雨の日のお好み焼き

 近所のお好み焼き屋まで歩いてゆく。本当はコーヒーを飲みに行き、帰ってから家で食事をするつもりだったけれど、父親から今日は食べて帰ると連絡があったので、母親と一緒に商店街の途中にある店でこちらも早めの外食をとることにした。

 にわか雨の湿気がビーチサンダルの表面に膜を張り、プール帰りのような軽い放心状態になる。しばらく歩くと交差点の前で、白人の父親に肩車をされている女の子を見つける。男のとても立派な体躯に対して女の子の頭はあまりに小さく、じっと見つめていると遠近感を失いそうになった。ふいに立ち止まり、父親が思いきり屈む。舞い降りた娘の指先が信号待ちの赤いボタンにそっと触れ、すこしだけ雨音が遠くなる。

 商店街の居酒屋はたいていどこも閉まっている。インドカレー屋は営業していたけれど、やっぱりお好み焼き屋に向かった。のれんをくぐると店にはまだ誰もおらず、前に来た時と同じ席に座れる。前に来た時見た人気AV女優の来店記事が壁から取り払われている。飲み物を決めている間に、奥を予約していた数人が入店してくる。まばらに入ってくるから、こちらの注文と彼らの検温がたがいちがいになって、おかみさんだけが忙しそうだ。けっこうにぎわってるねと話す間にまた別の客がやってくる。僕の背中を通って、少し離れた横の席に座る。

 一分くらいして、母親が急に小声になるから耳を近づけると、どうやら横の席の二人連れは最近近所にできた小豪邸に住む夫婦だという。家だけでなく、ガレージの手前に停めてある普段使いの車も目慣れない車種だったが、その内側に停めてあるもうひとつの愛車は一方に輪をかけて高級なものらしい。なぜそんなことを知っているのかと母親に聞くと、ガレージのシャッターがあがる瞬間に銘柄を記憶しておいたのだという。知らないメーカーだったけれど、「あとで検索したら1000万だった」。下世話な楽しみに若干あきれながらも、そのメーカーの名を聞き出すとマセラティだった。マセラティは有名だよと言ったら、お父さんもそう言ってた、と返された。

 その隣の主人にはたしかに雰囲気があって、すこし藤井フミヤに似ていた。年齢も彼と同じくらいに見えた。母親は家の様子を見て、てっきり「女子アナみたいな奥さんが住んでいるのかと思っていた」らしいけれど、化粧気のない、着たままの話しやすそうな女性だった。それでも二人の歳の差はやっぱり否めないように思えたから、またくだらない噂話に入りこんでしまった。

 祖父母の実家の島の名が冠された焼酎を飲みながらお好み焼きを食べる。明太もちチーズにはなんとなく冬のイメージを重ねているから季節外れかと思ったが、食べると卵がふっくらしていてすっかり満足した。昼間読んだ朝吹真理子のエッセイにひっぱられて、スパムも頼んだ。「雨の日のスパムおにぎり」と題されたその文章には、ひとりで暮らすことの本質的な耳鳴りが感じられ、読むと不思議な落ち着きを覚える。

 こちらが料理を食べ終えた頃、隣を見ると主人は冷房が寒いのか、黒のサマースーツを軽く羽織ってきめていた。僕はといえば完全に気が抜けていたため、大学のクラスで作ったトミーヒルフィガーのパロディTシャツ一枚だった。

 明日は気に入っている先生の、今期最後の授業がある。その先生の大好きな先生がゲストに来て、学生の質問に答えてくれるというラストにふさわしい特別講義だ。まだ僕は議題になっている映画を見てすらもいないのだが、せっかくなので早めに夕食をとったことをフイにしないよう、少しずつ予習をしはじめていきたいと思う。

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