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『完全な赦し』

2024年3月3日

 今日はヨセフについての後半の話をさせていただきます。前回も触れましたがヨセフからモーセ時代の出エジプトの記録は史実としての裏付けがまだできていません。
(※イスラエル人がエジプトにいたことはわかっています)
エジプトの王朝は30ほどあって歴代の王の記録が正確性は別としてほぼすべてわかっているようです。注目すべきはヨセフの時代の王朝と考えられるヒクソス王朝の時代でしょうか。ヒクソスはエジプト人ではなく正体がよくわかっていない外国人勢力で一時期、エジプトを侵略して支配していたことがわかっています。ヨセフの物語の舞台はこのヒクソス王朝のファラオの時代だった可能性があります。エジプトの支配はやがてヒクソスからエジプト人へと取り戻されたため、ヒクソス時代に起こったことは記録として残らなかったのかもしれません。

前回までの話ではヨセフがファラオに認められてエジプトの最高権力者になったところまでお話しさせていただきました。
ファラオが夢に見たようにその地域一帯に7年間の豊作とその後に7年間の飢饉が現実になっていきます。ヨセフは豊作の期間の間にできる限りの穀物を貯えました。やがて、飢饉が起こり始めると周辺の国々に食料がなくなり、エジプトに食料を求めてやってくるようになります。カナンにいたヤコブたちも例外ではなく、エジプトに子供たち(ヨセフの兄弟)を食料の買い出しに向かわせます。ただ、末っ子のベニヤミンだけは同行させませんでした。(創世記42:1~5)
兄弟たちがエジプトに着いた時、ヨセフは自分のかつての兄弟がやって来たことを知って彼らのまえに立ちます。しかし、兄弟たちはエジプトの高官がヨセフであることなど気づく筈もなく、ヨセフの前にひれ伏すのです。ヨセフは自分の素姓を伏せて兄弟たちを試します。兄弟たちはスパイ容疑をかけられて、ひとりシメオンを人質にとられ返されます。末の子ベニヤミンを連れてくるようにとのエジプト高官(ヨセフ)の変わった要求でした。カナンに帰った兄弟たちは父ヤコブへことの次第を話し、ベニヤミンを連れていかなければならないことを報告します。それに対してヤコブは反対するのですが、飢饉は続いて食料は尽きてしまい再びエジプトへ向かわなければならなくなりました。そのため兄弟たちはヤコブへ必ずベニヤミンを連れ帰ると誓って出発するのです。

こうしてエジプトについた兄弟たちはエジプトの高官であるヨセフのもとを再び訪れます。ヨセフは母ラケルの子として弟ベニヤミンを見て涙をこぼしそうになりながらも、兄弟たちを盛大にもてなします。
ところが、兄弟たちが無事、帰ろうという時になってエジプト高官(ヨセフ)の銀の食器を盗んだ嫌疑で再び捕らえられます。これはヨセフが仕組んだものでした。高官は盗みを働いたベニヤミンを自分の奴隷とすると告げます。その時、ユダは進み出て自分を身代りに奴隷として、ベニヤミンを帰して欲しいと願います。
かつてはこのユダこそがヨセフを売り渡した張本人でした。その様子を見たヨセフは感極まって、ついに自分があのヨセフであることを告白するのです。兄弟たちにとって驚くべきことでしたが、涙を流して再会を喜んだのです。こうして、ヤコブの一族70名はエジプトの地に移り住むことになり出エジプト記へと歴史は繋がっていきます。
このヨセフの物語のなかでヤコブはヨセフに続きベニヤミンも失いそうになり悲嘆にくれるのですが、その時の言葉でよくわからない部分があります。

■創世記43:14
どうか、全能の神がその人の前でお前たちに憐れみを施し、もう一人の兄弟と、このベニヤミンを返してくださいますように。このわたしがどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい。

かつての押しのける者だったヤコブからは想像できない言葉です。


【まとめ】


ヨセフの話には「罪による奴隷」と「赦し」の要素が含まれているように思います。ヤコブの「どうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい」という覚悟はアブラハムがイサクを捧げようとした心情に似ているのではないかと思います。それは諦めではなく、自分の願いは叶わなくとも神が必ずよくしてくれるだろうという期待です。
その結果、ヤコブは死んでしまっていたと思っていたヨセフにも会うことができたのですが、ここには出エジプトの根幹にあるキリストによる救いの計画の源流があるのではないかと考えます。キリストによる救いの計画の源流はサレムの王のメルキゼデクの祝福(創世記14:18~20)からはじまり、アブラハムがイサクを捧げようとした場面(創世記22:1~18)、そしてヨセフの物語を経由して出エジプトの過ぎ越しへと繋がっていくような気がします。

ヨセフは自分の兄弟たちを試しましたが、意地悪をしていたわけではなく兄弟がヨセフ自身にした過ちを悔いているかどうかを見たかったのだろうと思います。かつてシケムでヨセフを売り渡そうと言ったユダ(創世記37:26~27)はシメオンを解放してベニヤミンを父ヤコブの元に帰すためにユダが身代わりになろうとしました。
ヨセフは自分の正体を隠しながらも兄弟たちを見て何度も涙を流しそうになるのを堪えていました。兄弟たちを恨む気持ちはなかったかもしれませんが、心から赦せるということはまた別のことだったと思います。ヨセフは身代わりになろうとしたユダを見て、すべてを赦したのだと思います。
このユダの子孫がダビデ王の家系となり、家系としてキリストに繋がって罪の赦しは完結してメルキゼデクから継いできた救いの計画が成就するのです。

ですから、ヨセフの物語はイスラエルの民全体の悔い改めと赦し、救いを示すものになっているのだと思います。先のヤコブの「失ってもよい」という言葉は少し乱暴な訳なように思えます。恐らくは「(神に)捧げる」という意味の方が近いのではないかと個人的には思います。

■創世記45:7~8
神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。

ヨセフは父ヤコブと再会してイスラエル人たちはエジプトのゴシェンの地に住むことになります。

最後に余談ですが、この地域の飢饉は続いてヨセフはエジプトの責任者として食料を買う金がなくなった人には家畜や農地を買い上げて食料を渡し、国有化した農地を貸し与えて収穫の5分の1を税として納めるようにしました。(創世記47:13~26)
ここで不思議なのは飢饉なのに農地を与える(?)という疑問です。それから7年間の豊作があったとしてもその後の7年間も乗り切るほど食料保存ができたとは考え憎いです。これはヨセフが豊作の間に農地改革を行っていた可能性があると思います。古代の飢饉は干ばつなどの気候変動が主な原因だったと思われますが、エジプトにはナイル川があり川の水があふれることで肥沃な土壌となったことがよく知られています。古代にファユームの広大な窪地に運河を張り巡らし緑地化、農地を増やしたということが知られており、その際に農地を国民に与えて年貢を納めさせたという記録が残っているそうです。

ファユームは「1000日間」を意味していて1000日でその肥沃な土地が整備されたという伝承が残っています。ヨセフの物語の7年間の豊作と7年間の飢饉を裏付けるものなのかもしれません。

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