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「何者でもない」をやめようと思った 〜映画『パラレルワールド・シアター』を振り返る〜

3年前、僕は何者でもなかった。

「作り続けてきた」という以外に特に突出した実績もない、売れない自主映画監督として30代に突入した僕は、2017年のはじめ、何の後ろ盾もなしに、長編映画を作ることを決意した。
自分の中に鬱積していた思いを作品に昇華したい、このまま作らなくなっていくのは嫌だという気持ちが、何よりの原動力だった。

「これは自己ベストを更新するための作品であって、ついてくる結果に過剰な期待はしない」

ということはずっと自分に言い聞かせていたけれど、それでももちろんどこかに、もしかしたらこの作品を通して「何者かになれる」かもしれない、という期待もあった。

そして2年近い制作期間をかけ、映画『パラレルワールド・シアター』を完成させた。

映画『パラレルワールド・シアター』公式サイト

自分とは似て非なる「アラサー演劇人」たちの夢と現実を描いたその作品は、決して大きな話題を呼ぶようなことはなかったけど、制作費のクラウドファンディングでは130万円近くを集めることができたり、初上映時に「めざましどようび」の週末公開映画期待度ランキングで、たった1館の貸館上映にも関わらず2位にランクインしたり、その後、池袋HUMAXシネマズをはじめとして3都市での劇場上映を実現することができたりと、いくつかの瞬間最大風速的な場面を体験しながら、今年11月のラスト上映をもって、ひとまずはその活動を一区切りするに至った。
観てくれたお客さんの中には、ハマって何度も通ってくれた方もいたし、怒りや不満の長文を書き連ねる人もいた。
動員はざっくり、延べ数百人。概ねは好評だったと思う。
自分なりにいい作品を作れたという満足感も、十分にある。
ただ、応募した国内の映画祭にはただの一つとして入選することすらなかったし、今も僕は、国内のインディーズ映画シーンにおいては、限りなく無に近い半透明な存在のままだ。

そう、「何者でもない」ままだ。

…いや、本当にそうなんだろうか?
そもそも「何者でもない」って、どういう意味だ?

作品がある程度自分の生活から離れたことで少し冷静になってきた反面、この機会を逃したらもう振り返ることはないだろうなと思うので、映画『パラレルワールド・シアター』を作ったことの総括を、今年のうちにしておきたい。

関わった人、触れてくれた人それぞれに、この作品を自分の中でどう位置付けているかは違うと思うけど、僕にとっての”パラ劇”=『パラレルワールド・シアター』とは何だったのか。

この作品を作ったことに意味はあったのか。

取り留めのない振り返りになると思うけど、頭を整理するという意味でも、書き残しておきたい。


「何者でもない」ということ

「何者でもない」という言葉は、この作品にとってとても大きなキーワードだった。
そして何よりも僕にとってこの作品は「何者でもない自分」という呪いそのものでもあり、そして、その呪いを解くための戦いでもあった。

無名な監督がインディーズで映画を作るにあたって、どんなコンセプトが相応しいのか。
大前提として、逆立ちしたって商業映画のような環境を用意できない、というのがわかりきっている中で、
「これだったら有名人や有名監督で、お金をかけて作って欲しかった」
と言われてしまうような題材だったら、僕が作る意味はない、僕に用意できる程度の自主制作環境で作られるべきではない、と思った。

だから、作品自体のテーマと「無名性」もっと言えば「至らなさ」みたいなものが結びついているもの、が相応しいのだろうと思った。

「売れない演劇人」の話を「売れない自主映画監督」が作る。
決して「夢は叶う」と高らかに歌い上げるようなものではなく、その歌を歌い上げることができなかった者の物語を作る。

そんなコンセプトを集約させたキーワードが「何者でもない僕ら」だったのだ。

売れていない。
知られていない。
職業、お金にできていない。
評価されていない。

そういうアイデンティティを背負って作品を作ることが、今の自分にできる最適解なんだと思った。それ以外に、存在価値を示せる武器なんてないと思った。

もちろん、この作品に関わった人間がみんなそうだ!なんて失礼なことを言うつもりは、まっっっっっったくない。
ただこの作品に関わるという一面において、そういう括りを勝手にさせてもらっていただけだ。
何よりまずは僕自身が「何者でもない」ということが、作品の説得力になる。という理屈だった。
だから宣伝でもやたらと強調していた。

そうしてどんどん、「何者でもない」というアイデンティティを通して、作品と自分が切り離せなくなっていった。

「何者でもない」の功罪

これは、ある種の免罪符でもあった。

もちろん本作も数多の映画と同じように、
「多くの人に観て欲しい」
「評価されたい」
「経済的成功にも繋がって欲しい」
「キャストのキャリアにもプラスになって欲しい」
…と、たくさんの目標があったわけだけど、

「それらが達成されなかったとしても、それはそれで、この作品の存在意義を強める」

という理屈が、自分の中で成り立つようになっていた。
なぜならこれは「何者でもない僕ら」についての映画だから。
僕自身が、この作品が、何者にもなれなければなれないほど、作品の説得力は増していく、という考え方ができた。

この考え方は、作品が思うような結果を出してくれなかった時、後悔が残るような場面があった時、僕が立ち直る手助けをしてくれた。「すべてがうまくいくなんてこの作品らしくない、それも含めてパラ劇なんだ」と。

でもそれを、クオリティ面も含め、この作品が達成できなかったこと(できないであろうと思っていたこと)への言い訳にしていた部分もあっただろうし、もっと言えば、周囲の輝かしく見える作品や人々への嫉妬に満ちた「逆マウンティング」とでも言うべきメンタルを正当化する盾にもなっていた。
「うまくいってるお前らに俺の気持ちがわかってたまるか!」というやつだ。本当に幼稚な話だけど。

また「何者でもない」ということをアイデンティティにすることは、自分自身を終始「〜なかった側の人間」と定義してしまうことでもあったので、作品が手にすることのできたいくつもの嬉しい出来事やポジティブな反応に目が向かなくなり、作品の結果をどんどんネガティブに捉えるようになった。(たぶんこの病はまだ完治してない)

要は、このコンセプトのおかげで救われた部分もあったし、逆に病みまくった部分もあった。

「何者でもない」はもうやめよう

シネコンでの上映が決まったり、嬉しい出来事や結果が得られた時、何度か「そろそろ『何者でもない』と言うのはやめてもいいかもな」と思うことはあった。
でも結局、すぐに何らかの壁にぶち当たっては、その言葉で自分を守って、同時に切りつける、そんなことを繰り返していた。

上映が終わり、この作品と「何者でもない」ということに心を振り回され続けた日々から少し解放された今、やっと気持ちが楽になってきた。
それはたぶん、「作品の存在、評価、結果」と「自分の人生」の間に、ようやく切り分けられる程度の距離ができたからだと思う。
「何者でもない」を四六時中突きつけられることがなくなった。

そして、そうなってしまうと、「そんなに悩むことでもなかったような」という気がしてくる。

「何者でもない」というのは、言外に「何か、誰かと比べて」という意味を含んでいると思うんだけど、実際のところ、そんな風に自分を何かや誰かと比べていたのは、自分だけだったんじゃないか、という気がしてきた。
それに、僕がこの2年間でやり遂げたいくつかのことだって、誰かにとっては十分「何者か」と言えることなのだろうし、そうやって考えていくと、「何者でもない」なんて言葉には、意味はないんだな、とも思えてきた。

多くの人は何らかの意味で何者でもないし、多くの人は何らかの意味で何者かではある。
そうやって自分の存在価値を、他者との比較の中で位置付けること自体、終わりのない地獄の入り口だったんじゃないか。

「だから賞で優劣つけるなんてやめて皆に頑張ったで賞をあげよう!」とか、そういうことを言いたいわけではない。
他者に観せるために作品を作っている以上、他者からの評価は重要だし、それを受け止める態度も必要だと思う。

でもそれを、個人としての自分自身の存在価値や、アイデンティティに結びつける必要はないんじゃないかと思った。
自分より上手くいっている誰かほど良い作品を作れないこと、お金が集まらないこと、お客さんが入らないこと、良い評価を得られないことを、自分の「何者でもなさ」に結びつけて消耗していたら、もう身がもたない。
だからこの作品の一区切りと一緒に、そういう考えはやめにしたいな、と思った。(骨の髄まで染み込んでしまっているから、簡単ではないかもしれないけれど)

今までの自分は間違っていた、ということでもなくて、そういう自分だからこそ作品に共感してくれた人もいるだろうし、「人生のこの時期に、この作品を作った人間」としてのアイデンティティはこれからも背負い続けていく中で、これからの人生を生きる上で少し、気持ちだけでも前に進めたいな、という話。

作品に触れてくださった全ての方へ

…とまあ、とにかくこの作品について思考を巡らせると、ひたすら自意識と一人相撲の無限ループに陥ってしまいがちなんだけど、それではこの作品の振り返りとしてはあまりにも不十分だ。

『パラレルワールド・シアター』は僕にとって本当にたくさんの、かげがえのない出会いの集積でもあった。

キャスト・スタッフの皆さん、応援してくれた皆さん、上映等にご協力頂いた皆さん。
これまでの人生の中で出会ってきたたくさんの人たちにこの作品に関わってもらえたことも嬉しかったし、この作品を作っていなかったら出会うことすらなかったであろう人たちが、今自分にとってとても身近だったり、大切な人たちになっていることも、本当に得がたいことだなと思う。

クランクアップ以降、あるいは作品の完成以降、どうしても作業としては一人になることが多くて、また、すでに作品を作り上げるだけでも十分すぎる貢献をしてくれている人たちに、完成以降の活動にまでこれ以上何かを強いることはあまりしたくない、という強がりなどもあって、心境としては孤立してしまうことも多かったしそれをSNSやらでダダ漏れにしてしまったことも多々あったと思うのだけど、それが、この作品に関わってくれた人たちの貢献や、応援してくれた人たちの気持ちを十分に自覚していないように見えていたのだとしたら、それはこの作品で僕が犯した一番の過ちだと思う。


本当に、この作品に関わってくれた全ての方には感謝しかありません。
皆さんがこの作品に与えてくださったもののおかげで、『パラレルワールド・シアター』は出来上がりました。
頼りすぎてごめんなさい。頼れなくてごめんなさい。
クリエイターとして、プレイヤーとしての活動の可能性や、人生における様々な選択肢があった中で、この作品にたくさんの時間と才能を捧げてくれた、それだけの価値があったと思ってもらえていたら…と願うばかりです。
まだまだ返しきれていない恩があると思うし、僕が活動を続けていくことで、この作品が生き続けることで、なんとか少しずつでも返し続けていきたいと思っています。

劇場に観に来てくれた方々、劇場にお客さんを連れてきてくれた方々にも、心から感謝しています。
舞台挨拶やアフタートークの際に温かく僕らを見つめてくださっていた、帰り際に声かけてくださった皆さんのお顔ひとつひとつが、毎日の心の支えでした。
池袋での上映の最終日、たくさんの方の後頭部越しに映画館のスクリーンで自分の作品が観れたことは、今年のハイライトと言えるくらい、忘れられない体験でした。

また、思うような結果が出ずに打ちのめされそうになった時に、「面白かった」「好き」「ぶっ刺さった」(笑)などの言葉をくれた人たちの存在がどれほど心の支えになっていたかも、書いても書ききれないほどです。
作っている間は創作欲求だけで突き進めても、完成後、味気ない星の数や動員数やらでひたすら自分の価値を数値化されていく中で上映に関する雑務をこなさないといけない時期において、ささやかな(巨大な)承認欲求を満たしてくれる方々の存在は、本当にありがたかったです。

消耗したことの多さを差し引いても、この作品を作っていた時間は僕にとって一番充実した、生きている事を実感できた、本当に楽しい時間であったことは、間違いありません。

ほんのひと時でも、僕を夢だった「映画監督」にさせてくださった皆様、本当に本当に、ありがとうございました。
それだけで、僕にとっては有り余るほどの、意味がありました。

これから

ずっときちんと総括をしたかったのだけど、考えがまとまらなかったり、書いているうちにどんどんネガティブな自虐の呪詛になっていったりして(笑)、もう半ば諦めかけていたのだけど、雑文ながら何とか形にできてよかった。
良くも悪くも、この作品に対する感情が薄れてきているから、書けたんだと思う。
もちろん、これだけの時間と思いを乗せた作品の総括をたった一つの記事でできるわけがないし、これは2019年末時点での気分というだけで、これからも変わっていくものではあるんだろうけど。

これでひとまず精神的には『パラレルワールド・シアター』と、お別れできそうだ。

「いい作品なのにもったいない」とも、幸い、よく言って頂ける。
諦めるわけじゃないし、まだ小さな展開は続いていくけれど、外的な結果に、この2〜3年間を費やした価値があったと言えるものを得られるまで走り続けようとすると、多分キリがないし、そんなものはもう得られない。
だからある程度、自分の中で価値を見出して前に進むしかない。
そして自分の中、という意味では、もう十分報われているかな、とも思う。

次は何をしようかな、と、今はのんびりと考えている。

あまり自虐的なことはしたくないな。
こんなに自分自身を切り売りする作り方は人生で一度きりのカードかなとも思うし、次はもう少し、気楽に作れるものがいいな。
とか言いながら結局、ヒリヒリするところに手を出してしまうのかな。

まあ、しばらくはゆっくり考えよう。


本当にただの自分語りの長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。

作品を作り、世に出していく中で感じたことはたくさんあって、今回触れることのできなかったもっと具体的だったり小さなトピックについては、これからも時間のあるときや思い出したときに書き残しておけたらいいなと思う。
最近長文書いていなかったから、リハビリと思って乱文ご容赦頂ければと思います。

* * *

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僕だけでなく、たくさんの人が、たくさんの思いを込めて作った作品です。
夢について、現実について、選択について、人生について…演劇や表現に関わる人でなくても、きっと何かを持ち帰ってもらえる作品だと思います。
僕らの人生のドキュメントとしてのメイキングも合わせてお楽しみ頂ければ幸いです。

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