日本国憲法、お前はもう死んでいる

色んな方面から罵声が飛んできそうな過激なタイトル恐縮ですが、タイトル後半のセリフはご存知の通り、漫画『北斗の拳』で主人公の北斗・ケンシロウが、伝説の暗殺拳「北斗神拳」の奥義により相手を自分の死に気付かぬ内に葬り去った際に使用する決め台詞です。

これは憲法についてのよくある「護憲派VS改憲派」議論における改憲派を意図したものではありません。むしろ、そのような二項対立的議論から距離をとって、憲法の是非よりもむしろ憲法の輪郭について、憲法というシステムがどうあるべきなのか、私たちは憲法を使って何ができるのかについて考えてみたいと思います。

本文の結論はタイトルにあるように、日本国憲法はすでに死んでいる状態であるというものです。しかし、本文の目的はその結論の是非よりも、その論拠のひとつであるように感じる「憲法と私の生活との隔たり」について、憲法を学んでみることで少しでも改善できないかという点にあります。

憲法とは

まず憲法とは何か。
憲法という日本語は、英語ではConstitutionに該当し、構成・構造・気質といったような意味の名詞です。全ての国家や共同体などの団体は構造を持ち、それ自体のありようを示す言葉がConstitutionです。このことから、憲法は国家の形を表現したものとも言えます。

また、憲法は昔から存在していたとされています。アリストテレスとその弟子による(英訳)"Constitution of Athens"のように、国家や共同体の状態を事後的に記述する「記述的意味の憲法」が確認されます。
それが近代になり、名誉革命、アメリカ独立宣言と憲法制定、フランス革命とフランス人権宣言などを経て、Constitutionという言葉は「べきである」というような規範的な意味を獲得していったとされています。これを「規範的意味の憲法」と呼びます。

また、「規範的意味の憲法」は憲法典に示されている規範を意味する「形式的意味の憲法」と、どのような形で存在しているに関わらず、国家の構成・構造・気質に関する規範を意味する「実質的意味の憲法」という区別をつけれることができます。日本の憲法学の対象は、「実質的意味の憲法」の中でも、「立憲的意味の憲法」というもので、フランス人権宣言16条「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、すべての憲法を持つものではない」の基準を満たしているものに限定されます。

なぜ憲法ができたのか

小島和司は人類が憲法典を持ったのは18世紀末以後のことで、それ以前にも国家は存したが憲法典はなかったという歴史的事実を根拠に、国家の成立に憲法典が不可欠であることを否定しています。では、なぜ世界中のほとんどの国が憲法典を持つのでしょうか。

そもそも議会や憲法が歴史の中で生まれた経緯を見てみましょう。
中世ヨーロッパにおける国は、国境・国土・国民という概念がありませんでした。国王は領主の仲介者という役割であり、そこでの国王と家臣(領主)の関係は契約と慣習法(伝統)によって制約させていました。「他国との戦いになったら1000人の兵士を送ります」のような契約による関係なので、1人の領主が2人の国王に使えるようなこともよくあったそうです。
その後、ペストによる領主の弱体化や商業の発展に伴う貨幣経済へ移り変わったことで、商業者の支援により国王が常備軍を持つようになり、国王の権力が増大していきます。
さらなる課税をしたい国王は領主と一対一で話し合うのが大変なので、領主を集めて一斉に課税をかけるために開かれたのが議会です。議会では国王を支援する平民(商業者)VS既得権益を守りたい貴族(領主)と教会(聖職者)での激しい議論が繰り広げられ、イギリスでは重要な大憲章マグナ・カルタが生まれました。このように議会や憲法はそれぞれの階級の欲望の中から生まれました。

また、そのような絶対王権の時代に移り変わる中で、法という技術の使い方が変わっていきます。中世における法は伝統の中から「発見するもの」でしたが、絶対王権の時代になると法は作り出すものになってきました。これは前述の「記述的意味の憲法」→「規範的意味の憲法」の流れの中に位置づけることができるでしょう。

貨幣経済が発達する中で絶対的な権力を持った国王は立法権、課税権、徴兵権を我が儘に使用することになります。これがいわゆるリヴァイアサンの誕生です。このリヴァイアサンに敵対する形で民主主義が発達していきます。小室直樹は民主主義発達の要因をカルヴァンのが唱えた予定説で説明します。予定説が資本主義の精神とも結びついていると言ったのは、マックスウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」です。予定説が労働により救済されるというような思想や近代合理主義の思想を生み、民主主義や資本主義の発達する土壌として機能しました。

上記のような精神的な土壌が育まれた中で1787年に世界初の成文憲法典であるアメリカ合衆国憲法が制定されます。社会契約説という理論を実践してみせたアメリカ独立革命はそれを支配したフランスにも大きな影響を与え、1789年にフランス革命からフランス人権宣言が生まれ、その理念を具現化した1791年憲法が制定されました。2つの革命は、植民地からの独立(アメリカ革命)と、絶対王政の打破(フランス革命)という性格の違いはあるものの、いずれも、市民階級による支配を確立する革命であったという点で共通しています。

このようにして誕生した憲法は、旧体制からの「断絶」という両面的な技術として普及していきます。特にナポレオンは数多くの成文憲法を起草し、制定し、ヨーロッパ大陸におけるフランスの拡大する帝国に秩序と枠組みを与えました。こうしたことが要因となって、アメリカとフランスでの2大革命をきっかけとして、西洋諸国は憲法を政治の中心に据え、立憲主義を掲げます。そして、憲法は文明国のシンボルとしても作用しました。ヨーロッパ中心の国際社会の対等な仲間入りをするためには「文明国」である必要があり、憲法を制定する必要があったのです。

日本では1853年にペリー来航を機に開国し、各国と修好通商条約を締結したが、それらは日本の関税自主権を否定し、相手国の領事裁判権を認めるなど、著しく不平等な条約であった。この不平等条約の締結を正当化する論拠が日本は「半文明国」であって「文明国」と対等な条約を結ぶ当事国にあらず、というものでした。このような事情は、明治政府は立憲主義を採用し、大日本帝国憲法の制定する大きな動機になりました。

一方で、イギリスなどの一部の国では憲法典を持ちません。その理由としてしばしば挙げられるのは、「革命や独立といった大きな変化が起きなかったから」ではないかと言われています。国家自身が新しく成立した場合、政治組織としてよるべき伝統はないので、政府の実力支配に抑制を設けようとするのに成文化が必要となり、成文憲法典とならざる終えない状況が多かった中で、イギリスなどの斬新的改革が進められた国では成文憲法が制定されなかったということです。

なんのための憲法か

先に登場した「立憲主義」とは何でしょう。日本における通俗的な立憲主義の理解は1789年のフランス人権宣言16条を挙げます。いわゆる、憲法は「権力分立」と「人権保障」備えるべきという考え方です。

視野狭窄に陥らないためにも、これは立憲主義の唯一の捉え方ではないことに注意したいです。ロバートシュッツは立憲主義を「憲法とは何か、または憲法はどうあるべきか定義付ける一連の考え方」と定義した上で立憲主義を記述的/規範的・形式的/実質的・民主的/リベラルと区分しています。ここでは個別の詳しい説明はしませんが、立憲主義は多元化しており、その考え方によって憲法がどうあるべきかが定義づけられるということです。そして、日本の憲法学はその区分の中でもリベラルな立憲主義を採用しています。

日本の憲法学に順すると、リベラルな立憲主義を採用したときに、憲法は権力分立と人権保障を内容とするものでなければならないことになります。

日本国憲法の特徴

1947年の施行から今年で70年になる日本国憲法は、世界の憲法の中でどう位置づけられるのでしょうか。上記でも触れたように日本国憲法は、太平洋戦争に敗れた日本にアメリカが進駐するなか、民主化を唱えたGHQ(連合国軍総司令部)と日本政府が交渉した末、明治期の大日本帝国憲法を一新して制定されました。その後、憲法改正を党是に掲げる自民党が長年、政権を担ってきたにもかかわらず、結果的には世界で最も長い間、改正されずに続く憲法になった。

比較政治学者のケネス・盛・マッケルウェインが指摘するように、日本国憲法の一番の特徴としてまず挙げられるのはその短さです。190カ国の憲法典の「長さ」の中央値(英語ベース)が13630語に対して、日本国憲法は4986語しかなく、下から五番目の少なさです。扱われる範囲についても、国民の権利や自由を定めた「人権」に関するものと、立法府や行政府の仕組みや権限といった「統治機構」に関するものの2つに分類した時に、比較的「人権」に関する記載が多く、「統治機構」に関する記述量が少なく抽象的です。抽象的というのは、「法律でこれを定める」「法律の定めるところにより」というような、憲法典を改正せずとも、法律形式で起立することで「実質的意味の憲法」を変動させる余白が多い憲法になっています。

オーストラリアの比較憲法学者ロザリドン・ディクソンは、特定の憲法規範の意味や機能について、極めて一般的な文言を用いて指針のみを規定する「枠組型」と明確に詳細を規定する「法典型」という区別を提示しているが、日本は典型的な「枠組型」を採用していることが分かります。

また、日本国憲法は改正オプションが少ないことも特徴として挙げられます。日本国憲法では第96条で定められているように、改正するための方法が1つしか用意されていません。

1. この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2. 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

日本国憲法96条

世界の憲法トレンド

近時の統計調査研究によると、成文憲法の技術が生まれた18世紀末から現在にかけて、「憲法典の長文化」「記述内容の詳細化」がみられます。「枠組型」から「法典型」へとシフトしているといえるでしょう。


憲法改正についても、アメリカ合衆国憲法では2通りの発議と2通りの承認手続きが定められており、合計で4通りの憲法改正方法が定められています。他にも部分改正と全面改正を区別するスイス憲法や、発議から投票までの期間を定めるオーストラリア憲法があります。改正方法の手続きを細分化することにより、より斬新的かつ柔軟に憲法を改正していこうという思想が垣間みれます。

上述した変化の理由としては、憲法への捉え方に変化が生じているのではないかという分析があります。従来の憲法は憲法を強固に固定(エントレンチ)することで、安定化させ、政治を起立するという戦略をとってきました。この戦略のもとでは、憲法典は日本のように簡潔かつ概括的である方が望ましく、時々の政治状況や政治事項はエントレンチすべき事項ではないと捉えられる。しかし、近時の世界的憲法制定・運用状況を見ると、憲法典の起立内容の詳細化・明確化によって政治を規律するという戦略がとられている、この戦略のもとでは、日本国憲法のような「短い・抽象・改正しない憲法」ではなく、長い・詳細・改正が柔軟な憲法」の方が望ましい事になります。にも関わらず、憲法改正に反対する論拠としてエリートプラグマティズムという議論が存在します。

エリートプラグマティズム

日本国憲法のような余白の多い憲法が絶対的に悪いということはありません。一般的に余白が多い憲法は政治家による改革が進めやすいので、国民が徳の高い政治家を選ぶことができればとても有効に機能するでしょう。しかし、反対に余白の多い憲法はテキスト(法)よりも人による支配になりやすく政治家・裁判官・官僚によって大きく左右されるとともに、記述量が少ないことによって書いていないルールによって解釈されてしまう危険も伴います。

特に日本ではコスト・ベネフィットの⾒地から、憲法典以外の憲法の制定改廃を通じて達成できることを、憲法典改正によって実現しようとするべきではないという⾒解、憲法秩序に対し て直接的な変化をもたらすのでなければ憲法典改正は控えるべきであるとする議論が有力です。これをエリート・プラグマティズムと呼びます。

ある意味では納得できる部分もあるのですが、このエリート・プラグマティズムによる懸念点がいくつか挙げられます。

ひとつは、この考え方では憲法典改正は不必要だということになってしまう。憲法の価値として、法よりも改正することが難しいという特性を踏まえてロングタームで規律を規定することができたり、国の構造を表現する特性を踏まえて対内的にも対外的にも国のアイデンティティになるという点があげられる。これらの価値をエリート・プラグマティズムは否定することにつながります。例えば、アイルランドでは死刑を廃止する制度について、法律で制定してあるにも関わらず、憲法に死刑の禁止が規定されました。果たしてこれは時間と労力の無駄だったのでしょうか。

また、日本の憲政を行う国会・裁判所・内閣&官僚組織について、国会は国体政治と言われて久しく、国民から選ばれた議員個人よりも憲法でも法でも規定されていない政党の力が強くなってしまっている状態ですし、裁判官は統治に関わることは違憲審査を行わない状態ですので、事実上、権力は内閣&官僚が実質的意味の憲法の変動が行われやすい状態に思います。憲法典をエリートの解釈により運用するエリート・プラグマティズムの立場は、この権力分立が崩れているとも見える状態を追認することになるのではないでしょうか。

国体政治とは、日本の国会において与野党の国会対策委員長同士が本来の議論の場である国会の本会議や委員会(理事会を含む)をさしおいて、円滑な国会運営を図る為に裏面での話し合いを行って国会運営の実権を握る事をさす言葉。

Wikipedia

最後に、エリート・プラグマティズムの国民意識への影響についてです。
境家史郎は世論調査結果の分析から「そもそも、憲法典が⼀国の最⾼法規の位置にあり、それに準拠して政権は⾏動しなけ ればならない、といった発想⾃体、国⺠に広く浸透しているとはいいがたい」と分析しました。そのような国民の憲法観が形成されたのは、特に「1990年代以降、9条条文と現実の安保政策との外型的乖離が政府によってなし崩し的に広げられ、主要政治勢力がその現状を追認するようになった」と述べています。確かに、憲法は拡大解釈できるという見方の責任の一端はこのエリート層による憲法の扱い方にあると考えられうるでしょう。
これと隣接する形で、法へ対する尊敬の維持と法と実態の一致を目指す理念を国民に醸成するという憲法改正の意義についても考えなければなりません。
アイゼンシュタットは138の憲法典を統計的に分析し、市民参加の程度が高いほど、その後の民主主義の質が向上するという全体的な傾向と、草案作成段階における市民参加の程度が高いほど民主主義の質が向上するという傾向が見られることを実証しています。
日本国憲法の場合、憲法改正には国民投票が必要ですが、国民投票による憲法改正への国民の関与が、憲法運用にとって有意義であると言えるでしょう。

最後に

よく護憲派VS護憲派の議論において、護憲派の人は日本国憲法9条が世界に誇る憲法であること、そのテキストを守り抜くことを至上命題にしています。しかし、そのテキストを守り抜く姿勢こそがエリート・プラグマティズムに加担し、政治家の解釈による自衛隊などの軍備増強を支援してしまっているのではないでしょうか。

このエリート・プラグマティズムこそが、「北斗神拳」奥義なのかもしれません。私たちは日本国憲法が死んでいるということを、まずは認めることから新しい憲法秩序を作っていけるのではないでしょうか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?