見出し画像

先生はすごい人をめざす必要はない。

こんにちは。どひたかこです。先生に送るメッセージを綴っています。今回は、「先生はすごい人をめざす必要はない。」です。

常に子ども達の前に立つ先生。子どものお手本となる人でないといけない!と思っていませんか?

確かに、子ども達に学習、集団での生活、心の成長、身体の成長などいろんなことを教える立場の先生は、何でもできて当たり前みたいに思われがちですよね。でもね、実際考えてみてください。何でもできるスーパーマンみたいな人っています?すごく授業がうまい先生が、鶏肉がめちゃくちゃ苦手で食べられないとか、漢字をよく間違えるとか。生徒指導バリバリの先生が、実は道徳の授業が苦手で困ってるとか、学校の中心として働いてくれてる先生がいつもウエストからシャツが出てるとか。ね、結構あるでしょう。

先生って、自分の正直な生き方を見せられたら、それでOKなんじゃないか?と思うのです。鶏肉が苦手な先生は、「実は鶏肉が食べられへんねん。鶏肉が出てきた時、助けてくれへんかな?」と子ども達にお願いしたらええんです。そしたら、「しゃーないなー。じゃ、俺らが先生の分も食べたろ!」って言ってくれます。「先生、漢字をよく書き間違えるから、間違ってたら教えてな。」と頼んでおいたら、子ども達が「先生、その字間違ってるで!」と教えてくれます。

前に立ってる先生が完全すぎる姿を見せるよりは、ちょっとポンコツな姿を見せている方が、子ども達も安心です。「自分たちもポンコツなところがあっていいんや。ポンコツなところも見せていいんや。」と思うことが出来るでしょう。気持ちも何だかゆるみます。そして、お互いに完全を求めなくなるから、「これ、苦手やねん。」と言えて当たり前の風土ができて、助け合いも当たり前になります。人にはそれぞれ「得意なこと」「苦手なこと」があって当たり前。それを互いに補い合うから世の中が回るのです。

だから、先生は完全でなくていい。「あ!ごめん。ホンマにごめん。」と気づいたときに子ども達に正直に謝ることが出来る、正直な生き方を見せていけたらOKだと思うのです。

授業の上手さ、保護者の対応、成績やほかの事務、こんなものは年数を経ていけば誰でも上達します。けれど、子どもの前で正直でいるというのは、心を開いた人でないとできません。すごい人をめざす必要はない。先生には、ありのままの正直な姿こそ必要なのです。