いろとりどりの真歌論(まかろん) #18 川北天華

問十二 夜空の青を微分せよ 街の明りは無視してもよい

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 わたしたちは、学校教育を通じて「問い」には明確な「答え」があると思ってしまうように躾けられている。よって、「問い」であるような文章を見ると筆者はどのような「答え」を求めているのかに思いを馳せ始める。もしかしたら、その「問い」に答えは出ないかもしれないのに。

 こうやって、文章を「問い」の形式にして人にぶつけるだけで、他人の思考リソースを奪い、時間稼ぎをすることができる。デタラメに言葉を文章形式に並べただけのものを差し出したうえで、「こんな簡単な問題も解けないのか」と、一人の大人としてのプライドを煽れば、「この問題は解けない」と主張するのを封じることができるからだ。

 この延長線上に、契約してはいけない契約書に名前をサインさせたりする技術がある。「問い」という名の命令文に慣れた社会は、こういった悪意や害意にすこぶる弱い。

 この歌のさらに巧妙なところは、「無視してもよい」という文言によるダメ押しだ。

 「街の明かりを無視してもよい」と言われた瞬間に、読み手は「街の明かりは無視しても微分は可能なのだな」ということに意識を奪われ、そもそも「夜空の青は微分可能か」と考えることを忘れてしまう。

 無から生み出された「問い」を、「解かない」と意識して拒否することがどこまでできるだろうか。学校教育を通じて獲得された意識のバックドアに対して、どこまで抗うことができるだろうか。

 「夜空」とは「青」とはなんだろうか。それは「微分」可能なものなのか。そもそも作者は答えのある「問い」としてこの短歌を設計したのだろうか。夜空を見るとき、私の思考リソースもまた、この短歌に奪われっぱなしだ。

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