。


最後までお読みくださりありがとうございました。

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