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聖職でもサービス業でもないよ、先生は。

先生業って大変でしょう!と誰からも言われますよね。私もそう思います。自分が38年間やって来たのでわかります。身体と心をめいっぱい使います。20代の先生でも、50代の先生でも同じことをします。

私は20歳で小学校に勤めましたが、5月15日が採用初日だったんです。家を出て市の教育委員会で辞令をもらい、バスで学校に駆け付けました。その日はPTA総会の日だったので、いきなり保護者の方の前で紹介していただき、すぐに自分のクラスの教室に行きました。ちょうど子ども達は書写の自習をしていました。簡単に自己紹介をしたら、いきなり先生になったんです。何にもわからないまま子ども達が持ってくる書写のノートに持っていたボールペンで丸を付けました。この時の情景は今でも鮮明に思い出されます。

学校の先生って、昨日まで普通の娘さんだった人間が、いきなり子どもからも保護者の方からも「先生!」って呼ばれる仕事なんです。考えたら怖いと思いませんか?

そこからはもう無我夢中です。教育実習の経験しかない私は、子どもが仲良くなって、賢くなって…周りの先生から褒められるようなクラスにしなくちゃ!と必死に頑張ります。しかも、学級担任は若くてもベテランでも同じだけの事務をこなさなくてはならないので、寝る時間を削って仕事します。年を重ねてきたら、学年の中でも手のかかる子を受け持つことが多くなります。そして、学年運営も。それから、学校の中核に関わる業務も加えてやっていくことになります。

だから、初任から定年までずーーーっと自分の睡眠を削るような生活が続きます。でもね、先生という仕事をしている人は、これを「激務」ととらえていない人が結構います。私もある学校で同じ学年をもった先生が「私たちの仕事は激務なのよ。」と話してくれたことがあったのですが、その時はあまり深刻に考えていませんでした。なぜかというと、「子ども達のためになるのなら、頑張れる!」「子どもを育てるという特別な仕事をしているのだから、少々の苦労は当たり前。私はやれる!」と思ってしまうのです。

そんな私が衝撃を受けたのは、50歳で初めて開催された同窓会でした。銀行に勤めていた男性がこう話してくれたのです。「銀行は定年が早いねん。だからもう退職した。次の仕事をしているけれど、悠々自適な生活をしてるで。」と。

ビックリしました。「悠々自適って自分で言えるんや…。」「自分の生活も充実させているというのは、結構あたりまえなんだ。」「私、こんなにギリギリパツパツで仕事をして生活しているけれど、これは当たり前じゃない!」「持ち帰りの仕事も当たり前にあるけれど、というか持ち帰りで仕事しなくちゃ間に合わない!って状態は当たり前じゃないんや。」と思いました。そこからです。私が自分を大切にしなくちゃ生きていけないなと思ったのは。

先生っていうのは、聖職でもサービス業でもありません。生身の人間が子どもの教育をする、という仕事です。生身の人間ですから、自分の身体と心を調えておかなければ、教育はできません。自分をすり減らしてまで仕事をするというのは、間違いだと思っています。先生の中には、心や身体が壊れてしまって休まざるを得ない状況になる人が増えています。しんどいのに、子どもたちの学習の段取りをしてからでないと年休もとりにくいでしょう。

だから、しんどい時には早めにギブアップしていいんですよ。周りの人にお願いしていいんです。壊れる前に自分を抱きしめてあげることがとても大切なのです。